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クール・エール  作者: 砂押 司
第4部 嵐
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それから 前編

「ん、ほら」


「……」


アリスと結婚してから3年。

この世界に召喚され、アイザンから水の大精霊の地位を譲られてからもう4年以上……。


その間に流れた時間はかつて17歳の工場作業員だった中畑蒼馬なかはたそうまを21歳の超高位魔導士であるソーマ=カンナルコにするだけでなく、数多の変化を俺と、そしてこの世界にもたらしていた。


「あ、それも」


「……」


その筆頭と言えるのは、客観的に見てもやはりこのウォルポートだろう。

カイラン大陸を二分する大国のほぼ中間、かつてクロタンテという城塞がそびえていたウォリア高地の北側。

不毛と呼ばれたカイラン大荒野の黄色い大地の最中に突如として出現するその港町は、もはや港湾都市と呼ぶべき規模に拡大していた。


北のアーネル王国と南のチョーカ帝国、そして東へ海を越えた先のネクタ大陸、カミラギ。

陸路と海路を通じてこの3つが交わる『海なき港町』のメインストリートは人、人、人、人……。

遠くでゆっくりと動いている帆柱を背景に往来する無数の馬車や荷車、疾走する商人や口論する冒険者など、今や王都アーネルや帝都カカのそれを凌ぐ人数と活気に溢れている。

ギルドの中核を担うような大商会の大店から、駆け出しの行商人が路地裏で開いている露店まで出店している店舗の種類と数は大陸最多に達しており、またその先には世界最高峰の職人たちが集う道具屋街が整然と広がっていた。


視線を目の前を歩く銀髪、背中の中ほどまでを隠すその月色の後頭部に戻し、そして左右に散らすと、人間、人間、獣人ビースト獣人ビースト、人間、……森人エルフ

パリッと糊のきいた最高級の白い風布かざぬの製ローブに身を包んだ眼光鋭い商人に、ミスリルの銀色で全身を包み火の上位精霊を連れて歩く決戦級だろう魔法戦士。

人がひしめき合う通りを波を縫うように笑顔で全力疾走していくネコ耳の子供2人と、その後を必死に追いかけて行く母親らしき獣人ビーストの女性。

露店で緊張気味に金貨を差し出すローブ姿の森人エルフの観光客と、それじゃなくて銅貨、その茶色い方だ、と律義に訂正してやる間獣人ハーフビーストの行商人……。

引きこもりならば10メートル毎に心を折られそうな喧騒と人いきれの光景は、決して今日が祭りや式典の日だからではない。


これが今の、ウォルポートの平常なのだ。


ウォル領主として、そして水の大精霊として、『魔王』として。

その始まりを創った俺とその『最愛』が休日の午前にのんびりと買い物をしていてもすぐには気付かれないほどの賑わいは、俺に密かな誇らしさを抱かせるには充分すぎるものだった。


「ちょっと休憩して、あたたかいものでも飲むか?」


「……いらない」


一方で、かつて大陸の南半分を支配していたチョーカ帝国はかなり具体的な革命と分裂の危機に瀕していた。

採掘集落に代表される過酷な奴隷の流通とミスリル頼みだった経済は戦後2年を待たずに危機レベルに瀕し、半年前にほぼ破綻。

ネクタのカンバラとの貿易やギルドとの取引で帝国債と銘打った銅板が顔を出すようになった段階でビスタをはじめとする最北の都市3つではアーネル王国側への編入を希望する市民の声が起こり始め、その波は徐々に南下しているのが現状だ。


尚、反逆以外の何物でもないビスタのこの行動が咎められていないのは、単純にチョーカ帝室にもうそれだけの力がないからだ。

経済に加え未だ【逆死波サカシナミ】による慢性的な水不足を解決できない帝室の権威は相当に失墜しているらしく、実際にウォルポートを通じてアーネル側へ亡命する帝国民が後を絶たない。

市民どころかそれを取り締まり帝室に忠誠を誓ったはずの帝国騎士すらが三々五々駆け込んで来ている始末で、これに関しては王国側同業者のランドルフやナンキが呆れを通り越して頭を抱えていた。

ファンタジックなロマンを斬砕する資本主義の残酷は、実際、市民の間で気高き騎士というもののイメージを著しく損壊している。


ただ、俺としてもそれに苦笑ばかりしているわけにはいかず、冒険者や商会のルートを通じて常にチョーカの各都市の動静には注意を払うようにしていた。

都市側と帝室側での武力衝突が起きた場合はできるだけ軟着陸させたいし、可能ならばいずれ起こる革命も俺の管理下で行われてほしいからだ。

いつのまにやら帝都が陥落していたなどという事態になれば、その後があまりに面倒になりすぎる。

摂政のワイト辺りが皇女姉妹を担ぎ出す可能性なども計算しつつ、今の俺の視線の3割程度はウォリア高地の先の明日の亡国へと向けられていた。


「アリス、疲れて……」


「ない」


他方、『満たされし国』アーネル王国の方にはあまり目立った変化は起きていない。


……強いて挙げるならば、国王であるフランシス5世と宮廷魔導士のマモーが結婚したことくらいだろうか。

2人も決して若くはなく、また国王には既に正妃を含む6人の妻と10人近い子供がいるため後継的な意味で大きな変化は起こらないと思うが、それ故に国王と女英雄との秘められた愛の成就は戦後最大の慶事として王国民を沸かせた。

尚、婚礼の際にはウォル領主夫妻、そして水の大精霊と木の大精霊の契約者として俺とアリスも式典に出席している。

当日はフォーリアルから贈られた誓いの言葉をベースにして祝辞を述べさせてもらったが、例によって感動と歓喜でずっと号泣していたマモーには届いていなかったかもしれなかった。


この件がその証というわけでもないが、税制面や法律面など、3年の間に俺はアーネル王国との微妙な関係の修繕を徐々に進めていた。

ただ、これは別に情が湧いたからとか、自身が家庭を持って心に余裕ができたからとかではない。

……まぁ、後者は否定しないが。


単純に、立体陣形晶キューブ……。

あの【異時空間転移パールポート】が封じられた忌々しい魔具を探すためにはどうしても王国中枢に胸襟を開かせ、またその情報に触れる必要があったからだ。


アーネル第2の都市、エリオの裏通りで閉店していた雑貨屋で1つ。

チョーカ中部の鉱窟跡、中規模の盗賊団のアジトを制圧した際に盗難品の中から1つ。

この3年間で俺は2つの立体陣形晶キューブを発見し、破壊している。

が、そこに至ることができたのは度重なる偶然と『魔王』の悪名による力技を押し通せたからであったで、また様々な費用として少なくないオリハルコン貨を失う羽目にもなっていた。


『最古の大精霊』曰く『創世の大賢者』の手製品だというこの立体陣形晶キューブ、どうやらこの世界に現存するのは1個や2個程度では済まないらしい。

それらを効率よく発見し手元に集めるためには、どう考えても膨大な記録と共に各地の伝承を蔵している王国の書庫や、各地の現在形の情報を集積している国家権力を借りた方が、……効率的だ。

そんなわけで資本主義の前にロマンを諦めた俺のやや軟化させた最近の態度は、しかし皮肉なことにユーチカ、あの猜疑心の強いアーネルの宰相に眠れぬ夜をもたらしているらしかった。


ついでに補足しておくと、チョーカで勝手に革命が起きてほしくないのも同じ理由である。

大混乱からの内戦などにでも発展しようものなら、記録から財産から情報からその全てが散逸してしまいかねない。

もはや空気に等しいあの愚帝がどのように処刑されようとどうでもいいが、その1点においてだけそれを憂慮しているのも俺の真実だった。


「ん、それも持つから」


「……ソーマ」


が、正直に告白すると俺はアーネルもチョーカもウォルポートも、……そして立体陣形晶キューブのことも、今はあまり真剣に考えられてはいなかった。


「何?」


「あなたが今、私から取り上げようとしているものは何?」


「……お前が今この露店で買った、くしだろ」


些事とまでは言わないものの、今の俺の視線を引き付けるには全く足りない内容ばかりだった。


「それくらい、自分で持つから」


「いや、でも……」


「ソーマ」


少なくとも、今の俺が優先するべき事象の1位にはなり得なかった。

が、それも仕方のないことだろう。


ネクタから輸入された、白地に風をイメージした水色の波線があしらわれたコロモ用の細帯。

最近王都でセンセーションを巻き起こしている、とある都市の有力者に仕えている現役のメイドが作者だという略奪愛小説。

そして、今買ったばかりの洒落た銀製の櫛。

それら全ての品物をアリスの腕から取り上げて小脇に抱え、まるで影のように付き添っている俺の……。


「気持ちはありがたいけど、心配しすぎ」


その顔を振り返っていたアリスが呆れたように溜息をつき、そして困ったような顔で笑う。


結婚して3年後の今現在。





アリスは、もうすぐ妊娠3ヶ月目を迎えようとしていた。

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