表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クール・エール  作者: 砂押 司
第3.5部 嵐の前の静けさ
100/177

ショート・エール チェック

都合30分程をかけて駒を並べ終わった後、俺はその中から1つの駒を取り上げて左手に握り込んだ。


「んー……?」


「……」


そのまま右の肘かけに体重を預け、頬杖を突く。

俺の行動に左手からは一瞬だけ緑色の視線が向けられたが、それはすぐに手元のラブロマンスへと戻っていった。

自宅のリビング、いつものソファ。

並んで座る俺とアリスは、しかし今は別々の世界の意識を向けている。


せっかくの休日に文字通り水を差す形となった朝からの雨ではあるものの、幸いに俺もアリスも元は完全なインドア派だ。

朝からダラダラと飲みながら、今日はお互いに家で好きなことをして過ごす。

その退廃的な合意を象徴するように、眼下のテーブルでは2杯のホットワインが静かな湯気を立てている。

その後ろで広がった包みは「魔導士の杖」に紅肉フェゴン、干した果物を5種類にザザから贈られた金酒ハイランドのボトル。


「……」


隔てて左側には、わずかに歪んだ9階建ての搭がそびえていた。

薄墨のコロモをまとったアリスが黙々と行を追っているのは、つい先日に完結した恋愛小説だ。

無実の罪で囚われた姫と、その看守となった奴隷の男との間で育まれる絶望の中の恋……。

中々の人気作だったらしいそれは数ヶ月先には王都で歌劇が上演されることが決まっているそうで、壁のカレンダーを見れば既にその日と翌日には俺とアリスの次の休日が設定されている。

パタンと閉じられる、赤い布で装丁されたシリアス。

悲恋の1巻目を読み終えたアリスは、塔の頂上の2冊目へと白い指を伸ばした。


「……ふむ」


一方、俺の前に広がるのは黒い盤面とその上に散らばる4色89個の駒だ。

「サリガシアンチェス」。

先週にミレイユから上級生向けの教材として提案されたそのゲームの壮大さに、俺は圧倒されていた。


サリガシアンチェスは、その名の通りサリガシア大陸で獣人ビーストが遊ぶ大型のチェスだ。

ただ、流石はつい最近まで戦国時代だったサリガシアの遊びと称讃するべきか、そのゲーム性は限りなくドライで複雑だ。

というより、これはそもそも本当に子供向けの遊びなのか?

教本を片手にとりあえず初心者向けの問題を再現してみた俺の眉間には、いつしか深いしわが寄っている。


サリガシアンチェスを一言で表現するならば、4人対戦で行うチェスにカードゲームと麻雀マージャンが融合したようなものだ。

普通のチェスが6種16個の駒を使って互いの王を取り合う2人対戦のゲームなのに対し、サリガシアンチェスはまずその大前提からしてルールが違う。

4つの陣営のどこかの王が取られた時点でゲームが終了するのは同じだが、勝者はそれをなしたプレーヤーではなくその時点で最も多くのポイント……すなわち、自分の「領土」内にある自陣の駒と自分が取った敵の駒に割り振られた各ポイントの合計が最も高いプレーヤーだ。

つまり、極論を言えば王を取られたプレーヤーが1位になるということも、このゲームではあり得てしまう。


「……目が痛い」


さらに、その駒の数が尋常ではなく多い。

実に24種、120個。

白、赤、青、黄の四陣営で計480個ある駒の総重量は、その材質が石ということもあり冗談ではすまない重さになっている。

サリガシアンチェスでは「王」なら50点、「高位魔導士」なら30点、「一般歩兵」なら1点と、これらの駒に全てポイントが割り振られている。

前述した通り、競うのはあくまでもこのポイントの高低だ。


また、その駒の性質も通常のチェスでは考えられないようなものが多い。

例えば、「近衛」は自陣の「領土」と「防衛拠点」内では取られない駒だ。

このため、「近衛」を上手く配置すればそこに鉄壁の防御を敷くことが可能となる。

他にも、自陣内の駒のポイントを2倍にするがそれ自体は動かすことができない「商会長」、周囲2マスに接した駒を敵味方問わず自動的に排除する「はぐれ竜」の駒など、もはや駒として運用できない駒も多く存在する。


かつ、これらの駒も「王」以外は500点の中で自由に選択することができる。

ポイントの低い駒を大量に使って人海戦術を挑んでもいいし、「決戦級」や「将軍」など少数精鋭の大駒で固めるのもプレーヤーの自由だ。

当然ながら、初期配置も決まっていない。

盤の4隅に塗り分けられた「領土」とその前に点在する「防衛拠点」に、どの駒をどう配置していくか。

先手から順番に1つずつ駒を並べて行くその瞬間から、このゲームは始まっている。


「で、これか……」


点描画のようになっている黒い盤面から目を離しつつ、俺は手元の金属板に視線を移した。

大きく「10ポイント・築城」と刻まれた薄い銅板には、さらに細かくルールが刻まれている。

「あなたがコントロールする『工兵』か『中位以上の魔導士』がいるとき、そのいずれかを選択する。

その駒が動くか取られるかゲームから取り除かれない限り、その駒の周囲3マスは以降あなたの『領土』として扱われる」……。


ただでさえ複雑なサリガシアンチェスをさらに複雑にしているのが、この「戦術カード」の存在だ。

ゲーム開始の瞬間に3枚配られるこのカードの効力はいずれも非常に強力で、自分の手番でポイント、すなわち駒を代償に捧げることで使うことができる。

というか、配られたカードの戦術を最大限に活かすための駒を選び布陣していく瞬間が、このゲームの一番面白いところである気がする。

もはやチェスをしたいのかしたくないのかよくわからないこのルールは、しかし練り上げた一手で劇的に勝敗を左右するという意味で確かにドラマチックだ。


ただ、それまで積み上げてきた展開を全てひっくり返せるという意味では評価の分かれるところだろうか。


……が、実際に現実とはそんなものなのかもしれない。

不確実な理不尽など起こらないと信じ込むのは、ただの怠慢であり現実逃避だ。

目に見えているもの、目に見えないもの。

いずれにせよ、その全てに対応しきれなければ何も守れない。


実にサリガシアらしい、戦者らしい矜持がそこに見え隠れするようで、俺は無意識に苦笑を浮かべていた。


「……さて」


あらためて、自陣の白い陣営から戦況を俯瞰する。

教本通りに配置した駒と配られたカードから見る限り、白の陣営の現実は風前の灯だった。

「防衛拠点」は半分が制圧され、相手の「領土」は3色とも万全の態勢。

強引に「王」を取りに行ったところで、ポイント差で逆転も無理だ。

さらに、向かって右に位置する赤の陣営からは「高位魔導士」がこちらに進んできている。

カードの「熾基紅溶プルゾーン」を撃たれれば、その時点で白の「王」の命運は「領土」ごと燃え尽きることになるだろう。


つまり、この盤面で考えることは自分が勝つことではない。

とりあえず生き延びること、もっと言えば負けないことなのだ。


「なら……」


ならば、やはりこの駒か。

左手の上で転がる「姫」の駒を、俺は赤の「高位魔導士」の前に置く。

「姫」は相手を取ることができない駒だが、逆に相手に取られることもない駒だ。

加えて、「運命の出会い」のカードを使えば隣接する駒のコントロールを奪うことができる。

さらにさらに、相手の「領土」まで進めて「政略結婚」のカードを使えれば形勢は一気に……!?


「!?!?」


一気に盤上を赤く染めたのは、しかし左側から押し寄せた液体だった。

「姫」も「高位魔導士」も「王」も諸共に、盤の上の大半を台無しにしたのは、すっかり飲みやすい温度になったホットワイン。


「……ごめんなさい」


唖然と首を向けた先では、右手でタンブラーを倒したまま硬直するアリスの姿があった。

……本を読みながら自分のタンブラーを取ろうとして、失敗した。

つまりは、そういうところだろうか。


「……いや、別に大丈夫だからいいけど」


テーブルに広がるホットワインを「水分」として掌握、そのまま消失させながら俺は溜息をつく。


不確実な理不尽など起こらないと信じ込むのは、ただの怠慢であり現実逃避。

そして、それはその世界の中だけで起こるとは限らない。

チェスで言えば、盤面そのものが砕かれるように。


……俺が言うと、皮肉に聞こえないけどな。


ずれた駒を戻そうと体を起こすと、ワインを入れ直すためにアリスも立ち上がる。

いつの間にか赤い本の塔の高さは半分となり、2つに分けられていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ