森の中 中編
それは、こちらに向かって疾走してくる。
【水覚】で感知するシルエットは人間のそれなのだが、だからといって警戒しない理由にはならない。
赤字だった場合には、魔物以上に厄介なことになる可能性もあるからだ。
とりあえずは氷の防御をいつでも発動できるように備え、【氷弾】の発動準備だけをしておく。
まだ、殺傷能力の高い攻撃はしない方がいい。
相手が白字だとしたら、どのようなことになるかわかったものではないしな。
お互いを視認できる距離になって、相手が短い杖を持った魔導士の、おそらく少女だとわかる。
小柄だ。
その華奢な体、たいしたことのない胸部を包むのは黒の光沢のある胸当て、ガブラ甲の一品だ。
膝上までを覆うブーツも同じくガブラ甲を加工した、おそらく特注品。
漆黒の装備の下に着込んでいるのは穏やかな茶色のショートワンピース型のバトルドレス、原料が何かは忘れたが耐熱か耐毒機能を有する魔装備だ。
陶磁器のような絶対領域がまぶしい。
さらには、全身を包む真夜中のような暗い青色のマントの縁にも、銀糸で霊字が刺繍されている。
目深にかぶったフードからは、白い人形の様な口元とうっすらと瑠璃色がかった細い2房の銀髪が流れていた。
そして右手には、細い木製のステッキ。
ここから読み取れるのは、彼女 (おそらく)が美人だろうということではない。
……まぁ、それも否定はしないが。
彼女は全身を高価な魔装備で包み、この辺りでは最高級の材料であるガブラの甲殻から造られた装備を身にまとっている。
さらには、50センチほどのシンプルなつくりにもかかわらず、異様な威圧感を放つ、杖。
最低でもBクラスを超えるであろう、魔導士。
それが、走りながら口を小さく動かし。
ステッキの先端を俺に、振り上げた事実。
反射的に眼前に掲げた左手。
その掌を中心に高速展開した直径1メートル、厚さ5ミリほどの氷の円に突き刺さったのは、10個のブナ科樹木の果実。
つまりはドングリの弾丸だ。
さらに【水覚】が告げる周囲の空気中の違和感と、仄かに感じる花のような甘い香り。
……毒か!?
俺はすぐに自分の口と鼻を覆うように、水でマスクを作りさらにその外側を氷で覆う。
これで外気を吸う心配はないし、俺なら溺れずに戦闘を継続できる。
が、この毒がどのような効果を持つ成分なのかはわからない。
あまり時間をかけない方がいいだろう。
一方の少女も、その光景を確認して疾走の動作を急制動に変える。
15メートル程を開けて対峙。
肩で息をしながら、黒いマントに身を包む俺とその盾と氷のマスク、そして傍らに積み上げられた金貨10枚分を遥かに超える氷像に目を走らせて、彼女は唇を噛んだ。
彼女の口がさらに小さく、そして素早く動いたのは、俺が氷の盾を解除し、ドングリが自由落下を始めた瞬間。
とっさに打ち込んだ【氷霰弾】が命中したのは、突然地面から伸びた、若木と蔦、蔓草で編みあげられた3メートルほどの緑の壁だ。
激しく飛び散る木片と草、立ちのぼる青い香りの向こうで、壁を貫通した数発を被弾したのだろう、少女の押し殺したような呻きが聞こえる。
その壁以上の大きさの物体!
それが俺の背後に突如出現したのを【水覚】で知覚。
【水覚】によってかたどられたその物体の形状と、それが高速で俺に迫っているのを理解し、振り返ることもできずに、今度は俺が声に鳴らない悲鳴を上げた。
ハエトリグサという植物を知っているだろうか。
食虫植物、という単語を聞いたときに大多数が思い浮かべるであろう、あれだ。
実際の大きさは数センチ、顎を思わせる2枚1対の厚い葉の縁には、牙の様な棘が並んでいる。
内側の感覚器に衝撃を受けることで、大きく開いていた顎を閉じ、組み合わさった牙は堅牢な檻と化す。
そのあとに分泌される消化液で囚人を溶解、己の栄養としてしまう、「ザ・食虫植物」と言っても過言ではないアレである。
ただし、俺の背後で顎を閉じつつあるソレは、そんなものではない。
葉の大きさは5メートル、大邸宅の門を想起させるサイズだ。
葉の周り、そして通常は何もないはずの葉の内側まで、棘と言うよりは槍の様な鋭利な牙がびっしりと並んでいる。
獲物を捕らえるまでもなく消化液が流れ出しているのか、目が痛くなるほどの酸性の空気が、俺の左右から迫ってきていた。
ドラム缶ほどの太さの茎に支えられた、黄緑色の鋼鉄の処女。
無音で俺を即死させようとしている巨大ハエトリグサが、その正体である。
俺の全身から轟音!
【水覚】さえも一旦閉じて能力の全てを防御に注ぎ込んだ結果、俺は軽く手を左右に掲げた状態で氷の繭に包まれていた。
悪夢のような牙の群れが渾身の力で咬み締めようと低い異音をあげているが、その牙からは生木を圧縮するような軋み音も重なりだす。
俺は左手の人差し指の先だけに穴を開けて慎重にその牙に触れ、……ロッキーやドーダルとは比べものにならないほどの抵抗を感じるが、それでも数秒で魔力抵抗を突破。
【青殺与奪】を発動する。
一切の手加減もなく全身の水分子を急激に振動させられた結果、巨大ハエトリグサはその場で爆裂!
沸騰した体液と消化液、湯気の上がる黄緑色の肉片が周りの木々や地面を汚す。
植物が蒸発する独特の青臭さと、さらに酸味を増した熱気が、ひやりとした夜の森の空気を汚染していた。
緑の壁を解除し、左手に構えた白木の槍で俺に突進しようとしていた少女も、この光景には流石に動きを停止させる。
その、悠久を生きた大樹の葉のような、深い緑色の目に浮かぶのは驚愕と動揺、そして諦念。
切り札を文字通り粉砕された、魔導士の姿がそこにはあった。
「捨てろ」
その周囲を漂う【氷弾】の包囲網と、俺の背後に展開される【氷霰弾】の戦列。
俺が命じたのと、彼女が槍を消してステッキを地面に投げ出したのはほぼ同時だった。
氏名 ソーマ (家名なし)
種族 人間
性別 男
年齢 17歳
魔力 5,232,450
契約 水
所属 冒険者ギルドDクラス
備考 -
氏名 アリス=カンナルコ
種族 森人
性別 女
年齢 17歳
魔力 36,000
契約 木
所属 冒険者ギルドBクラス
備考 -
俺は今、先程まで死闘を繰り広げていた少女、森人のアリスと共に、暗い森の中を北へ北へと進んでいる。
月が青く照らす、アリスの横顔には何も浮かんでいない。
人間と同じ寿命を持ち、生物学的にも大きな差はないはずの森人ではあるが、俺はどうしても緊張を解せないでいた。
森人。
ネクタ大陸を故郷とする、植物の扱いに長けた種族である。
その特徴は人形のように華奢で美しい外見と、人間よりも長くとがった耳、そして排他的な性格。
実際、彼らの大半は、その国土のほとんどが大森林に覆われたネクタ大陸から一生出ず、また他種族がネクタ大陸に立ち入ることも原則禁じている。
例外は、ネクタ大陸の北側に1ヶ所、東側に1ケ所、西側に2ケ所の計4つだけ設けられている港町であり、そこでは物々交換による各国との貿易を行っている。
ネクタの大森林にしか存在しない野草や果物の他、森人しか製造していない紙を求めて、各国の国使や商人が集うものの、いずれも港町から外に出ることは許されない。
数百年前にサリガシア大陸から訪れた獣人の小国家の代表者がその禁を破って大森林に侵入した際は、その代表者を殺害。
さらに以降100年間に渡って獣人との商取引を禁じたことで、世界を震撼させた。
獣人のいかなる謝罪や賠償にも森人が反応を示さなかった結果、歴史的には、これがサリガシア大陸の技術発展が他の大陸よりも大きく遅れた主原因だとされている。
森人は非常に閉鎖的で頑固な性質だとされているが、一方で冒険者として旅をする森人もごく稀に存在する。
そのほとんどが高位の木属性魔導士で、……やはり他種族とはパーティーを組まないソロであることが多い。
その森人と行動を共にしている。
つまり今、俺は非常にレアな体験をしているということなのだ。
「申し訳なかった」
邂逅からわずか数分だった戦闘を終え、俺の自陣片が白字であることを確認した後、少女、アリスはそう言って深く頭を下げた。
フードを脱いだその顔は、本当に人形を思わせる美しさだ。
肩を少し超えるくらいの、まるで月光のような瑠璃色がかった銀髪は、森人特有のやや長くとがった両耳の前から細い房にして流した以外を、小さな頭の後ろで木製のバレッタでまとめ上げている。
防ぎきれなかった【氷霰弾】がかすめた右肩から肘にかけては大きくマントが破れ、白く細い二の腕からは血が流れ続けていた。
とりあえずロッキー製の止血剤を差し出すと、きょとんとした顔でこちらを見上げてきた。
「とりあえず、治療しろ。
ロッキーの薬だから、すぐに止血できるはずだ。
回復系の霊術は使えるよな?」
若干戸惑いながらも薬を受けとったアリスが何かを言いたげなのを無視して、俺は水滴の浮いた氷棺の元へ歩く。
アリスが手際よく (Bクラス冒険者としての経験を感じさせる)何も見ずに【治癒】の魔法陣を準備するのを見ながら、俺はガブラの氷棺にもたれかかって小さな溜息をついた。
あまりに美しいものを前にすると、人間はどうしても気後れしてしまう。
多分それは本質的に、人間は自分自身を醜いと思ってしまう、そういう本能があるからではないかと思う。
だからこそ、非人間的な美人を、2次元の絵画やキャラクターを、無機物に過ぎない美術品や工芸品を、憧れと嫉妬の目で見てしまうのだろう。
俺がアリスに、はじめて見た森人に抱いた感覚は、おそらくそれに類するものだ。
無表情で治療を続けるアリスに、あまり親近感は感じない。
正当防衛であり、むしろアリスから仕掛けてきた戦闘の結果負わせた傷であっても、まるで宝石に傷を付けてしまったような。
そんな微妙な罪悪感を感じている自分に、俺は少し驚いていた。
エルベーナでのことを思い出し。
アイザンの笑顔を思い出し。
俺はただただ、不愉快になる。
だが、その不愉快さは、少なくともアイザンに向けられたものではないことも、俺は冷めきった頭で理解し尽くしていた。
魔法陣の発光と衣擦れの音が終わり、アリスがこちらを向く。
俺が背もたれにしているガブラの氷棺、そしてドーダルと首のないグレートラビィの氷棺、傍らに転がる巨大ハエトリグサの破片を見て。
俺の目を見る。
深い森の奥を思わせるその緑色の瞳は、エメラルド以上に怜悧な決意の色彩も内包していた。
「手伝って欲しい」
アリスの静かな声に、俺は無表情を返すことしかできなかった。
「私は、この近くで出没していた盗賊団のアジトを突き止める依頼を受けて行動していた。
全員が赤字で30人を超える大きな盗賊団。
それなりの武装で、霊術の心得もあるメンバーもいて、集団戦に長けている。
冒険者や街道を使う商人の馬車が襲われる被害が多発していた」
盗賊と言えばたいしたことのないような犯罪者で、その辺の冒険者ならば簡単に勝てる。
というのは、大きな間違いだ。
赤字。
自陣片が示すその色は、捕食者のそれである。
自陣片を確認され次第、捕縛の上斬首される赤字は、当然ながら大きな町を利用できない。
自陣片の確認が甘い小さな集落で最低限の商取引はできることもあるが、基本的には町の外、つまりは魔物と同じテリトリーで生きざるを得ない存在である。
ガブラや、グレートラビィが闊歩するような、町の外で。
必然、生き延びるために、彼らは強くなる。
武装、霊術、集団戦。
強奪、殺人、人さらい。
ありとあらゆる手段を躊躇せずに使い、生きる。
同一クラスの赤字と魔物であれば、遥かに赤字の方が危険なのだ。
よって、それだけの規模の盗賊団の討伐となれば、それ相応のクラスのパーティーが複数でそのミッションにあたる。
アリスのミッションはその前段階、アジトの発見である。
では、何故俺と戦闘するような事態になってしまったのか。
「アジトは発見できたのだけれど、そのときに女性の冒険者2人がそこに運び込まれているのを見てしまった。
奇襲をかけて助けようとしたのだけれど、撃退されて、さらに追跡されていた。
ようやく振り切ったところで、目の前に出てきたのが、あなた。
盗賊団の一員だと思って、先制攻撃をしかけてしまった。
本当に、申し訳ない」
淡々と説明し、最後に視線で謝るアリス。
……なるほど、な。
セオリーでいけば、アジトを発見した段階で転移、その後準備を整えた討伐隊を派遣するべきだった。
が、目の前で連れ込まれる女冒険者。
まぁ、どういう運命をたどるかは想像するまでもないことだろう。
そこで腕に覚えがある自分がいたので、行動したが失敗した。
戦力的に勝てないし、【時空間転移】の魔法陣を描く余裕がないので、走って逃げた……。
では、今はなぜそのアジトに向かっているんだろうか。
「あなたの強さがあれば、討伐隊を呼ばずとも盗賊団を壊滅させられる。
少なくとも、さらわれた2人の救出は可能。
ガブラやグレートラビィを倒す実力と、私の【大顎之召喚】を完璧に防御しきれるだけの戦力があるなら、賭けるべき。
私が失敗したせいで、盗賊団はアジトを移動する可能性がある。
そうしたら、あの2人は絶対に殺される。
討伐隊を組織しても、ラルクスからアジトまでは6時間はかかる。
それでは間に合わない。
それに……。」
アリスは俺の方に顔を向ける。
人形のような無表情だ。
月を反射する、宝石のような緑色の瞳。
が、そこには隠しきれない感情が浮かんでいた。
エルベーナで見慣れた感情。
百戦錬磨のギルドマスターであるエバが、隠しきれなかった感情。
恐怖。
圧倒的な強さ。
理不尽なまでの強さ。
自分が到達できない強さ。
何をどうしても理解できない強さ。
それを眼前にさらされたときの反応。
恐怖。
「当初予定されていた討伐隊全員の魔力を合わせても、あなたの足元にも及ばない。
というよりも、そんな比較自体に意味がない。
魔力量523万……。
あなたは……、……何?」
まるで亡霊でも見たかのように、アリスの瞳は月の光を揺らめかせていた。
最後の問いは、消え入るかのような小さな声だった。
答えに迷って、無言で眉をしかめた俺を見て、慌てて続ける。
「申し訳ない。
冒険者の素性を聞くのはマナー違反。
ましてやあなたには、あなたを突然殺そうとした私の失敗の尻拭いのために。
見ず知らずの2人を助けるために、命を賭けさせようとしている。
許してほしい」
……殺す気だったのかよ。
まぁ、それよりも。
俺が気になったのは、アリスと自陣片を確認したときの自分の魔力量である。
5,232,450。
でたらめなことに変わりはないのだが、ギルドで見たときには5,208,600だったはずだ。
つまり2万以上増えている。
魔力自体は、鍛えれば増えるとテレジアも言っていた。
が、その増え幅は微かなもので、基本的には持って生まれた魔力量から大きく逸脱することはない。
精霊と契約できる魔導士が全人口の数%しかいないのは、契約に耐えられる魔力量を持って生まれる人間が、その程度の確率でしか生まれないからだ。
2日で2万。
これをどう判断するべきか。
「鍛える」というのが魔法の行使だとするならば、確かに俺は日々莫大な魔力を消費している。
【水覚】にしても【氷撃砲】にしても、使えば「なんとなく減ったな」という感覚くらいはある。
それはどれくらいの量なのか。
例えば1%だとしたら5万……。
……いや、さすがにそれはないか。
アリスの全魔力を超える量を「なんとなく」で消費しているのだとしたら、あまりに論外だ。
でも、10%とかならさすがにわかるよな、といつもの悪い癖で思考が散っている中。
「!」
俺は足を止め、アリスの肩を掴んでそれにならわせる。
びくっ、と体を震わせたアリスが無言で振り返るのを、人差し指を口につけるジェスチャーで黙らせ、そしてごく小さな声で囁いた。
最後に、重要なことを決めておかなければならない。
「ミッションはさらわれた女冒険者2名の救出だが、既に死んでいた場合は遺体の回収でいいか?
それから、アジト内の赤字の捕縛。
ただ、難しければ遠慮なく殺すからな。
それから……」
2度頷いたアリスに対して、俺は最も重要なことを確認する。
「この件の報酬は?」
「私の体を、好きにしていい」
……。
……。
……。
……はぁ!!!?
しかも、即答だった。
思わず叫びそうになったのを必死で我慢した結果、俺は完全な無表情となる。
アリスはそんな俺の目を見て、真顔で補足した。
「大丈夫。
私は初めてなので、病気の心配はない」
……大丈夫でも、そういうことでもねえよ!
思わず口を開きかけた、そのとき。
アリスは、さらに言葉を続ける。
己の、覚悟を。
「私は、私の都合であなたに命を賭けさせることになる。
今の私に、あなたの命に見合うだけの対価は用意できない。
私にできるのは、私を差し出すことくらいしかない」
「……」
その言葉は、混乱で沸騰しそうになっていた俺の頭を一気に冷たくしていた。
美しい理論で、気高い動機だ。
アリスの語る論理を、……俺は論理そのものとしては理解できる。
だが、感情としては納得できなかった。
「……一つだけ聞かせろ」
「なに?」
「そのさらわれた2人は、お前にとって何なんだ?」
「……人間関係という意味でなら、まったく知らない人。
今日初めて見た」
「……? なんでそのために、お前がそこまでする必要がある?」
「助けられるから」
……。
「私だけなら、諦めるしかなかった。
事実、失敗した。
でも、あなたが戦ってくれるなら、助けられる。
そして、私があなたに支払えるものは、これくらいしかない」
「いや、だから……」
「少し手を伸ばせば助けられるなら、少し手を伸ばして助けるべき」
……。
「これは私の矜持の問題で、私があなたに命を賭けさせるのは、私の都合。
だけど……お願い」
そう言って、アリスは頭を下げた。
深く、頭を下げた。
見ず知らずの人間を助けるために。
頭を下げた。
その瞬間、俺はようやく真に理解することができていた。
あぁ……、そうか。
俺がアリスに親近感を抱けるはずがない。
罪悪感を感じないわけがない。
アリスの生き方は、美しすぎる。
もう、俺にはできない生き方だ。
地表を蠢く人間が。
決して人間が住むことのできない月を見上げて。
ただ、綺麗だと。
そう思って。
どこか寂しく感じてしまうのと。
きっと同じことなんだ。
俺は……。
……アイザン。
俺は、この世界が少しだけ好きになれそうだよ
本当に小さくつぶやいたその言葉は、幸いアリスまでは聞えなかったらしい。
アリスは、まだ頭を下げたままだ。
「わかった」
俺が静かに、承諾の返事を返したのを待って、彼女の透明な瞳が俺の目にも映り込んできた。
「ただ、報酬に関しては後で考える方向で頼む」
「……不満?」
「違う!
……あ、いや違う、というか」
「胸?」
「……そういうことじゃない」
交渉相手の予想外の自己申告に、思わず俺は苦笑しそうになる。
面白いのは、本人が至って真面目だということだ。
ついでに、別に俺は胸の大きさにこだわりはない。
が、もちろん俺が無表情で理由を求めるアリスに返す理由はそんな個人的な趣味嗜好での話ではない。
「ミッションの難易度に対して、報酬が高すぎるからだ」
ただ、純粋に価値基準の問題だ。
「……」
「実際には苦戦しないかもしれないし、あっさり解決できるかもしれない。
その場合は、命を賭けた、とは言えないだろうが?」
「……確かに」
「そういうわけで、報酬は終わってから相談ということで」
「わかった」
「まぁ、でも命くらいは賭けてやるよ。
少なくとも、お前をほうって逃げたりはしないから」
「……!」
ごく軽く。
だが紛れもない約束を、俺は最後に付け足した。
……まぁ、正直。
俺は、アリスを抱くのが嫌なわけではない。
ただ、こんな理由でアリスを抱くのは嫌なのだ。
別にアリスの顔にも胸のサイズにも、その精神性にも一切の不満はない。
……確かに、胸は小さいけどな。
「それから」
若干、挙動不審なアリスに念を押しておく。
「赤字との交渉と戦闘は全部俺が引き受ける。
アリスへの攻撃は全て防ぐから、2人の救助と治療、町への転移だけに集中してくれ。
薬や霊墨も全部渡しておくから」
「わ、わかった」
俺が渡したポーチの中身を確認して、アリスは頷いた。
「交渉と戦闘の内容には口を出さないこと。
悪いけど、赤字については、殺した方が楽な場合は殺すからな」
「……わかった」
「じゃ、行こうか」
前を向き、【水覚】で感知した盗賊に、だからここでアリスを止めたのだが、慎重に狙いを定め、【氷弾】を放ち、射殺する。
「……アジトはここから1キロ程先の洞窟。
出入り口は2ケ所だけ」
「近い方に案内してくれ」
事態を理解したアリスの案内に従い、俺は暗い影を落とす森の中を進み始めた。
命に対しては、命を支払う。
アイザン。
アリス。
その通りだよ。
だから。
他者の命を奪うような奴は。
その命を奪われても、当然だろう?