- 彼女の事情 - ~好きな人は誰?~
あの日以来、私と藤堂君の間には気まずい雰囲気が流れている。
一緒に帰ってはいるけど、お互いにぎくしゃくしていて何か辛い。
今も私の2、3歩前をスタスタと歩いていて、私の方を一度も振り返らない。
広い背中を見ながら私は考え込んだ。
もしかして藤堂君、この前の事を後悔しているんじゃないかな?
何でこんな奴にキスしたんだろうって……ホントなら悠莉の方が良かったのにって……
そんな事を考えていたら、胸がチクンと痛んだ。
男の人は私なんかよりも悠莉がいいに決まってる。
悠莉……幼稚園からの付き合いの大親友。
どんな時もいつも私を守ってくれた。頭が良くて、強くて、綺麗な悠莉が私は大好きで、そんな彼女が友達だという事が自慢でもあったのに……
今の私はつい、悠莉の事を避けてしまう。
今日もお昼を一緒に食べようと誘ってくれた悠莉に、他の子と約束してるからと初めて断った。もちろん約束なんてない。
「そっか、じゃ明日ね」
悠莉は疑っていないようで、にっこりとほほ笑んで学食へと歩いて行った。
その後、私は激しい後悔に襲われた。
ごめんね……悠莉、でも藤堂君を推した悠莉にも責任はあると思う。藤堂君を知らなければこんな気持ちになんかならなかったのに……
「はあっ……」
無意識にため息が零れる。
それを聞きつけた藤堂君が、こちらを振り返った。
「どうした? 亜理紗」
心配そうな表情の藤堂君と目があった。
「ううんっ……何でもない」
私は慌てて首を振った。
「ふうーん……」
藤堂君は何か言いたそうな顔をしたけど、そのまま前を向くと歩き出した。
そういえば……あの夜以来、手を繋いでないな。
もし…もしも、今私が手を伸ばしたら、繋いでくれるかな?
背中を見つめながらそんな事を考えていると、後ろから誰かが肩を掴んできた。
「え?」
振り返ると息を切らした悠莉がいた。
「……はあっ…やっと追いついた…」
「悠莉…どうして?」
驚いて言葉が続かない私に、悠莉はニッコリと笑った。
「ん? 今日の亜理紗何か変だったから、気になって……生徒会ほっぽって来ちゃった」
「ほっぽってって……悠莉、だってあなた時期会長なのに…駄目じゃない」
私は焦って思わず大きな声で悠莉に言う。
「大丈夫よ、それに私には生徒会よりも亜理紗の方が大事」
「悠莉…」
ごめんね……悠莉、こんなに心配してくれるのに、私ったら避ける様な真似して。
思わず俯いてしまった。
「おい、悠莉…亜理紗は俺と帰るんだ。お前、邪魔!」
その声に思わず、藤堂君の方を見ると不機嫌そうな顔で悠莉を見ている。
それでも悠莉は気にしてない様だった。
「あ…柊、今日はもういいわよ! 私が亜理紗を送るから」
「はあっ?! お前、人の話を聞けっ! 俺が送るって言ってるだろうがっ」
「たまにはガールズトークしたいのっ、あんたは邪魔!」
「お前なぁ!!」
不穏な空気が漂い始めた2人の間にいた私は、思わずおろおろと事の成り行きを見ていたが、ふと…藤堂君が諦めた様に肩を落とした。
「判ったよ……今日は帰る…だけど明日の朝は俺が迎えに行くからな! いいな、悠莉」
「良いわよ、そこは譲って上げるわ」
勝ち誇った様な笑顔を藤堂君に向けながら悠莉が頷いた。
藤堂君は『はあっ』とため息をつくと、私の方を見た。
「亜理紗…明日の朝は俺が迎えに行くから、いいな!」
念を押すように言う。思わず頷くと微笑んでくれた。
「じゃ、明日な…おいっ、悠莉! お前、ちゃんと送っていけよ」
「判ってるわよ、当たり前でしょうが」
呆れた様な悠莉の声に、藤堂君は睨むように一瞥するとそのまま帰って行った。
その後ろ姿を見送っていた私に悠莉が訊ねてきた。
「で……亜理紗、何かあったの?」
「え?」
いきなり言われて私は言葉に詰まった。
「だってお昼の時の亜理紗、様子がおかしかったから……約束って嘘でしょ?」
ばれてたんだ……
私は黙ったまま俯いた。
そんな私を見て、悠莉は小さく溜息をついた。
「原因は……柊? でも、私を避ける理由にはならないと思うんだけど?」
「……悠莉はどうか知らないけど、藤堂君は悠莉の事が好きだから、それを思うと彼に申し訳なくて。つい彼のフリを頼んだ悠莉の事避けてしまって……ごめんなさい」
「はあっ? 亜理紗、あんた何言ってんの? 柊が私を好き? 有り得ないからっ……って言うか、んな事言ったら柊が激怒するわよ」
呆れたように悠莉が言う。
そんな事言っても…
「ねぇ亜理紗、もしかして…柊の事好きなの?」
悠莉の言葉に私は固まった。
「なっ、ち、違うわよ。藤堂君の事は良い人だと思ってはいるけど、好きとかそんなんじゃないからっ」
焦って言う私に、悠莉は疑いの眼差しを向ける。
「そ、それに藤堂君は悠莉の事好きだし」
「だ・か・ら! あいつと私は小さい頃からライバルとして今までやってきたの。恋愛感情なんてお互いないわよ。それにタイプじゃないし」
「そうなの?」
そう言えば悠莉の好きな人って今まで聞いた事ないな……どんな人がタイプなんだろう?
「そうっ! 私の理想って高いんだからね。柊なんて目じゃないわ」
「悠莉って、今好きな人いるの?」
今更ながらそんな疑問をぶつけてみる。
悠莉は一瞬、言葉に詰まったけど頷いた。頬が少し赤くなってる。
「いるよ、昔からずっと好きな人」
「誰? 私が知ってる人?」
思わず問い返した。興味がある、悠莉の好きな人。
「それは、教えない。私の片思いだから」
え? 悠莉の片思いって……悠莉が相手なら、男の人はみんなOKするんじゃないの?
驚いた様な私の顔を見て、悠莉は苦笑した。
「何? 私に好きな人がいるの意外?」
「ううん……そうじゃなくて、悠莉なら即OKなんじゃないかな? って思って」
「そんな訳ないでしょう! 相手は私の事なんて子供だと思ってるわよ」
悠莉は切なそうな表情で答えた。
そんな悠莉は初めてで、私はまたまた驚いた。
「ん? 悠莉の好きな人って年上?」
子供と思ってるって事は相手は大人の男の人?
私の言葉に悠莉は苦笑した。
「亜理紗にしては、勘が良いわね。そう、年上の大人の男。だから柊なんて目じゃないから、安心しなさい」
そう言って悠莉は話を締めくくろうとしたけど、そんな事で誤魔化されませんよ。
「悠莉! 誰? 私、協力してあげる」
大事な親友の悠莉がそんなに好きな人なんだから、何としてでもその恋、成就させたい!
私の意気込みを感じたのか、悠莉は苦笑いをしながら私を押し留める。
「いいの、今は片思いで。いつか…私が彼に釣り合う大人の女になった時に、絶対落としてやるんだから。それまでは妹扱いでもいいの」
悠莉が大人の女になったら……かなりの美女になるだろうなぁ。そんな悠莉に迫られて落ちない男の人なんているのだろうか?
私がそんな事を考えていると、悠莉はこの話は終わりとばかりに私の方を見た。
「で、亜理紗は柊の事が好きなのね?」
思わず私は頷いた。
そう、いつの間にかとても彼の事が気になっていて、そして好きになっていた。
悠莉と両想いだと思っていたから諦めなきゃと思っていたけど、そうじゃないのなら私にも可能性はあるんだろうか?
「やーっぱり、そうか……まぁ、最初にきっかけ作ったの私だからねぇ。責任感じるなぁ」
考え込む悠莉に私は慌てて言う。
「あ、あの、別に今のままでいいから。その、学校の帰りに一緒なだけでも満足だし」
そう言う私に、悠莉は呆れた様な顔をする。
「亜理紗…今時、小学生でももう少し積極的だよ。もし、柊に好きな人が出来たら? あんたそれでもいいの?」
藤堂君に好きな人……
胸がズキッと痛んだ。
「……い…や、悠莉、私……藤堂君に彼女が出来たら、凄く嫌……」
今にも泣きそうな私を見て、悠莉は慰める様に頭を撫でる。
「大丈夫、あいつに好きな子なんていないから。どっちかというと女の子苦手だからねぇ」
「そうなの? でも私とは普通に接してくれるけど?」
意外な悠莉の言葉に私がそう答えると、彼女は意味深な笑いを浮かべた。
「まぁ、亜理紗はね……普通の女の子は苦手だよ。あ、ちなみに私は男扱いされてるから」
全く気にしてないらしく、そう言って笑っている。
私も男扱いなの?
私の考えを読んだように、悠莉が呆れたように言った。
「亜理紗は男扱いじゃないわよ、そうじゃなくて…亜理紗の表情や仕草なんかが、あいつのツボなんだろうなぁ……たぶん……ん、でも奴は根は良い奴だから、亜理紗の事安心して任せられるけどね」
私の表情? 仕草? ツボ?
首を傾げる私に、悠莉はそれ以上何も教えてくれなかった。
ただ、楽しげに何かを考えて(企んで)いる様に見えたけど……
「おはよう!」
翌朝、本当に私の家まで藤堂君は迎えに来てくれた。
「おはよう、藤堂君……わざわざ来てくれなくても、駅前で待ってくれてたら良かったのに」
「俺が来たかったんだからいいんだよ。気にするな」
そう言って、スタスタと前を歩いて行く。
ホントに迷惑じゃないのかな?
私が黙って彼の後姿を見ながら歩いていると、いきなり藤堂君が振り向いた。
「……亜理紗、俺と並んで歩くの嫌なのか?」
「え?」
思ってもなかった事を言われて、私は思わず間抜けな声を出した。
「何で?」
「だって、いつも俺の後ろを歩いているだろ」
怒った様な拗ねた様な声で彼が言う。
「違うよ。藤堂君が歩くのが早いから、ついて行くのがやっとなだけで」
慌ててもっともらしい言い訳をした。
「ホントか?」
疑う様な目で私を見たので、力強く頷いた。
私のその様子に、藤堂君は安心した様にホッと息をついた。
「良かった! もしかしたら、俺と一緒にいるのが嫌で離れて歩いてるのかと思ってたから」
そう言って歩く速度を緩めると、私の手を握りしめる。
驚いた私に、藤堂君は様子を窺う様にこちらを見た。
「嫌か? 俺と手を繋ぐの?」
「ううんっ、前にも言ったでしょ? 安心するって……でも、ホントは迷惑かもと思って」
私の言葉に更に手を強く握ってくれる。
「迷惑なんかじゃないよ、ただ亜理紗はみんなに見られるの……嫌なんじゃないか?」
「嫌じゃないよ、ただ恥ずかしいかな」
顔が赤くなるのが判る。思わず俯いてしまった。
「判った…学校に近づいたら手を離すから」
藤堂君はそう言って、そのまま手を繋いだまま学校へと向かった。
結局、学校内に入っても彼が手を離す事はなかったけど……
「亜理紗、おはよっ! 相変わらず仲がいいねぇ。朝から手を繋いで登校して来るなんて」
教室に入った途端、香里と亜子が冷やかす様に私の傍に近づいてきた。
「おはよう…やだ、見てたの?」
まだ赤みが残る頬を押さえながら私は俯く。
「だって…ねぇ、教室から校門の方はよく見えるうえに、2人って目立つじゃない? 見てた生徒は結構いたと思うよ」
藤堂君の馬鹿ぁ、手を離してくれるって言ってたのに離してくれないから……みんなに見られてるなんて恥ずかし過ぎる……
「まぁ……でも、これで校内に亜理紗にちょっかいをかけようなんて奴はいないと思うけどね。私達も安心だし…良かったね、亜理紗。藤堂君みたいな素敵な彼氏が出来て」
2人は心底嬉しそうな笑顔を私に向けてそう言った。
彼氏……じゃないんだよね……
私は2人に微笑みながら、心の中でため息をついた。
お昼時間---今日は悠莉と一緒にご飯を食べようと思って悠莉を探したけれど、見つけきれなくて香里と亜子の3人で食べた。
「悠莉…どこ行ったんだろうね?」
2人も悠莉の居場所が判らないらしく、首を傾げている。
気になった私は2人を教室に残し、悠莉を探しに校内を歩いて行く。
生徒会室の前を通った時、中から悠莉の声が聞こえてきた。
「……どういう事? 亜理紗の彼氏役を降りたいなんて」
え?
私は思わず扉の前で固まってしまった。
「だから、もう見せかけの彼氏なんて嫌なんだよ」
この声は……藤堂君?
「柊……それじゃ、あの約束は無しでいいの?」
「生徒会役員か?……そんなの、もうどうでもいいよ」
「ふーん、役員の話蹴る程、亜理紗の彼氏役は嫌なんだ?」
意地悪そうな悠莉の声が聞こえる。
「ああ! そうだよっ、悪いか」
藤堂君が怒鳴る様に悠莉に食って掛かってる。
そうか……やっぱり、藤堂君……迷惑だったんだ。
目の前が霞んでいる。手の甲で目を擦ると涙が溢れてきた。
2人はまだ何か話している様だったけど、もう私の耳にはその内容は入ってこなかった。ただ、気づかれない様にする事だけを考えて、そっと扉から離れた。
午後の授業は全く頭に入らなかった。
出来れば帰りたかったけど、そんな事をしたらみんなに心配をかける。
放課後までどうやって乗り切ったのか自分でも覚えてなかった。
1人で帰ろうと、急いで帰り支度をしていた私に亜子が声を掛けてきた。
「亜理紗! 彼氏がお迎えよ」
その言葉に私の動きが止まる。
恐る恐る教室の入り口を見ると、藤堂君が笑顔でこちらを見ていた。
目が合ったけど、次の瞬間私は思わず目を逸らしてしまった。
---彼氏役なんて嫌なんだよ---
先程の彼の言葉が脳裏に浮かぶ。
また涙が滲んできたのを必死に抑える。
「亜理紗、どうかしたのか?」
私の様子がおかしいと思ったのか、藤堂君が心配そうな顔で近づいてきた。
「な、何でもない……あ、あのね、藤堂君。今日は私、亜子達と約束したから……ごめん、先に帰って」
咄嗟に嘘が口からついて出た。
「え?」
驚いた様な藤堂君に、更に言葉を続ける。
「それから、明日から1人で帰るね。藤堂君も私なんて気にしないで。ごめんね、今まで迷惑かけて」
「お前、何言ってるんだ?」
焦った様な彼の声に一瞬、胸が痛んだ。だけど、これでいいんだよね? これ以上、無理させたくない。
「亜子! 帰ろう」
「は? 亜理紗?……」
私は藤堂君の傍をすり抜けると、亜子の腕を掴んで急いで教室を出た。
けれど、藤堂君が私を追いかけてくる事はなかった。