- 彼の事情 - ~持て余す心と自己嫌悪~
祭りの後、亜理紗を送った帰り道。
俺は深〜い自己嫌悪に陥っていた。
−−−あれほど亜理紗にキスはしないって自分で言っておきながら、何だよ! このざまは−−−
さすがに今回は亜理紗も怒ったみたいで『もう2度としないで』と、やんわりと拒絶の言葉を貰ってしまった。
だけど最近の俺は亜理紗に対して節制する自信がない。
「……はぁーっ」
俺は溜め息をついた。
最初の頃、亜理紗の事は顔が可愛い我儘な女だと思っていた。噂では男をとっかえひっかえだとか、人の彼氏を奪って飽きたら捨てるとか、俺が一番嫌いなタイプだったから。
だけど実際に亜理紗と話すと、そんな事をするタイプには思えなくて、俺に対しても彼氏のふりをしてもらうのは申し訳ないと気を使う。
それに女友達をとても大事にしている。
そんな亜理紗が好ましい半面、距離を置かれている様で少し寂しく感じる。
まぁ、本当の恋人同志ではないのだから、彼女の態度は当たり前なんだけど……
そんな事を思っていたある日、佐野から『なぁ、俺と香里、藤堂と栗原の4人で祭りに行かないか?』と誘われた。
「祭り?」
「あぁ、近くの神社で毎年やってるんだけど、香里が4人で行きたいってさ。どう?」
祭りか……そう言えば小さい頃に行ったきりだな。
「俺は亜理紗が行くならいいよ」
「よし…じゃあ香里に聞いてみてもらうよ。」
そう言って佐野はその話を締めくくった。
そして、その翌日。
いつもの様に亜理紗と一緒に帰る途中で、彼女から祭りの事を聞かれた。
「ん? あぁ……佐野に行ってもいいって言ったよ---なんだよ、俺と行きたくないのか?」
亜理紗が躊躇ってるのを感じて、俺は少しムッとした。
すると彼女は慌てて首を振った。
「ううん! すごく行きたい! だけど、藤堂君無理してるなら悪いなって思ったから……」
必死に訴える亜理紗が可愛くて俺はつい表情を緩めた。
「無理なんてしてない……本当に行きたくないならはっきり言うよ。いちいち気にするな」
「はい……ごめんなさい」
亜理紗はまるで怒られた子供の様に項垂れてしまった。そんな姿も可愛くて俺は彼女の頭を優しく叩く。
「なぁ…別に怒ってないよ。そんなに落ち込まなくてもいいだろ」
「だって、私が無理言って彼氏のフリしてもらっている上に、帰りも毎日送ってくれて、更にデートの真似までさせてしまって申し訳な……」
「亜理紗」
俺は最近では当たり前になっている、彼女のその言葉を遮った。
亜理紗は俺の声に、ゆっくりと窺う様にこちらを見上げた。
何故だろう? 最初の頃は彼女の『彼氏のフリをさせてしまって悪い』と言う言葉は、悠莉との取り引きのせいで後ろめたい気持ちだけしかなかったのに、最近ではそれよりも『フリ』と言う言葉がとても嫌で出来れば聞きたくないと思っている自分がいる。
その気持ちが表情に表れていた様で、亜理紗が身を竦めた。
そんな彼女の肩を掴み、俺は彼女の視線を捕えようと身を屈める。
「今後……2度と『彼氏のフリ』とか、『申し訳ない』とか言うなよ。俺は好きで引き受けたんだ。お前が気にすることはない」
そう……全て俺が好きで始めた事だ。
そしてそれを続けたいと思うのはただの俺の我が儘。
彼女が言う『彼氏のフリ』と言う言葉を聞きたくないのも俺の我が儘。
だから亜理紗が気にする事は何もない。
そんな俺の気持ち等知る由もなく、亜理紗はただ俺の言う言葉に小さく頷いた。
俺は彼女のそんな様子に安堵すると、そのまま亜理紗の右手を握って歩き出した、
「えっ? と…藤堂君。てっ…手、握ってるんだけど」
焦っている亜理紗が可笑しくて可愛くて、俺は少しドキドキしながらも落ち着いて聞こえる様に答えた。
「うん、亜理紗と手を繋ぎたいから繋いでるだけだよ。それが何か?」
そう言って更に強くその小さな手を握りしめる。
「あ、あの…何で?」
「俺達『付き合ってる』んだよな? だったら手を繋ぐのなんて当たり前だろう」
俺の言葉に亜理紗はそれ以上何も言わずに、2人黙って帰り道を歩いて行く。
しばらくお互い会話もなく歩いていたが、別にそれも自然な事のようで俺はずっとこのまま手を繋いで歩いていたい気分だった。
「……くっ」
亜理紗が突然小さな声を漏らした。振り向くと目に涙が浮かんでる?
「どうしたんだ? 亜理紗」
俺はその様子に驚いて立ち止まると、亜理紗の顔を見下ろした。
「な、なんでもない……」
慌てて俯こうとした亜理紗の頬を掌で包み、その顔を見つめる。
「何でもないわけないだろう。どうした」
するとグレーの瞳に涙が溢れてきた。
亜理紗は俺の手を振り払うように、首を振るとほほ笑んだ。
「ごめんね、本当に何でもないから。気にしないで」
一体何があった? 俺が何かしたのか?
理由が解らずに彼女を見つめていたら、ふとある事に気づいた。
「もしかして……俺と手を繋ぐのが嫌だったのか?」
「え?」
亜理紗がまだ涙が溜まる目を見開いた。しかし俺の問いには答えずにただ黙ってこちらを見ている。
そういう事か。
「悪かった、そんなに嫌だったなんて。もう手を繋ぐなんてしないから……ごめんな」
そして今まで繋いでいた手を離すと、亜理紗の姿を視界に入れない様に少し前を歩く。
彼女は黙って、そんな俺の後をついてくる。
亜理紗と繋いでいた俺の左手には、彼女の小さな手の感触がまだ残っていた。
祭り当日---
俺と佐野は、待ち合わせ場所に指定された神社の前に立っていた。
何でも井上(佐野の彼女)が、少し遅れるから先に行っててほしいと佐野に伝言したらしい。
それで佐野はこの辺りに不慣れな俺と駅で待ち合わせて、それからここへとやって来た。
「あ、いたいた……ごめーん、お待たせ!」
しばらくして井上が笑いながら佐野の方へやって来た。
祭りだからか、2人共浴衣を着ていた。
亜理紗は井上の後ろにぴったりとくっついているので、その姿はよく見えない。
「おうっ、俺達も今、来たとこだよ。な? 藤堂」
佐野は井上にそう言うと、俺に視線を向ける。
俺は頷くと井上の後ろに隠れる様に立っている亜理紗の方を見る。
「あっ、ねぇ藤堂君、見て! 亜理紗可愛いでしょ? 私の力作だよぉ」
井上は俺の視線に気づくと、亜理紗を前に押し出してきた。
俺の目の前に現れた亜理紗は、紫の朝顔の柄が入ったピンクの浴衣に濃いピンクの帯を締め、髪はいつもと違って1つに纏めていた。そして紫の花の髪飾りをつけている。
制服姿も可愛いけど、これは……可愛いどころではないだろう。
唇がいつもより艶々していて、何か色っぽくないか?
まじまじと見る俺の視線を避ける様に亜理紗は俯いている。
「うん、可愛い」
その言葉に、亜理紗が驚いた様に顔を上げると俺をみた。
彼女の頬が微かに赤く染まって、余計に色香を増してるが……本人は気づいてないな、絶対……
「でしょーっ? もう、可愛すぎて困るんじゃない? 私も頑張ったかいがあるわ」
井上、頑張り過ぎ……困るどころじゃないぞ、まじ、やばい。
胸を張って威張ってる井上に、佐野が『お前なぁ』と苦笑いしている。
佐野は俺が困惑してるの気づいてるな……
亜理紗は井上の言葉に恥ずかしくなったのか、また俯いてしまった。
「じゃ、行きますか」
佐野が楽しそうに、井上の手を取って促す。
俺は亜理紗に小さく呼びかけると、彼女の横にぴったりと添う様に一緒に歩く。
そして俺達は祭りに出掛けた。
金魚すくいや射的等の夜店をまわって、子供の時に戻った様にみんなではしゃいだ。
亜理紗とも最初のぎこちなさが取れてホッとした頃−−−
「ねぇ、ここから別行動しない?」
井上がそう言いだした。
まぁ、井上や佐野からしたら2人っきりになりたいだろうなぁ。
俺は心の中でそう呟いた。
亜理紗は完全に当惑していて狼狽えているのが判る。
佐野が俺にどうするか訊ねてきた。
お前なぁ、何で俺に意見を振って来るんだよ。
野暮な奴にはなりたくないぞ! 俺は。
そうすると答えは1つ---
「俺は……別にいいよ」
「じゃ、決まり! そうねぇ、1時間後にここにまた集まるって事で……亜理紗」
井上は亜理紗を手招きして呼ぶと、何やら耳打ちした。
次の瞬間---亜理紗は固まった。
どうしたんだ? 何、言われたんだろう。
佐野と井上は固まった亜理紗と訝しむ俺を残して人ごみの中に消えた。
「さて、と……どうする?」
俺は動かない亜理紗に訊ねた。すると彼女ははっと我に返った。
「え…っと、藤堂君はどうしたい?」
「せっかく来たんだから、祭りを楽しまないって手はないだろう」
そう言って俺は亜理紗の手を握って歩き出した。彼女は抵抗せずに素直について来た。
「あの…どこ行くの?」
亜理紗が訊ねてきた。その声に嫌悪感はなくて俺は少しホッとした。
「ん、そろそろ腹減ったんじゃないかと思って…何食べたい?」
屋台からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
「何でもいい---藤堂君が食べたいのでいいよ」
亜理紗はそう言うと俺を見上げた。
まずい、どうしよう。2人でいると平静ではいられない。
俺は彼女に笑いかけると人ごみから抜け出し、少し奥に入った所にあったベンチに亜理紗を座らせた。
「ここにいろ、今何か食うもの買って来るから」
俺は少し落ち着きたくて1人で買いに行こうと思った。
そして亜理紗を残して屋台へと向かった。
屋台に向かってすぐに、俺は飲み物は何がいいのか聞くのを忘れた事に気づき、すぐに亜理紗のいる場所まで引き返した。
「うわーっ、間近で見たらすげぇ可愛いぜ、この子」
男の声が聞こえてきて、俺は急いで亜理紗の元に向かう。
俺が戻った時、亜理紗の隣に男が座っていて彼女の肩を抱きながら顔を覗き込んでいた。
その光景に俺は考えるより先に行動を起こしていた。
「ねぇ、どっか楽しい所行こうよ---ってぇ! 何だよ、お前!」
亜理紗の肩にあった手を捻りあげると、相手の男の顔が苦痛で歪んだ。
「---俺の彼女に何か用か?」
「藤堂君っ!」
亜理紗を見ると安心した様な表情で、こちらを見ている。
「おいっ、何するんだよ」
仲間の男が助けようと、俺に向かって来た。それをかわしながら、捻じり揚げていた男の手を離すとそのまま蹴り上げる。
そいつが地面に倒れると、他の奴等が俺に殴りかかろうとした。
「うぐっ…」
「悪いな、手加減はしない主義なもので……」
殴りかかってきた奴の鳩尾に拳を見舞うと、そのまま地面にうずくまってしまった。
そんな様子を唖然と見ていた亜理紗の手を掴むと、ベンチから立ち上がらせてその場を離れる。
「ち、ちょっと、藤堂君っ」
彼女を半ば引きずる様に歩いて行く。出来るだけあの場所から離れたかった。
遠く離れた所に来た時、亜理紗の手を離すと彼女はしゃがみこんだ。見下ろすと苦しそうに息をついている。
「大丈夫か?」
思わず心配になって声をかける。
「う、うん…平気……ありがとう、助けてくれて…怖かった」
「ごめん、俺が離れたから」
俺が謝ると、亜理紗は首を振った。
手を差し出すと、彼女は手に掴まり立ち上がり俺の目を見る。
「藤堂君は悪くない。気にしないで」
「だけど……」
口を開こうとした俺の唇に亜理紗の指が触れた。俺は驚いて彼女の顔を見た。
「もう、いいよ。それよりお腹空いた」
そう言ってにっこりとほほ笑む。ついつられて俺もほほ笑んだ。
「そうだな……今度は2人で買いに行くか?」
「うん!」
そして再び屋台のある場所へと2人で戻って行く。
「たこ焼きがいいっ!」
「は? 焼きそばだろ、普通は」
意見が割れてしまい、結局お互い別々のものを買って分けて食べる事になった。
「おいしいね…」
たこ焼きを頬張りながら亜理紗がニコニコと俺に話し掛けた。
「あぁ……ぷっ!」
亜理紗の顔を見ると、思わず俺は吹き出した。
いきなり笑い出した俺を、彼女は不思議そうに見つめている。
「亜理紗…お前、笑わない方がいいぞ……歯に青のりがついてる」
俺の言葉に亜理紗の顔はみるみる真っ赤に染まった。
「見ないでぇ」
目に涙を浮かべながら、両手で顔を隠してしまった。
「……可愛い」
その姿があまりに可愛すぎて、俺はつい無意識に呟いてしまった。
しかしその言葉は亜理紗の耳には届かなかったようだ。
「亜理紗」
顔を隠している亜理紗の名前を呼ぶと、彼女がそっと顔を上げた。
その表情が無防備で、潤んだ瞳が俺の理性を失くしていく。
俺は今日会った時から触れたくて仕方が無かった彼女の唇にそっと口づけた。
彼女の唇はしっとりとして柔らかく、俺はその感触に夢中になりかけたが、我に返りすぐに唇を離し亜理紗の顔をただ見つめた。
彼女は驚いた様に目を見開いているが、何も答えない。
「……………」
「そろそろ、時間だ……行くか?」
俺はさりげなく彼女にそう言うと、亜理紗は黙ったまま頷いた。
人混みの中を歩きながら、俺は自分自身を詰っていた。
あれほど亜理紗には触れない様に気をつけていたのに、キスしてたら意味ないだろ!
悠莉との取り引きの件もあるが、このままじゃ今まで亜理紗に近づいてきた男達と何ら変わらなくなる。いや、寧ろそいつらよりも性質が悪い。
……それに亜理紗の反応が怖くて、俺は後ろからついて来る彼女の方を見ることが出来なかった。
そんな事を悶々と考えていると、俺の左手を誰かが掴んだ。驚いて振り返ると、真っ赤になって俯く亜理紗がいた。
「……亜理紗?」
「あ、あの…人が多くて逸れそうだから…」
俺の問いかけに、益々俯きながら彼女は答えた。
怒ってないのか?
俺は彼女の様子に安堵すると、その小さな手を強く握り返した。
「え?」
亜理紗の驚いた声が聞こえてきたが、俺は前を見たままだ。
ヤバい……亜理紗から手を繋いできた事がこんなに嬉しいなんて……
俺は顔が熱くなるのを感じた。たぶん赤くなってるはず……気づかれないといいけど。
「そうだな、迷子になっても困るし……」
「ま、迷子なんてなりませんっ!」
むきになって言い返す亜理紗に、思わず笑みが零れた。
「うそだよ……だけど亜理紗、俺と手を繋ぐの嫌なんじゃないのか? この前それで泣きそうだったんだろ?」
この前から聞きたくて……でも聞くのが怖かった俺の問いかけに、亜理紗は首を振った。
「違うよ、嫌なんじゃない。ただ、藤堂君が無理して繋いでるんだったらって思ったら、少し悲しくなっただけだよ」
「はあっ? 俺は繋ぎたいから繋いでるんだよ! そもそも無理して繋ぐ理由ないだろ」
思ってもいなかった返事に俺はムキになって言い返すと、亜理紗の手をしっかりと握り返した。
「俺は---お前が嫌なんだと思って、出来るだけ触らないようにしようと気をつけてたんだよ。今日はつい手を握ってしまったけどな」
「私は、藤堂君と手を繋ぐの……好きだよ。何か安心する…」
「亜理紗?……」
「だから、もし嫌じゃないならこれからも時々……帰り道で繋いで欲しいか…な…?」
手を繋いでもいいのか?
こちらを窺う様に訊ねる亜理紗の顔を見ながら、自然と俺の表情が緩む。
「うん、亜理紗が嫌じゃないなら……それより急ごうぜ、もう1時間過ぎてる。あいつら待ってるんじゃないか?」
「わっ! 香里に怒られるっ」
俺達は2人と別れた場所まで手を繋いだまま走った。
「おっそーい! 何してたんですかねぇ?」
井上がそう言うと面白そうに笑った。佐野はその横でそんな井上を困った様に見ている。
「亜理紗、ちょっと付き合って! 藤堂君、ごめん! 亜理紗借りるね」
そう言って井上は亜理紗と腕を組むと、俺達から離れる様に歩き出した。
何なんだ?
問いかける様に佐野を見るが、曖昧な笑みを浮かべて首を竦めるだけだった。
しばらくして2人が戻って来たので、また4人で夜店を見て回った。
「ねぇっ! 亜理紗、あれ、亜理紗の好きなぬいぐるみだよ」
井上は亜理紗に向かってそう言うと、何かを指差した。
その方向を見ると---何だ? ぬいぐるみ? それもデカいネコのぬいぐるみがこちらを見ている。
「かっわいい!」
亜理紗が叫ぶ。彼女を見るとうっとりとそのぬいぐるみを見つめている。
俺はそんな亜理紗に一瞬見とれてしまい---次の瞬間、つい口走ってしまった。
「取ってやるよ−−−佐野、協力頼む」
「了解」
笑いながら佐野が答えた。
2人で狙う場所や、同時に引き金を弾くタイミング等を相談した。
そしてそれぞれ銃を構えて、『特等』と書かれた的を狙う。
『せーのっ』と言う掛け声と共に、同時に引き金を弾いた。
−−−パンッ! パンッ! −−−
渇いた破裂音と共に、『特等』の的が落ちた。
「やったぁ! 凄いじゃない、2人共」
黙って見守っていた井上が嬉しそうに叫ぶと、ハイタッチをしてきた。
それに答えた後、俺は店のオジサンから渡されたぬいぐるみを、亜理紗の方へと差し出した。
「ほら…亜理紗」
「いいの? 貰っても」
彼女は遠慮がちに受け取りながら尋ねてきた。
その様子に俺は苦笑すると彼女の方を見る。
「俺が持ってたら気持ち悪いだろ……」
「ありがとう! 大事にするね」
俺にそう言って微笑むと、ぬいぐるみを抱き締めて頬擦りをしている。
そんな亜理紗を見て、俺は少し幸せな気持ちになった。
「ねぇ、もうそろそろ帰ろうか」
井上が夜店を出た時、そう切り出した。
「そうだね……お祭りも終わる頃だし」
亜理紗もぬいぐるみを抱えながら頷いている。
そんな亜理紗に井上が何か小声で話し掛けている。
女同士でしばらくこそこそと話し合いをしていたが、突然井上が亜理紗の手を握りながらお礼を言っている。
何の話をしてるんだ? 亜理紗の顔が心なしか赤くなってるような?
俺の疑問が解決することはなく、そのままお開きとなった。
「じゃーね! あ、藤堂君、亜理紗--ちゃんと送ってよ」
井上は笑いながら命令口調で俺に言うと、佐野と2人で俺達とは反対方向へと帰って行く。
「バイバーイ! 月曜日にねぇ」
亜理紗が2人に手を振ると、2人は振り返り俺達の方へ手を振り返した。
「じゃ……俺達も帰るか」
「うん」
「あ、それ……貸せ………俺が持つ」
俺は亜理紗が抱いていたぬいぐるみを、彼女の腕から取り上げる。
亜理紗は本当に嬉しそうに、俺に向かってほほ笑みながら礼を言った。
「あ、ありがとう……この子、貰って嬉しかった。本当に大事にするね」
「どういたしまして……しかし、こいつ抱き心地いいな。俺、持って帰ろうかな」
俺の言葉に亜理紗は戸惑った表情で黙り込んでしまった。
それが可笑しくて、思わず噴き出した。
「冗談に決まってんだろ! ぬいぐるみなんか抱く趣味ないよ」
見るからに安心した様に表情を緩めた。それをみた瞬間、つい言葉が零れた。
「目の前のやつならいいけど……」
「え?」
自分でもその言葉に驚いて一瞬固まった。
---良かった、聞かれてない---
亜理紗に聞かれていなかった事で、俺はホッと安堵した。
「---何でもない。帰るぞ」
そして亜理紗の家まで2人、何もしゃべらず歩いて行く。
言葉は無かったけど、2人の間には優しい空気が流れていてとても居心地が良かった。
亜理紗の家の玄関まで来た時、俺はぬいぐるみを彼女に手渡した。
「じゃ…な、月曜日に」
「うん、今日はありがとう。楽しかった」
「亜理紗……」
「はい?」
微笑みを浮かべたまま亜理紗が俺を見上げる。
「藤堂君?」
「今日はごめんな……いきなりキスして。つい……ホントごめん」
俺は先程からどうやって謝ろうかと思っていた事を口にした。
亜理紗の表情から笑顔が消えて、寂しい様な悲しい様なものに変わった。
「……いいよ、今日はこの子に免じて許してあげる。でも、もうそんな『つい』で私にキスしないで」
ぬいぐるみを抱き締めながら亜理紗が答えた。だけど表情はぬいぐるみの陰になってよく見えない。
「亜理紗……俺…」
俺は今の気持ちを伝えようとしたが、亜理紗はそのまま俺に背を向けて家に入ろうとしている。
「疲れちゃった……送ってくれてありがとう。月曜日にね」
背を向けたままそう言われて、俺は拒絶されたと思った。
今は何を言っても無理だろう。
俺は亜理紗の背中に向かって声をかけた。
「あぁ…おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女は1度も振り返らずに、家の中へと入って行った。
そして俺はひたすら自己嫌悪に陥りながら家路についた。