- 彼の事情 - ~ずっと一緒にいたい~
「ねぇ……私、ありさ。あなたは?」
拓実さんの家に優勝のお祝いで呼ばれた俺は、そこで初めて見る女の子に声を掛けられた。
「え? 俺?」
その女の子はにっこりとほほ笑んで頷いた。
--- かわいい ---
色が白くぱっちりとした二重の瞳は灰色がかっていて、髪の毛は綺麗な赤毛だった。
俺が今まで見た女の子の中で1番可愛いと思って見とれていると、その子が首を傾げた。
「ねぇ? 名前はなんて言うの?」
「あっ! しゅう! とうどう しゅう」
「……しゅう君? 初めまして」
「は、初めまして」
女の子が俺に笑顔を向けた時、何故か胸がドキドキした。そんな事は初めてで俺は戸惑った。
そんな俺には気づかない女の子は更に話し掛けてきた。
「しゅう君も空手するの?」
「う、うん、まだ始めて1年位だけど」
「凄いね! 私、運動は苦手なんだ」
そう言って、女の子は拓実さんの方を見た。
「拓ちゃん、すごいよね。優勝って……強いんでしょ?」
「うん、道場で1番強いと思うよ。俺、憧れてるんだ」
そう言った俺を見て、女の子は嬉しそうに笑った。
「私も、拓ちゃん、大好き!」
その彼女の言葉に、何故か俺は胸が苦しくなって、つい言ってはいけない言葉を呟いた。
「お前の髪の毛……変な色だな。目の色もみんなと違うし……」
次の瞬間---俺は自分の言った言葉に後悔した。その女の子の瞳から涙が溢れてきたから……
「--- あ…」
「亜理紗っ! 柊、亜理紗に何を言ったんだ?」
謝ろうとした時、拓実さんが慌てた様にその女の子の方に近づいてきた。
彼女は両手で顔を覆って泣いていた。
俺は謝るタイミングを失ってしまい、泣いている彼女を見ているしかなかった。
「柊っ!」
「……髪の毛が変な色だなって……目の色もみんなと違うって」
俺の言葉に拓実さんの表情が変わった。周りにいた人たちも俺達を見ている。
「柊……お前はもう帰って……亜理紗、大丈夫だよ……気にするな」
拓実さんは女の子を慰めながら、2人は部屋を出て行った。
「柊、今日は帰った方がいいと思う」
声をかけられ振り向くと、悠莉が立っていた。怒った様な表情で俺を見ている。
「わかった……」
周りの視線がいたたまれなくて、俺はすぐに拓実さんの家から帰った。
翌日、俺は女の子に謝りたくて、拓実さんの家に行った。
「あら……あなたは昨日の…」
玄関に現れたのは拓実さんのお母さんで、今日は拓実さんはいないと教えられた。
「あの…拓実さんじゃなくて…その…」
俺が言いにくそうにしているのを見て、お母さんは気づいたらしく『あぁ、もしかして』と呟いた。
「亜理紗ちゃんに会いに来たの?」
「はい……昨日の事を謝りたくて…」
そう言って、俯いた俺にお母さんは申しわけなさそうに言った。
「ごめんなさいね……亜理紗ちゃんは、昨日ご両親が迎えに来て家に帰ったの」
「そうですか……」
俺は頭を下げて拓実さんの家を出た。
--- 俺、馬鹿だ。何であんな事言ったんだろう ---
本当は彼女の髪の色も、目の色も綺麗だと思った。見とれていたのに、何であんな傷つける様な事を言ってしまったんだろう。
俺は道場で拓実さんに会う時まで、ずっとあの時の事を思い出しては苦しい気持ちになっていた。
「拓実さん……」
「柊」
久しぶりに道場で顔を合わせた俺は、すぐに拓実さんに声を掛けた。
だけど、次に言う言葉が思い浮かばずにただ黙って俯いていた。
「…お前、家に謝りに来たんだってな」
拓実さんの言葉に顔を上げると、真っ直ぐに俺を見ていた。
「あ、はい…どうしてもあの子に謝りたくて……俺…」
「大丈夫だ、亜理紗はもう気にしてない。だからお前も気にするな」
そう言って、拓実さんは俺の肩をポンと叩くと、練習に戻って行った。
拓実さんの言葉に安心した俺は、その後すっかり忘れていた。
「あれは……亜理紗だったんだ?」
「そうだよ。だからお前には近づけたくなかったんだ。それなのに悠莉の奴」
腹立たしげに拓実さんは呟いた。
「拓実さん、俺、ホントに亜理紗が好きだ。彼女の傍に居たいんです。小さい頃の事はちゃんと謝ります、だから……」
「俺は、出来ればお前を近づけたくない」
有無を言わさぬ態度で拓実さんは俺を見た。
「……だけど最近は悠莉の代わりに亜理紗を変な男から守ってくれてるんだったな。それは感謝してる」
返事出来ずに俯いている俺に、拓実さんは更に言葉を続けた。
「でも…付き合う事は賛成出来ない……」
「拓実さん……」
俺は言葉が見つからず、ただ拓実さんを見ていた。
「亜理紗が本当にお前を好きか、お前が本当に亜理紗を好きか……もう少しお互いの気持ちを見てもいいんじゃないか? それでも好きだって言うなら……考えてやるよ」
そう言うと、拓実さんは帰って行った。
翌日、教室に着くと佐野が『栗原がお前に会いに来てたぞ』と言った。
「亜理紗が…?」
恐らく昨日の件だよな---
「昨日、あれからどうなったんだ? 仲直り出来たか?」
佐野が訊ねてきた。
「あぁ、亜理紗とは誤解が解けて仲直り出来たけど……」
「けど?」
「難関がやって来た」
「はぁ? 何だ、それ!」
首を傾げながら佐野は俺の返事を待っていた。
何て言おう?
「亜理紗の従兄弟がやって来て、仲を認めないって言われた」
「従兄弟ぉ? 何で従兄弟が関係あるんだよ。お前と栗原の問題だろうが。何? お前はその従兄弟に言われた通りにするのか? 諦めるのか?」
「諦めないよ。って言うか、拓実さんに絶対認めさせる」
俺の言葉に佐野は安堵した様に、息を吐いた。
「なら良いけどさ……香里も心配してたし…俺達で出来ることがあるなら協力するから」
「ありがとう」
そう言うと、佐野は笑って自分の席へと戻って行った。
「柊…」
俺が売店で昼食を買って佐野達が待つ教室へ戻ろうとした時、悠莉に呼び止められた。
「悠莉」
「ちょっと、良い? 話したいんだけど」
昨日の事だろうな---そう思った俺は頷くと、悠莉の後をついて行く。
裏庭迄来た時、前を歩いていた悠莉がいきなり振り返った。
「柊……昨日は拓実ちゃんとどういった話をしたの?」
「拓実さんに小さい頃の事を聞いた。俺……まさか、あの時の女の子が亜理紗だったなんて」
「気づいてなかったんだ」
俺がそう答えると、呆れたように悠莉が呟いた。
「あぁ……拓実さんに言われて、あの頃の亜理紗と今の亜理紗が一致した」
「あの時の事がきっかけで、亜理紗は自分の外見にコンプレックスを持ったのよ」
「だから……あんなに自分に自信がないんだな……俺の所為だ…」
俺はポロポロと涙を流した小さい頃の亜理紗を思い出し、思わず俯いた。
そんな俺の耳に悠莉の溜息が聞こえた。
「今更…そんな事言っても仕方ないわよ。それより、これからどうするの? 亜理紗と付き合っていきたいんじゃないの?」
それは勿論そうだけど、拓実さんの言葉を俺は昨日一晩中考えていた。
俺の言葉で傷つけて、彼女の自信を失くした。そんな俺はまた彼女を傷つけるかもしれない---実際自分の下らない嫉妬で、彼女を泣かせた。
「……俺に、そんな資格ないだろう? 亜理紗を傷つけたのは俺だ」
「でも、亜理紗はあんたにいて欲しいのよ。それを撥ねつけるの?」
「くっ……」
「ねぇ、柊……私は2人が一緒にいたいのなら、拓実ちゃんを説得してもいいと思ってるんだけど? あんたはどうしたいの? 亜理紗といたいの?……それとも諦める?」
「何で……悠莉、俺に協力しないんじゃなかったのか?」
「勘違いしないでよ……私は亜理紗の味方なの。あの娘があんたの傍にいたいって言うなら協力したいの。ただそれだけよ…あんたの為じゃない」
悠莉は真っ直ぐ俺を見て言った。
「俺は---亜理紗の傍にいたい。あいつを守りたいと思ってる」
俺は正直な気持ちを告げた。そんな俺に悠莉がホッと息を吐いた。
「…判った、拓実ちゃんの事は任せて。あんたは亜理紗とちゃんと話しなさいよ。っていうか、ちゃんと告白しなさいよね。有耶無耶にしたら許さないから!」
「何だよ、それ。当たり前だろっ」
俺は柄にもなく、顔が赤くなっているのが判った。
悠莉は面白いものを見たとばかりに、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
--- あぁ、でもよく考えてみれば、俺は亜理紗に『好き』って言葉を言った事がない ---
その事実に気づくと、俺は亜理紗に告白する事を心の中で誓った。
「それじゃ、話はこれで終わり……今日はちゃんと亜理紗を家まで送ってよ」
「判ってる」
俺達はその場を離れて、お互いの教室へと戻った。
「亜理紗…いる?」
授業が終わると、俺はまっすぐ亜理紗の教室へと向かった。
亜理紗は帰る準備をしていた様で、俺の声に顔を上げると返事をした。
「あ、はい」
そばに西平や井上がいて、俺達を冷やかすような笑みを浮かべて見ていた。
「帰るか?」
俺が2人の視線を気にしながらもそう言うと、亜理紗は頷いた。
学校を出て暫くすると、後ろを歩いている亜理紗が俺を呼んだ。
「あの……藤堂君」
「ん?」
その声に振り返ると、彼女は何も言わずに黙って俺を見ていた。
「……亜理紗? どうかしたのか?」
何も言わない亜理紗に俺はそっと声をかけた。
「亜理紗?」
「昨日……拓ちゃんに何言われたの?」
真っ直ぐ俺の顔を見ながら亜理紗が聞いた。
俺はその質問に、小さな声で呟いた。
「拓実さんに『お前に亜理紗は任せられない』って、怒られた」
「それって……私が小さい頃、藤堂君に泣かされたから?」
「亜理紗……覚えてるのか?」
俺は驚いて、亜理紗を見た。
「あ…ううん、昨日、悠莉に聞いて……私は全然覚えてなくて、ごめんなさい」
「謝らなくていいよ…って言うか、覚えていなくて、俺はホッとした。俺の方こそお前に変なトラウマを残して…悪かった」
「トラウマ?」
「ああ……だって、お前いつも自分に自信が無いだろう? ---自信持っていいよ、お前は可愛いし性格も良い---お前に告白してくる奴は少なくともお前の事をホントに好きだと思う」
「……ホント?」
亜理紗の問いに、俺は頷いた。そんな俺に亜理紗は更に訊ねてきた。
「藤堂君は……私の事、どう思ってるの?」
「え?」
一瞬、言葉に詰まった俺は、亜理紗から視線を外した。
そして一呼吸おくと、俯いていた亜理紗を見ながら言葉を紡いだ。
「……俺は、亜理紗の事好きだよ。最初は男の気持ちを弄ぶような奴だと思ってた…だけど、悠莉に言われて亜理紗の彼氏のフリをしてお前の事を知って行くうちに…好きになってた」
亜理紗が驚いた様に、俺を見上げた。
--- やばい、今絶対、顔が赤くなってる! 俺…… ---
だけど、見上げている亜理紗の頬がほんのりと赤くなっていて、可愛いその表情から目が離せない。
お互いの視線が絡み合う。
「だけど---悠莉から俺の言葉で亜理紗が傷ついたのを知って、俺が傍にいていいのか判らないんだ…俺は亜理紗の傍にいたいけど、拓実さんの言う様に泣かせる様な奴が亜理紗の傍にいるのはどうかと……」
「わ、私はっ……藤堂君が好きなのっ! ……その、多分初恋だと思う…だからっ、もしも嫌じゃなかったら……私の『彼』になってほしい。拓ちゃんなんて関係ないっ」
亜理紗の目からポロポロと涙が零れた。
「俺で……いいのか? 亜理紗」
「藤堂君が好きなの……藤堂君以外の人は嫌…」
俺の問いかけに、亜理紗は涙を零しながら答える。
俺はそんな彼女の頬をそっと掌に包み込んだ。
「……亜理紗」
「うっ…ひっく、お願いだから一緒にいて?」
必死に訴える亜理紗がいじらしくてその頬を撫でると、彼女の唇へ自分の唇をそっと寄せる。
一瞬---掠る様に触れると、すぐに俺は彼女から離れた。
亜理紗は驚いた様に、目を見開いている。
「いいのか? 俺で?」
俺が訊ねると、亜理紗は俺のシャツを握りしめた。
「ん…藤堂君がいいの」
「俺、拓実さんに言われて、あの時の女の子がお前だって気づいた……泣かせた事は悪かったと思ってる。ガキだったんだからそこは許して欲しい。だけど、俺はあの時---初めて会った赤毛で灰色の瞳の女の子に見とれてたんだ。すっごく可愛いその子が俺に話し掛けて来た時---嬉しすぎて舞い上がった。そしてつい、傷つける様な事を言ってしまったんだ。その後、謝りたかったのにもう2度と会う事はなかった」
「嘘……」
俺の言葉に亜理紗は疑う様な視線を向けた。
「ホントだよ……思えばあれが俺の初恋だな。うん、一目ぼれだった。だからかな……高校に入って亜理紗を見た時、凄く気になった。目がお前の姿を追ってた。だけど、噂を聞いてしまってからは、自分の気持ちが判らなくなった……今は、悠莉に感謝してる」
俺は、亜理紗をそっと抱き締めた。
「私も、悠莉に感謝しなきゃ」
そう言うと、亜理紗は俺に腕を回して抱き付いてきた。
「拓実さんには、何としても許してもらうから……それこそ土下座でもするさ」
「だったら、私も一緒に土下座する」
「いや……亜理紗がそれしたら、俺が余計怒られる。大丈夫だよ……いざとなったら決闘でもするから」
「決闘?」
ビックリした様な亜理紗を見て、俺は微笑んだ。
「そんな、心配そうな顔しなくても大丈夫だよ。拓実さんは話せば判ってくれるだろうし、悠莉も説得してくれるって言ってた」
「悠莉に感謝しなきゃ……」
「そうだな。あいつが何か困った時には、助けてやらなきゃ……って言うか、あいつに助けって必要なさそうだけど」
「そんな事ないと思うよ……悠莉にだって好きな人はいるんだし、出来れば上手く行く様に私、協力しようと思う」
「へぇ、あいつにもいるんだ? 好きな奴、誰だろ?」
俺が冷やかすように言うと、亜理紗が怒った様に俺を見た。
「駄目! 女の子の恋心をからかうのは……いくら藤堂君でも許さないから」
「大丈夫だよ、俺だってそこまで馬鹿じゃない……あいつには本当に感謝してるんだ。困ってたらちゃんと相談に乗るよ。決してからかったりなんてしない」
「うん、信じてるから」
「亜理紗、これからもずっと一緒にいような」
「はい、よろしくお願いします」
俺達はそう言ってほほ笑み合った。
拓実さんと言う難関はまだ残ってるけど、亜理紗とお互いの気持ちを確認できたんだから、何が何でも認めてもらう。その為には悠莉にだって協力して貰うし、勿論俺自身も頑張ろう。
でも今は、亜理紗を抱き締めながら、両想いになったという幸運を噛み締めていようと俺は思った。