幸せに繋がるこぼれ話 〜リナエルとアルフレド〜
隠れ屋のように小ぢんまりとしたバラ園。白い丸テーブルに、肘掛け付きのゆったりとした長椅子。
うららかな木漏れ日の下、額にゆらめく葉かげを受けて、その人はとても気持ちよさそうにうたた寝をしていた。
(あっ……あのかたは?)
驚いたリナエルは、とっさに庭園の飾り柱の影に隠れた。そこから顔だけ出して、そうっと覗く。
消えていない。まぼろしでも妖精でもない。ちゃんと生身の男性だ。つややかな黒い前髪が風にそよぐ。瞳の色はわからない――
おとなの男の人をまじまじと眺めるなんて、はしたないことだとわかっていたけれど。息を詰めていたのか、ほうっと溜め息が漏れた。
なんて。
なんて……
「か」
「リナエル、そこにいるの?」
うしろから、つい最近お友だちになったばかりの王子様の声が聞こえる。
でも、でも。
それどころではなかった。
(……かあぁっっこいい!!)
くちをぽかんと開け、リナエルは心のなかで叫んだ。
◆
ブラン辺境伯の長女リナエルは、先の雪解月に十歳の誕生日を迎えたばかり。
この国の貴族子女はだいたいこれくらいから家庭教師を招いた本格的な教育が始まる。その監督はおおむね母親がつとめるのが慣わしだ。
けれど同時期、辺境伯夫人のメアリは、リナエルの弟か妹を身ごもった。めでたくはあるが、それはひどく重い悪阻の始まりでもあった。
もちろん、館には女主人のメアリを補佐する者も、リナエルが幼いときから面倒をみてくれるメイドもたくさんいる。
が、水まで戻してしまうようになったメアリはどんどん痩せ細り、家族すら面会謝絶。リナエルは、心配と寂しさでどうしようもなくなった。
そんなとき。
『よかったら、しばらくご息女をお預かりしましょう』
と、書面で名乗り出る人物が現れた。
そのかたこそ、この国の王妃。御名をオーガスタ・ベリル・ノートルデン。
知らせを聞いたリナエルは仰天したが、教えてくれた父いわく、母のメアリとオーガスタ妃は幼いころから旧知の仲。互いに領地が隣り合う南部の出身で、そもそも大親友という。
ありがたいことにその縁は続いており、メアリは悪阻の合間に相談の手紙を書いたのだとか。
以降、トントン拍子に話は進み、現在は春の百花月。
リナエルはノートルデン王国の都、バレスの絢爛たる王宮に滞在している。
◆
「大丈夫? リナエル。今日はぼうっとしているね。無理はしないように」
「! アルフレド殿下。あ……いえ、平気です」
ありがとうございます、と、リナエルは小首を傾げてはにかんだ。
昼を過ぎたひととき。それぞれの侍女や侍従を伴って王宮の廊下を歩く。
――光栄なことに、すでに基本的な素養は身につけつつあるリナエルは、科目によっては王子殿下と同じ講義を受けさせてもらえた。午前は王国の地理と風土。
講師は王宮お抱えの高名な学者で、内容は子ども相手にしてはかなり高度なもの。
それでも面白いので、いつもなら夢中でのぞむのに。リナエルは朝からぼんやりしていたことを反省する。
「怠慢でした。午後から切り替えます」
「いや、そこまでは……? ほら、次はダンスだし」
「はっ! そうですね」
リナエルの顔が、とたんにぱあっと華やぐ。
体を動かすのは好きだし、領地では執事が練習相手をしてくれた。でも、同年代の子と踊るのは初めてだ。
わくわくと菫色の瞳をきらめかせる少女に、第一王子アルフレドは、にこっと白い歯を見せた。
「よかった。元気になって」
「あ、ええと」
「練習でこんなに愛らしいレディと踊れるなんて幸運だよ。よろしくね」
「は、はい。こちらこそ……」
窓から降るやわらかな陽射しだけではない、光輝あふれる王子の笑みに、リナエルはもじもじとする。
連れ立って歩く新緑の若芽のようなふたりに、お付きの者たちは、ほっこりと視線を和ませた。
――――――
(それにしても、あのかた。どこかでお会いしたような……?)
午後はきちんと集中してがんばれた。
ダンスのレッスンは初歩からの復習をひととおりこなし、最後に一曲だけ王子と踊らせてもらえた。
リナエルは必死で「殿下の足を踏まないように、ぜったい踏まないように」と祈りながらの滑り出しだったが、始まってすぐに杞憂は吹き飛んだ。ひとつしか違わない王子のリードが上手すぎて、にこにこするほど楽しかったのだ。踊り終えたときはダンスの先生も「たいへん良かったですよ」と、褒めてくれた。
そのあとは午後のティータイムに合わせて行儀作法のレッスン。王子は所作も流れるようにうつくしく、リナエルはついつい見とれていた。
――そこで、“彼”を思い出したのだ。
見つけたのは昨日。
自由時間に王宮の庭を散策した折、偶然迷い込んだ場所だった。
たまたま植え込みの葉が薄くなった箇所があり、リナエルはいたずら心で通り抜けた。その向こうにバラ園があった。
第一印象で「隠れ屋のよう」と感じたのは理由がある。王宮の庭はどこもかしこも整えられ、おそらくはどんな貴人の鑑賞にも耐えうる隙のなさがあった。
が、くだんのバラ園は、植え込みのほつれ(※リナエルの身長を考えれば仕方のないことかもしれない)然り、のびのびとした枝張りの樹木然り、気取らない居心地の良さがあった。
たとえばリナエルの母――メアリの実家へ遊びに行ったときのような。
「……様、リナエル様?」
「あ、はい!」
作法の先生である夫人に名を呼ばれ、リナエルはびくっと背を正す。淑やかな初老の夫人は、あらあらと眉を下げた。
「思わしげなご様子ですね。むりもないこと。でも、お母君は大丈夫ですよ。先日、妃殿下が医師を遣わしておいででしたからね」
「!! そうなのですか? 大変っ。わたくしったら何のお礼も申し上げず、今朝もお目通りを」
リナエルはおろおろと慌てたが、隣に座ったアルフレドはティーカップを受け皿に置き、そっとリナエルの横顔を窺う。
「落ち着いて、リナエル」
「殿下」
「これは嘘じゃないんだけど、母上はリナエルのことが大好きなんだ。だから、元気かどうか毎日様子を確かめたいと仰って」
「えっ」
「自分の執務に合わせて、わざわざ君の起床時間を早めてるんだよ。本当ならもう少しゆっくりしてもらっていいのに」
「えぇ……そんな。まったく気が付きませんでした。その、家でも朝は早かったので」
「そうなんだ」
「はい。去年、父が仔馬をくれたのです。かわいくて、朝だけでも自分でお世話をしたくて」
「なるほど……」
思案顔のアルフレドは、ぱちりと瞳を瞬いた。そうすると凛々しい目元に長い睫毛と青い双眸が映え、とても麗しく映る。
ぼうっとしたリナエルは、(やっぱり似てる)と思った。
――王子殿下とバラ園の君。それに妃殿下。
年齢も性別もバラバラの彼らの共通点は、髪色と、この麗しさなのだ。
ただしアルフレド王子は青い瞳。妃殿下は緑の瞳。バラ園の君はわからない。
(アルフレド殿下に兄君はいらっしゃらないはず。では、王妃様のご係累かしら)
こんこんと考え込むリナエルに、王子は不思議そうに首をかしげる。
「リナエル。僕の顔になにか付いてるだろうか」
「いいえ。あの……殿下。いま、この王宮にどなたか逗留していらっしゃいますか? わたくし以外で」
「……いいや。客人はきみだけだよ」
「そうですか」
心なし、スン、と表情を消した王子に、リナエルはしょんぼりとする。
結局、その場は夫人のとりなしで別のお茶が注がれ、追加の果物も運ばれて話題は有耶無耶に。
ゆるやかに時間がほどけた。
✧◆✧◆✧
「ご報告申しあげます。妃殿下」
「どうぞ」
その夜。
急な書類仕事をさばいていた王妃オーガスタのもとへ、子どもたちの講師につけた夫人がしずしずとやって来る。
淡い金髪にところどころ白髪の混じる夫人は、おだやかに述べた。
「昨日、ブラン辺境伯令嬢リナエル様が、お休み中の貴女様をご覧になりまして」
「ふんふん?」
「お庭を散策なさっていたようにございます。追いついた王子に、リナエル様は『憧れの君です! あちらに!』と、たいそう興奮しておいででした」
「あら……」
「いたいけなことでございます」
「そうねえ」
くつりと上げる唇に紅は引かず、それでもなお麗しい。付け毛を外し、動きやすい男性の装束で政務に勤しむオーガスタの髪は短い。
――そう、バラ園の君は王妃の素の姿だった。
オーガスタは書類から顔を上げ、楽しそうに微笑む。
「ひょっとして、私はあの子を負かしてしまったのかしら」
「王子は『憧れの君』を確認することなく、恥ずかしがったリナエル様の手で連れて行かれましたので。なんとも……」
「勝ったわ」
「妃・殿・下」
「あら、ごめんなさい」
「まったく。手の付けようのないお転婆でいらっしゃる」
「かつての妃教育、誠に大変でしたものね。マードック夫人」
「貴女様が仰いますか」
夫人が頭を振ると、オーガスタは声をあげて笑った。
その仕草はどこから見ても華やいだ紳士。女性にしては低めの声も、しっとりと落ち着いて聞こえるから不思議である。
嘆息した夫人は、やれやれと苦笑してから退出の礼をとった。
「メアリの子……いい子なのよね。うちに来てくれたらいいのに」
書類仕事を終え、窓辺に立てば夜空には煌々と白い月。一瞬、ちかりと光る流れ星を見た気がした王妃は目を瞑った。
願うのは、そう。
ひとまずは親友のお産が安らかであるように。
――愛しいものたちの、健やかなる日々を。
fin.




