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あの日、仮面の奥に触れた

作者: 和柴
掲載日:2026/04/17

他人に合わせることでしか生きてこられなかった高校生・鎌田修人。

入学式の日、彼は一人の少女に出会う。


「君、偽りの言葉しか使っていないよね」


初対面でそう言い放った神澤結奈は、修人の“仮面”を見抜いていた。

取り繕ってきた日常は、その一言で静かに歪み始める。


やがて訪れる林間合宿。

逃げ場のない状況の中で、二人は互いの隠してきたものに触れていく。


これは、嘘で自分を守ってきた少年と、すべてを見抜く少女が、本当の自分と向き合う物語。

息苦しい。首元を手で触るが、何も異常はない。

今は入学式の途中なのだ。深呼吸を静かに行った。

「鎌田修人」

名前を呼ばれて、「はい」という返事と共に立ち上がった。周りの生徒の視線が、俺に降り注いだ。背中が汗で滲む。―目立っていないか。それだけが、頭の中を駆け巡っている。

早く終わってくれ。俺は手を合わせ続けた。


「修人は何が好きなの?」

「映画鑑賞かな。よく、映画館に行くんだ」

「へぇ、俺はサッカー観戦が好きなんだよね。今度一緒に見に行こうぜ」

「いいね」

言ってから、少しだけ間が空いた。

昔、父親に連れられて見に行った野球を思い出す。ルールも分からないまま、ただ座っていただけの時間。

「結構好きなんだよね、スポーツ」

「なら、他の連中も呼んで見に行こうか。今週の土曜で良いよな」

適当に相槌を打ち、時々笑う。

「で、修人はどう思う?」

「ごめん。もう一回言ってくれる?」

一拍置いて、答えた。周りの視線が、少しだけ刺さった。

「部活動見学の時間だから、教室から出て良いよ」

周りの人達はそれぞれ見学しに行くようだ。グループのメンバーが教室から出るのを確認して、俺も教室を後にした。

小雨が降り始めている。手の甲に細かな水滴が着き始める。先輩たちが、校舎の前で必死に勧誘活動をしている。

イヤホンを耳に差し込む。自分の好きな音楽の世界に入り込んだ。校門まで、そうして真っすぐ進んだ。雨にイヤホンが濡れている。急いで、カバンの中に仕舞いこむ。このまま、家に帰ってもいい。だけど、誰もいない家に帰っても寂しくなるだけだ。

だったら、この辺を歩き回った方がいい。

見覚えの無い道をひたすら、直進する。コンビニやカフェを無視して、ひたすら歩く。幸いにも、今日は入学式だ。時間はまだある。

どれくらい歩いただろうか。肩の力が抜けていく。突然、ザアーっと雨が体に当たりだした。

小走りで、来た道を戻った。途中に小さな公園があった。

「何しているんだろうな」

誰もいない公園で、一人呟いた。今すぐ家に戻ればいいのに、足が動かなかった。

木製の屋根の下に、テーブルが一つ。長椅子に挟まれて、置かれている。

年季が入ったテーブルに突っ伏した。雨音が一定のリズムを刻んでいる。寝る訳では無い。こうして、目を瞑っているだけでも心が休まるのだ。濡れた制服が、体温を確実に奪い始めている。身を出来るだけ寄せた。

コツ、雨音に交じって異音が聞こえた。その音は段々と近づいてきた。

顔を上げると、反対の長椅子に影が見えた。ぼやけた視界の中で、黒髪だけがはっきりと見える。

「君は…」

言葉が続かない。見つめる事しか出来ない。

「かんざわゆな」

透き通った声が聞こえた。

名前なのだろう。漢字がすぐに思いつかなかった。直ぐに、神澤結奈と変換した。

「その制服、俺と同じ学校でしょ。何でこんな人気の無い公園に来たんだ」

「こっちのセリフだよ。鎌田君」

自己紹介したかな、なんて聞く気にならなかった。神澤は文庫本を開いた。ページをめくる動作は、機械のように一定のペースで行われていた。

教室でプリントを後ろに回した時だ。彼女を見たのだ。艶やかな髪、可憐な顔。正直、ドキっとした。「ありがとう」、そう言った彼女は微笑んだ。笑顔のはずなのに、目が笑っていなかった。

「神澤だったね。ごめん、忘れていたよ。後ろの席だから、話す事も…」

「…君さ」

不意に、俺に被せて口を開いた。

「偽りの言葉しか使っていないよね」

思考にロックがかかる。

「全部、作っているでしょ」

淡々とした声だった

否定しようとした。でも、何も言葉が浮かばなかった。

「悪いとは言っていないよ」

神澤は、静かに続けた。

「実際そういう人、多いし」

初めて、彼女の目が俺を捉えた。

「でも君は、限度を超えてしまっている」

「…そんなこと」

言い返そうとした。続く言葉が出てこない。否定の言葉が何も思いつかなかった。

「それで生きているつもり?」

雨の音が、少しだけ強くなった気がした。

「…俺、そろそろ行くよ」

逃げるように、立ち上がった。濡れたブレザーが、以前よりも重くなっていた。

背中にまとわりつく視線を感じた。

振り返れば何かが変わってしまいそうだ。だからこそ、振り返ることは無かった。


相槌を打ち、相手の話を聞く。大人の前では、目立たず都合が良いように振る舞う。以前と変わらないはずだ。俺はトイレの鏡で、自分の顔を確認した。

笑顔、口角の角度も問題ない。少し崩れた前髪を直して、トイレを後にした。

教室に戻ると、入学式後に仲良くなったグループが俺の席に集まっていた。どうやら、ペットボトルを投げて、立たせることに夢中らしい。

「修人もやるだろ」

坊主の男がにやにやしていた。机の上には小銭が綺麗に積み重なっている。

単純なギャンブル。それも、頭の悪い。俺は冷ややかな視線を向けそうになった。しかし、直前で目を細めるのを辞めた。

「ごめんけど、家に財布忘れたから参加できそうにないな」

「そうか」と坊主の男は俺に興味を無くしたようだ。そういえばコイツの名前って何だっけ。

俺は遠目で賭博の様子を眺めた。途中から、後ろにいた女子グループも参加し始めた。

神澤も少し離れた位置から見ていた。「上手」とか「すごすぎ」と適当な誉め言葉を呟いている。

どうやら、俺と同じで参加する気は無いようだ。

目が合った。

先程まで、彼らに向けていた暖かみは無い。お互いに目線を逸らす。何事も無かったように、観戦に戻った。

公園での一見以来、神澤と一対一で話す事は無かった。集団の中で話す時は、俺に対して笑顔が向けられる。―口角だけを上げて

部活には所属しなかった。周りには帰宅部である事をいじられた。正直、この手のいじりは美味しい。集団において、自分のペースに持ち込めるからだ。

「お前、林間合宿の相方誰になった?ちなみに、俺は男だった。それも、別のクラスの陰キャ」

坊主の男は肩を落とした。

6月の頭にこの学校では林間合宿が行われる。一年生の中でランダムに相方が選ばれ、様々なアクティビティに挑戦する。

「もう確認できたんだ。担任から連絡が無かったから、まだ先かと思ってた」

「掲示板に貼られてるんだよ。朝話題になったのに気づかなかったのかよ」

あきれ顔をした坊主に連れられて、廊下の掲示板の前に来た。部活勧誘の紙、大学のポスター。それに大きな紙が一枚貼られていた。

自分の学生番号を上から探していく。真ん中に自分と相方の番号が並べられていた。

251207、251208。ランダムと聞いていたはずなのに、自分は後ろの番号の人と組むらしい。心臓がきゅっとなった。

「おい、まじかよ。お前が結奈の共同作業相手かよ」

口が乾く。「あぁ」と掠れた声を出した。

「羨ましいぜ。あの森山が狙ってるくらいの女だからな」

坊主の男が「まぁでも」と続けた。

「お前が結奈と結ばれることにはならんか。勘違いして、変な事すんなよ」

「何もしねぇよ。任せとけ、俺は紳士だからな」

授業始まるからと、席に戻るように促した。喉は依然乾いている。


太陽が真上に位置している。額に汗が垂れている。家から持ってきていたタオルを肩に掛けた。

山登りを開始して30分。目的地まではまだ距離がある。いつものメンバーで途中まで登っていたが、体力に差が出始めたので相方と共に行動をする事になった。

「まだ、あの公園に通っているのか?」

学校帰りに、気になって一度あの公園を訪れたことがある。神澤は以前と変わらず、文庫本を片手に座っていた。

「まぁ、あそこは」

神澤は一拍開けた。涼しい風が俺達の間を通り抜ける。

「私の安置だから。君は侵入者でしかないの」

「悪かったな」

口を尖らせた。あの日、先に居たのは俺なのに、侵入者扱いとはひどい扱いだ。

「俺と一緒に来てよかったのかよ。あいつらと別れる前に、森山から誘われてただろ」

「そうだったかな。誰から誘われようと、正直どうでもいいんだよね」

澄ました顔で言っている。少なくとも、教室にいる時とは別人だ。いつ見ても笑っていて、2カ月足らずでクラスのマドンナ的な存在になっていた。

「なら、俺と来るべきでは無かったな。ペースは遅いし、文句を言い続けるからな」

「君は一応相方だし。それに…」

「それに?」

後半が聞き取れず、間を開けずに聞いた。「何でも無い」と、神澤は俺から目を逸らした。

無言の時間が続いた。教室では、無言でいることが得意では無かった。でも、何故か神澤とは何も話さずともむず痒くなることは無かった。

「結奈遅いぞ。早く写真撮ろうぜ」

森山が神澤に近づいた。少しだけだが、森山と目が合った。目を細めて、睨むような仕草を見せた。山頂から見る景色は登った甲斐があった。緑が一面に広がり、奥の方には民家が連なっていた。

「何話してたんだ。修人って、結奈と関わり無いよな」

森山が俺の肩に腕を回した。低音ボイスで尋ねられた。

「ほぼ話してないよ。話したとしても、自然について話しただけ」

「そうか」

森山は俺から離れて、神澤にスマホを見せていた。神澤は「やばすぎ」と笑っていた。―目をほとんど動かさずに。

バスに揺られて、森の中を進んで行く。対向車とすれ違うことなく、山奥の大きな建物に辿り着いた。どうやら、ここが林間合宿の宿泊先らしい。バスから降りて、大きく空気を吸い込む。

人が密に集まっていない空気は素晴らしい。俺はすぐに息が詰まりそうになる。もう一度、大きく空気を吸い込んだ。

トランプをしていると、担任が部屋に入って来た。食事の時間がもうすぐだから、一階のレストランに集まれとの事だ。勝負の途中だが、トランプをケースに丁寧に仕舞う。

レストランには既に大勢の生徒が席に着いていた。部屋のメンバー同士で同じ席に着くことになった。あまり話したことのないメンバーだったが、意外と話しやすかった。いつものように全てを偽ることは無いからだろうか。でも、関わるに連れて偽らざるを得ないのだろう。彼らとバイキングのご飯を選びながら考えていた。

わかめご飯、豚汁。それとハンバーグ。俺の好きな物をとりあえず持ってきた。

「食事が終わった人から、外に出てください。レクリエーションがあるので」

別のクラスの担任が大きな声で連絡をした。

「外で相方と一緒に居てください」

クラス委員長が教師に続いて言った。

俺は部屋のメンバーよりも先に食事を終えて、一人で外に出た。空は既に太陽が落ちている。

神澤は珍しく一人で居た。

「一人か?」

「皆よりも一足先に出たからね」

神澤は遠くの山を見つめている。同じように真っ暗な山を眺めた。夕方ならまだしも、暗い山を見ても目が奪われることは無かった。

「皆さんにはこれから相方と二人で肝試しに向かってもらいます。ルートはこの山道を途中に立っている看板を目印に進んでください」

周りはがやがやと盛り上がり始めた。「怖いよ」とか「まじで無理」など、各地から聞こえ始めた。

「早く行こっか。少し面倒な事になりそうだし」

神澤が俺の手を引いて、肝試しの入り口へと導いた。

「面倒な事?」

道中で聞いたが、小さな声で「君は考えなくて良い」と言われた。

五分おきに生徒を送り出すようだ。生徒会とクラス委員が協力して、今回の肝試しを計画したとのことだ。

「怖いのは平気なんだ。前に教室でホラーは苦手って言ってたけど」

「嘘はついて無いよ。怖いでは無くて、面白くないから苦手なだけ」

「ごめんけど、俺は苦手だから頼んだよ」

神澤は意外そうな顔をした後、「ふっ」と笑った。屈託の無い笑顔だった。俺の顔は熱くなってしまった。

生徒会が驚かせてきた時には、神澤はオーバーリアクションをする。設置されているタイプの驚かせには反応していなかった。俺は途中から、下しか見れなくなった。

「本当に苦手なんだ。君はホラーとかは冷笑するタイプだと思ってたよ」

「昔に見たテレビのせいなんだ」

神澤が顎に手を当てて、宙を見つめた。

「もしかして、実体験を元にしてる番組?」

「頼むから辞めてくれ」

横でずっと、神澤はニヤニヤしている。遠くで動物の鳴き声が聞こえる。体がビクッと、反応してしまった。後半に差し掛かって来たのだろう。遠くに光が見え始めた。

道中にもあったかかしが置かれている。俺は出来るだけ直視しないように歩いた。

横にいた神澤が突然傾いた。倒れた神澤は小刻みに体を震わせている。

「大丈夫か」

咄嗟に肩を揺らして、状態を確認する。神澤の唇は微かな音を漏らして、震えていた。

「包丁。そこに包丁がある」

神澤は小さな声で呟き、かかしを指さした。かかしの手元を確認すると、赤くなった包丁のおもちゃが持たされていた。

「大丈夫だ。これは偽物」

自分に刺す動作をして、本物でない事を示した。神澤は何も話さなくなった。目は虚ろで、ふらふらと歩いている。

「体調が悪い」

先生に告げて、自分の部屋に戻った。後ろから戻って来た女子に詰問されたが、包丁の件を隠して、突然体調不良になったと伝えた。

肝試しの後には特にイベントは無く、大きな風呂に入って消灯時間を迎えた。いつもと違う枕だが、柔らかく直ぐにでも寝れそうだった。枕元に置いた腕時計の針が、次々と数字を通過していった。床に入ってから、二時間は目を瞑っていただけで眠りに落ちることが出来なかった。

外の景色でも見ようと、音を立てないように廊下に出た。途中、他の部屋の笑い声が聞こえたて、体が硬直したが幸いにも、誰にも気づかれず外に出れた。

誰も居ない。それだけで、俺は羽を伸ばすことが出来る。探索でもしようと、散歩コースをゆっくりと歩いた。途中にベンチがあり、座って空を見上げた。

雲が一つも無い闇に小さな煌きが無数に散りばめられている。ただ、呆然と上を見上げていた。

「君も抜け出したんだ」

後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。体操着姿の神澤が俺を見下ろしていた。

「体調は大丈夫そうか」

「もう大丈夫」

神澤は俺の横に座った。距離が近く、シャンプーの匂いが鼻腔をくすぐった。

「ごめんね。迷惑かけた」

聞きたい事がある。包丁の事についてだ。でも、あんな反応をした神澤に酷な事を聞けない。俺は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。

「言いたい事あるでしょ。顔に書いてるよ」

咄嗟に顔を右手で触れた。

「俺からは聞けないな」

俺は軽く俯いて、続けた。

「神澤が話してくれるなら。別だけど」

「君はどうして、自分を隠すの?陽キャに憧れているのか、それとも…」

「否定するためかな」

俺は冷たく、被せるように言い放った。

「そっか。君と私ではタイプが違うみたいだね」

神澤はベンチから立ち上がって、空を見上げ始めた。

「私は自分を隠せざるを得なかった。それも、幼少の頃からずっとね」

手を組んで、神澤の声に耳を傾ける。一言一句聞き逃さないように。

「私は一度反抗しちゃったの。たった、一回なんだけどね」

再び、神澤はベンチに座った。そして、遠くをじっと見つめる。

神澤は体操着の左裾を捲った。そこには、一本の線が刻まれていた。

数秒間無言が続いた。お互いが真っすぐ前を向いている。

「俺は神澤のように事情があるわけでは無いんだ」

目を瞑って、話を続ける。

「小学校に入学した時には俺自身を否定し続けていた。それでも、偽ってはいなかったと思う。でも、高学年の頃には、人から最も好かれる自分を演じ続けていた」

神澤の方を向いた。宝石のような目と目が合った。

「流石に…」

鳥の鳴き声が響く。風が緑の葉を運んで、俺の靴に衝突した。

「限界かもな」

握っている右拳に汗が滲む。

「私も同じ」

数秒間見つめ合った。俺は顔が熱くなって、目を逸らした。

「私怖いんだ」

「何が?」とは聞けず、黙って軽く頷いた。

「築き上げた物が一瞬で崩れ去ってしまうのが」

神澤の目は赤く腫れている。数滴の涙を零れさせて

「それでも、私は逃げたい」

「行こう」

躊躇うことなく、返答をした。俺はそっと神澤の手を握った。


梅雨が明けた。ブレザーを着ている生徒はほとんど消えて、半袖のワイシャツを着ている生徒が途端に増えた。今日の授業は一時間目から数学だ。

思わずため息を吐く。

「おはよう。修人君」

肩をトントンと叩かれた。透明感のある声と共に

「おはよう、結奈。髪の毛変えたんだ」

結奈がボブの先端を捻った。

「流石に鈍感な修人君でも気づくか」

「俺ってそんなに鈍感かなぁ。大事な人の変化くらい気づけ…」

顔が熱くなった。結奈はそんな俺を見て、「ふふっ」と微笑んだ。



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