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闇しぃ太郎

小さな箱庭の中の赤い宝石〜大切な宝物

作者: しぃ太郎
掲載日:2025/10/16

※クリフォード視点を加筆しました。


 幼い頃から、父も母も家に居なかった。

 貴族の家なんて、こんなことは当たり前なのでしょう。


 父は仕事に、そして密かに通っている愛人の所へ。

 母は夜毎行われるパーティーへ出向き、酒に溺れる。


 ――こんなものよ。これが当たり前。


 そう思っていた私が、自分の出生について理解したのは十一歳の時だった。


 私の知っている大人は、皆、汚い部分を抱えていた。

 父には愛人がいて、母にも外に愛する人がいる。


 そして私は、そんな汚いものの寄せ集めとして生まれてきた。


 母によく似た緑眼。

 父と母には似ていない黒髪。


 いつだったか、父が言っていた。

 母とはただの政略結婚で、結婚前にいくつか契約を交わしていたらしい。


 前妻との間に既に子供がいるから、誰の子を産もうが関係ない。

 お互い、自由にしていいと――。


 だから、不義の子だなんて噂は、公然の秘密だった。

 よくある話で、特に珍しくも面白くもない。


 父に似ていない私は、母の事をよく知っているからこそ、どこかで理解していたのだ。


 ――やっぱり私は、不義の子なんだわ。




 ある春の日。確か、十二歳の時だ。


「ルビー!ここに隠れていたのか」


 ひょいと机の下を覗くお兄様と目が合った。

 綺麗な金髪に、空のような青い瞳。


 見つかった気まずさに視線を落としながら、私はなんて言い訳をしようか考えた。


 今日は母が主催するお茶会の日だった。

 花が綻ぶ庭園では、貴婦人とその子供たちが、楽しそうに談笑している。


 ――でも、私があの場に行くとコソコソと内緒話をするんだもの。

 お母様の機嫌もどんどん悪くなるんだもの。


「クリフお兄様。立派な紳士なら、見ないふりをしてくださる?わたしにも都合というものがありますの」


 そんな私を見て、クリフォードお兄様は顔を綻ばせる。

 当時十五歳。私の三つ上だった。


 口元に手を当てて咳払いすると、お兄様は私に手を差し出した。


「では、お嬢様?もしお手隙なら、私にお時間をくださいませんか?美味しいお菓子を用意していますので、ぜひ」


 小さな紳士が差し出した手を、その優しさを、拒める人など居ないだろう。


 その時の私だって、そうだった。

 お兄様は、私が他人から何と言われているか、どう扱われているかも、わかっていた。


「ありがとうございます。ありがたくいただきますわ」


 鼻を啜る音を聞き逃してくれ、下を向いて袖で涙を拭っても気付かない振りをしてくれた。


 私に居場所のない時、兄はいつもこうして助けてくれた。



 ◇◇◇



 兄は伯爵家の嫡男としての教育を、私は淑女教育を受けていた。

 私たちには無関心な両親のもとで厳しく教育されるうちに、お互いを戦友のように思いはじめていた。


「クリフお兄様、体の具合はどう?大丈夫?まだ顔色が悪いわ……。お水を持ってくるわね」


 私と違って、綺麗な金髪に青い瞳のお兄様。


 この家で、家族として会話ができる大切な人。

 だから、私の家族はお兄様だけ。


「心配かけちゃったね、ルビー。大丈夫、すぐに良くなるよ。治ったら、また二人で色々な本を読もう。暖かい日には外でピクニックもいいね」


 お兄様だけが、私の心の拠り所なのだ。

 ちょっとしたことでも、この人に何かあると心配で仕方がない。


「早く元気になって下さいね。この家で、お兄様の声が聞こえないのは寂しすぎます」


 お兄様とは、色々な感情を共有できた。

 寂しさ、悲しさ、そして二人で遊ぶ楽しさ。

 子供としての普通の感情は、お兄様に教えてもらった。


 昔は、本当にお兄様が理想の男の子だった。

 ――本気で結婚したいなんて思っていたの。


 私がお見舞いに行った後、お兄様の病状はさらに悪化した。

 それでも、両親が会いに来ることはなかった。


 私の中には、どこにもぶつけようのない怒りだけが溜まっていった。


 ――私は不義の子かもしれない。

 でも、お兄様はちゃんとお父様の子として生まれた嫡男でしょう!?


「お父様、クリフォードお兄様が居なくなれば伯爵家はどうするのです?何故、そこまで放っておくのですか!」


 思えば、無謀だったかもしれない。

 あの気難しい父に抗議するなど。


 けれど、不安も不満も限界まで溜まり、私の心はもう耐えられなかった。


「あれは、私の息子なんかではない。私には子どもなんて作れないんだ!お前も俺の娘なんかじゃない。俺とお前達はみんな他人だ!クリフォードもお前も、血が繋がっていない!出ていけ!」 


 十二歳の冬の初め。

 ――私は、酒に酔ったお父様から聞いてしまった。


 兄も知っているのだろう。

 こんなに口の軽い父親だ。きっと兄の前でも、同じように口を滑らせて罵ったに違いない。 


 私は、まだ熱で寝込んでいるお兄様の部屋へ向かった。

 体の弱い兄は、季節の変わり目に体調を崩しやすい。


 まだ熱が高いだろうか?

 でも、無性に兄の手を握りたかった。


 ――私達には、これからも私達だけでいい。


「ルビー……?」


 まだ熱に浮かされた兄が、ぼんやりとした目で私を見る。


「お兄様には、私がいるわ。大丈夫よ」


 幼い子にするように、頭を撫でる。

 親に甘えたことなんてない私達は、お互いに甘え、お互いを甘やかす方法しか知らなかったのだ。



 ◇◇◇



 私が十八歳の秋。

 デビュタントを間近に控えた頃、お母様が離婚して家を出て行った。


 そういう契約だったらしい。


 お兄様は、体格もすっかり大人らしくなり、体調を崩すこともなくなった。

 今や、ご令嬢や貴婦人に大人気だ。


「お兄様、デビュタントボールでは私とファーストダンスを踊ってね。それから、初めてのお酒を一緒に飲みましょう!」


「光栄だな、俺のお姫様。今のうちに沢山独り占めしておかないとね。きっと皆、ルビーの魅力に気付いて、求婚状が山のように来るだろうな」


「ふふふ。だとしても、お兄様とはずっと家族ですよ」


 兄は目を細めて、私を見る。


「そうだね。ずっと君の家族だよ。あの小さかったルビーが、もう大人の女性になるなんてね」


 その日が楽しみだわ。

 これから社交界に出る不安もあるけれど、ようやく一人の大人として認められる。


(これでクリフお兄様にも、少しは安心してもらえる。私のことばかり構って、自分には無頓着なんだもの)


 ドレスは純白で、お兄様の髪色の薔薇のブローチを付けよう。

 ダンスをして楽しく過ごし、素敵な夜にしよう。


 そう思って、期待を胸にベッドに入った。


 ――あと五日。

 どんな日になるだろう。


 ◇◇◇


 デビュタント当日。


「お兄様、お待たせしました」


 階段の下で待っていたらしいお兄様が、エスコートのためにわざわざ私の所まで上がってきてくれた。


 相変わらず過保護だわ。

 侍従から手を離し、お兄様の腕を取る。


「……綺麗になったね、ルビー。お兄様はもの凄く寂しいよ」

「ふふふ。ありがとう……!」


 私も、お兄様が社交界に出る時に同じ思いをしたのを思い出した。

 顔を見上げる。

 相変わらず、私を甘い瞳で見てくれるお兄様は本当に私の自慢だ。

 辛いことが多かった私達は、お互いの幸せを願っている。


「お兄様、今までありがとう」

「ははは。もうお嫁に行く練習?」


 揶揄われて少しムッとしてしまうけれど、でも本心だった。

 だって、ずっと一緒にいたんだもの。

 一番に言いたい相手はお兄様だわ。


「そうよ。何ごとも練習は大切でしょう?」

「うん、そうだね……。ねえ、ルビー。金色の薔薇のブローチが綺麗だね。もう、金色は嫌いじゃないの?」


 その言葉に、少しだけ目を丸くしてしまう。

 そうか、お兄様はずっと勘違いをしていたみたいだわ。


「私、お兄様の金髪が大好きなのよ?……デビュタントで同じ色をつけたかったの」


 お兄様の目元が少しだけ緩んで赤くなった。


「もう……ルビーには敵わないな」

「大人だって、認めてくれるの?」


 嬉しくなって、その腕に抱きつく。

 お兄様が成人してからは、あまり接触もなかったからここまで逞しくなっていることに気づかなかった。


 ――もう私達は、二人きりで暗い場所にいた子供じゃなくなったのね。


「じゃあ、行こうかお姫様」

「はい!」



 お兄様にエスコートされて、馬車を降りると、目の前には――。


(なんて綺麗なの。キラキラした宝石みたい)


 贅沢なほど明るく照らされた庭園に、驚くほど立派な建物。

 人の数も圧倒されるほど多い。

 こんな所で失敗なんてしたら……。


「ルビー?大丈夫だよ。俺がついてるから。何も心配しないで、一緒に楽しもう」


 いつもの穏やかな笑顔に、少し安堵する。

 そうね。何があってもお兄様がいるわ。

 失敗しても、後でお兄様が慰めてくれるもの。




「いっぱい練習してダンスが上手くなったね。見た?ルビーが可愛いから、皆君を見ているよ。お兄様は少し寂しいよ」


 ――ふふ。お兄様の方が皆の視線を奪っているわ。

 物腰が優雅で穏やかな素敵な紳士。

 私の自慢のお兄様。


 デビュタントの挨拶も失敗しなかった。

 今こうして、お兄様と踊っている時間も夢みたいに素敵だわ。


 ダンスの間、お兄様の瞳を見つめながら、夢の様な時間を堪能した。


 あの日の春の空のような、綺麗な青い瞳。

 小さな紳士が、心配して私を探してくれたのよね。


 何故、この瞬間に思い出すのかしら。


 でも、胸が暖かくなる。

 ずっとお兄様と一緒だったんだもの。

 今日までのことを思い出してしまうのも、仕方がないわ。




「クリフォード!妹君に紹介してくれよ!」 


 お兄様と同年代の若い令息たちが声を掛けてきた。


 お兄様から次々と男性に紹介されるが、流石に全員は覚えられない。

 とりあえず、笑顔で相槌を打つ。


 その中でも、亜麻色の髪に同じ色の瞳をした男性が、よく話しかけてくれた。


「――疲れたかな?クリフォードは、次期伯爵だから、ああやって囲まれることが多いんだ。少しくらい席を外しても大丈夫だよ。飲み物でも取ってこようか」


「ええ。お気遣いありがとうございます」


 彼はランドル卿と名乗った。

 話も面白く、きっと社交界でも人気があるのだろう。


(勧められるまま、お酒を飲みすぎてしまったかも)


「大丈夫かい?ルビー。もう遅い時間だから、そろそろ帰ろうか。馬車まで行こう。だいぶ酔っているみたいだから、足元に気をつけて」


 お兄様が差し出した手を取り、談笑してる人達に挨拶をして、その場を離れた。


「今日は楽しい時間をありがとうございました。またお会いしたら、よろしくお願いします」


 最後にランドル卿にも声を掛け、会場を出る。


 ――素敵な夜だった。

 お兄様とダンスをして。華やかな人々に会って。

 最高のデビュタントになったわ。


「あれが家の馬車だな。先にタウンハウスに帰っていてくれるかい?俺もすぐに戻るよ」

「ええ、大丈夫」


 お兄様が居ない寂しさもあったが、仕方がない。

 ふらつきながら馬車に乗り込んだ。

 酔いが回っていた私は、そのまま深い眠りに落ちてしまった。



 ◇◇◇


 ――クリフォード視点――


 今日も、寄ってくる人々が多くて大変だった。

 せっかくのルビーの晴れ舞台だったのに……。

 父はろくに仕事をしていない。

 俺が実質的に伯爵家を回している状態だ。


 もう十分に挨拶も済ませた。

 今から屋敷に戻り、先に帰ったルビーを褒めてやらなければ。


 馬車停めに向かうと、気まずそうな御者の姿があった。

 なんだ?

 言いしれぬ違和感に、胸が騒ぐ。


「……どうした?ルビーは送り届けたんだろ?」


 御者の肩があからさまに跳ねた。


「……まさか、お嬢様が乗って――?」


 こちらに視線を向けず、もごもごと謝り始めた。


「……すみません、坊っちゃん。伯爵様から、馬車を置いてどこかで時間を潰していろと命令されて……」


「……は?」


 理解が出来ずに、間の抜けた声が出た。

 父が――なんだって?


「戻ってきた時には、馬車はもうありませんでした。ルビーお嬢様が乗っていたなんて、俺は……!」


 その言葉を聞いた瞬間に、世界から音が消えた。

 ――は?

 あの子は、さっきまであんなに楽しそうに笑っていたんだぞ?


「……どこだ。どこへ連れて行った」


 自分でも驚くほど、地を這うような低い声が出た。

 焦り、不安、後悔……。

 すべてが胸を覆い尽くして、今にも壊れてしまいそうだ。


「……すみません!知らないんです……!ただ、伯爵様の賭博がどうとか、話していて――」


 御者は、震える身体をさらに縮こませている。


「……賭博?」

「昨日、若い紳士と話していました……!それ以外は、俺にはわかりません……」


 賭博で負けたから……引き換えにルビーを差し出した?


 ――畜生!

 情報が少なすぎる……。


「なにか、なんでもいい……!父から聞いていないか!?最近通っている賭博場はどこだ!」


 怒りに任せ、御者をもっと揺さぶってやろうとした瞬間、閃きに近いものが過ぎった。


 ……いや、待て。

 今夜この場で父が動いたなら、相手は貴族かもしれない。


 掴んだ御者の襟首から、そっと力を抜いて解放してやる。

 “あの人”の考えが、頭の中で段々と形になっていった。


「ああ……違うな」


 誰に聞かせるわけでもなく、声が漏れた。

 そうだ、あの父だ。


 貴族が大勢集まる今夜の舞踏会を見過ごすはずがない。

 こうした場には、遊興用の賭博室も用意されている。

 普段の賭博場とは違い、祝いの席で財布の紐が緩んだカモも多い。


 ――そう考えるだろう。


 父にとっては、絶好の遊び場だ。

 我慢できずに、性懲りもなく楽しんでいるかもしれない。


 ルビーを売った、その金で。


「……まさか。この会場にいるのか?……引き渡すまでが取り引きだ。……それに、しばらく行方を眩ませないと、俺に言い訳が立たないもんな?」


 そして来た道を引き返した。

 どちらにしろ、確かめてみるしかない。

 あてが外れても、賭博好きな貴族が集まるこの場所が、一番情報を得やすい……!


 くそ。

 時間がない。

 取り返しがつかないじゃないか……。

 俺のルビーが、今まで大切に大切にしてきた、俺の“宝物”が。

 ただの売り物のように、誰かに汚されてしまうなんて、許せるはずがない。


 内心の焦りすら隠せず、そのまま走り出した。



 賑やかな賭博室は、娼婦や紳士で溢れていた。

 紫煙と香水の匂いが鼻についた。

 不快な部屋で周囲を見回し、ひとりひとり顔を確認していく。


 ――居た!父だ……!

 数多くある賭けテーブルの一角、そこで見慣れた姿を見つけた。

 足早に近づこうとした瞬間、耳を疑うような話が聞こえた。


「今頃、ランドル達はお楽しみかな〜。あの、クリフォードの妹だろ?どんな味なんだろうな?」

「羨ましいよな……。あーあ、俺も賭けに参加しとけば、初めてを貰えたかもしれないのにな……。あとで行ってみようぜ」


 足が止まる。

 呼吸すら止まった気がした。


 ――“クリフォードの妹”……“ランドル”。


 下世話な会話に耳を塞ぎたくなる。

 拳を握り込んだ。


 今は駄目だ。

 我慢しろ。


 ――父は。

 いや……。あの男はここまでの仕打ちを俺達にするのか。

 この場で大事にしたら後始末が厄介だ。

 父は後回しでいい。

 自分にそう言い聞かせて、必死に頭から振り払った。


 情報源はここにある。

 ことさら意識して、にこやかな笑顔で肩を叩いた。


「なあ、今の話を詳しく教えてくれないか?……金は払ってやる」



 ◇◇◇



 気がつくと、ベッドに寝かされていた。

 いつの間にか、タウンハウスに帰ってきていたらしい。


(タウンハウスの部屋ってこんな感じだったかしら)


 酔いすぎて、頭が働かない。

 喉が渇いたし、ドレスも脱ぎたい。

 使用人を呼ぼうと、ベルを鳴らした。


 けれど、入ってきた人々を見て、私は思わず声をあげた。


「ランドル卿!?それに、後ろの方たちはさっきの……!……何故ここに?いえ、それよりもすぐに出ていってください!」


 暗がりに三人の影が浮かび上がる。

 知らない。

 こんな目で、こんなにあからさまに見られたことなんてない――!


「それは無理かなぁ?君は父親に売られたんだよ。賭博で負けた父親の借金を、君がその身体で払うことになったのさ。俺とこいつらに、しっかりと払って貰おうかな。……可哀想に。震えて怖がる姿がゾクゾクするね」


 ランドル卿と、その後ろにいる二人の男達が、嘲るように笑った。


「な、なにを……。そんな」


 意味のある言葉が出てこない。

 でも、あの父ならあり得る。そう思ってしまった。

 なにも、贅沢なんて望んでいなかった。

 人並みに夫と結婚し、子どもをもうける。

 それすら私には許されなかったみたい……。


(……もういいわ)


 こんな私は悲惨な目にあって消えてしまえばいい。

 ただ、未知のことが怖かった……。

 ――私はこれから?


 誰かに助けを求めるように、辺りを見回す。

 けれど、それを見た男達から更に笑い声が上がった。


「大好きなお兄様に期待しているのかい?あいつだって、父親が君を売ったことくらい知っているだろ?」


 男にベッドへ押し倒され、そのまま身体を押さえつけられる。


 ――まさかお兄様、知っていたの?

 今日のキラキラとした思い出の、その後に。

 私がこんな目に遭うことを。


 両手首を掴まれ、ベッドに縫いつけるように押さえ込まれる。

 そのまま、無理やり唇を奪われた。


「大体、血も繋がってないんでしょ?もしかしたら、あいつも混ざりたかったかな。誘ってやればよかったかもね。君のこんな姿、あいつだって見てみたかったかもしれない。知ったら悔しがるかなぁ」


「……は、……やめ……」


 しつこい口付けから逃げられない。

 身動きが取れない。

 諦観の念がじわじわと埋め尽くしていく。


 ――お兄様。

 私の唯一の家族。

 私を裏切ったのですか。

 こんな形で、私は捨てられるのですか。


 男が無理やりにドレスの裾を破っていく。

 知らず、笑みが溢れてしまう。

 ああ。

 なんて喜劇でしょう。


 助けなんて、何度祈ったことでしょうか。

 誰も助けてくれなかったのに。


「……ふふふ。ああ、もういいわ。結局、売られた女と、それを買った男。そうでしょう」


 ならば、どこまで堕ちるか――お見せしましょうか。

 私は……きっと汚れている。


 ごめんなさい。

 もう、お兄様のそばにはいけません。

 クリフ……お日様が似合う、完璧な貴方にはこんな所は必要なかった。


(……一度、言ってみたかったのよね。愛していますって)


 素敵な紳士でもよかった。

 一目惚れしてくれる人でも良かった。

 でも。貴方に言うつもりはなかった。


 クリフ。


 ―――ガン!ガン!


 諦めて目を瞑り、やり過ごそうと顔を背けた。

 その時、男達のうめき声と、倒れ込む音が耳に届いた。


「な、お前……!なに……」


 後ろの男性2人が血塗れになって床に倒れ込む。

 そして、私を押さえつけているランドル卿も、次の瞬間には殴り倒されていた。


「あ……お兄様も混じりに来たのですか……?」


 ベッドが血まみれね。

 どうしようかしら。

 まずは、唇を綺麗にしないとお兄様に見向きもされないわ。

 途端に恥ずかしくなり、赤く染まったシーツに顔を埋める。

 ああ。

 私はやはり浅ましい。


 お兄様が次に、私に言う言葉を知っているわ。

 手に血塗れの燭台を持ち、月明かりの中ベッドに横たわる私を見下ろす彼は――。


 ――壮絶に美しかった。

 その笑顔が。

 その狂気を隠しきれていないその瞳が。


「ルビー、ルビー。怖い思いをさせたね。悪い奴らは俺が全部消してあげるからね。誰にもルビーを傷つけさせないから」


 力強い腕に、痛いほど抱き込まれる。


「お兄様。来てくれないかと思いました。とうとうお兄様にまで捨てられてしまったのかと」


 真実なんてどうでもいいの。

 今の温もりだけが私を癒してくれるから。


「俺はずっと昔からルビーを愛しているよ。俺は君が居るから生きていけるんだ。そうじゃなかったら、もうとっくの昔にこんな人生なんて諦めている」


 涙が零れ落ちる。

 怖かった。

 身体を暴かれる事よりも、お兄様に捨てられたのかもしれない――そう考えてしまうことの方が、どうしょうもなく怖かった。


「ちょっと目を瞑って待っててくれるかな?これから証拠を消さないといけないし。きっちり止めを刺しておかないと面倒だからね。……あの父親も何とかしないとな」


 いつも輝いていた金髪まで、血塗れで。


 それでも大好きな、私のお兄様。

 その美しいお兄様が浮かべる表情は――。


 ――あぁ、こちらを魅了し狂わせる美しさだわ。


 彼の狂気に溺れて、そのまま飲み込まれ、食べられてしまいたい。


 ――『私達には、これからも私達だけでいい』


 いつかのお兄様に言ったその言葉が、今の私達にはぴったりな気がした。

 胸が高鳴って、なお抑えきれない。


「そんなことより……。お兄様――いいえ。クリフが欲しい」


 私はクリフォードの喉仏から鎖骨をゆっくりと撫でる。

 もう……。

 私たちには、日が昇らないのなら。


「……ルビー」

「クリフ……見て……。私、色々されたみたい。本当に怖かった。もう、お兄様以外の男性なんて要らないわ。大嫌いよ」


 顔のそばで固く握られた拳に口づける。

 クリフ――。

 彼の強張った指を、ゆっくりとほぐして燭台を剥がしていく。

 彼の手がようやく開かれたことに安堵する。

 ――浅ましいルビー。

 こうやって、お兄様をまた赤く染めていくの。


「……今まで貴方に抱かれた女を、私が呪っていたとしたらどうする?」

「――俺はこれからルビーに触れるだろう男を呪っていたよ」


 何度も啄むようにキスをくり返す。

 これは罪深い?

 何が罪だろうか。

 どこからが二人の罪で、どちらがより重いだろう。


 血塗られた二人の道ならぬ……でもお互いに祝福された道だった。

 でも、大丈夫。

 クリフお兄様を堕落させたのは私だもの。

 全部私の罪よ。

 彼の首元に腕を絡ませる。

 クリフォードの喉が大きく上下した。


「教えて、お兄様。……クリフォード。もう純粋な私に戻れない……」


 ◇◇◇


 翌日、顔を潰され、身ぐるみを剥がれた男性の遺体が三体、川で発見された。

 しかし、身元を明らかにできる物は何もなかった。


 同じ頃、若い放蕩貴族が三人姿を消した。

 だが、碌でもない場所に出入りしていた彼らのことだ。

 何らかの事件に巻き込まれたのだろうと噂されるだけで、すぐに忘れ去られた。


 そしてお父様は田舎へ療養に出され、お兄様へ爵位を譲った。


 ◇◇◇


「ルビー。ごめんな……こんな兄で」


 私を抱きしめながら、クリフォードは時折、小さく震える。

 結婚して、もう一年が経つというのに……。


 クリフの罪悪感なのか。

 それとも後悔なのか、私にはわからない。

 けれど、私の答えはもう決まっているの。

 ごめんなさい……。

 きっと種を蒔いたのは私だった。

 そしてそれは――。

 とても、とても美しい花が咲いてしまった。


「いいえ。私の世界にはクリフォードしかいらないわ。それにね……」

「ルビー。多分それは俺が――」

「いいの。お願い、ちゃんと私の気持ちを聞いて。実はね、お兄様と血が繋がっていなくて嬉しかったのよ。熱で寝込んでいた貴方を、私だけが独り占めできることすら嬉しかった」


 驚いたように、クリフォードは私の瞳を覗き込む。

 いつも私を見つめてくれる青い瞳だ。

 その大きな手を取り、そっと自分の頬に当てる。


「私の方が、貴方がいないと生きていけないくらい苦しかったのよ。弱虫さん、ちゃんと今の私を見て?」


 いつも、貴方の金髪を私の色に染めたかった。

 お日様に愛されているような貴方を誰より欲しがっていたのは――。


「……それでも、俺は君を閉じ込めているのかもしれない」


 もともと優しい人だ。

 私達は歪んでいて、綺麗な形にはなれなかった。

 それでも――。

 今、ここには私達しかいない。


「そうね。でも、扉の鍵を持っていても、私はきっと外へ出ないわ。もう、この腕に包まれる安心感を知ってしまったから」


 ――ねえ、貴方一人で背負わないで。

 そう伝えたくて、彼の頬を包み込み、そっと唇を寄せた。


「ルビー……」

「だって、私が帰りたい場所はここだもの。それに、クリフォードは昔から私が大好きでしょ!……ね?私達はずっと同じだったのよ」


 クリフォードは困ったように笑って、今度は私からではなく、彼の方から唇を重ねてきた。


 ――私達は、きっと少しだけ普通ではない。

 それでもこれが私達の見つけた、唯一の幸せなのだ。


 ◇◇◇


 ――若き伯爵、クリフォード卿には愛妻がいる。


 その妻は身体が弱く、滅多に社交の場へ姿を見せないが、領地の館で子供達と穏やかに暮らしているらしい。


 伯爵はその美貌で女性を虜にするが、笑顔すら彼女たちに向けやしない。


 そして、周りが妻や子供達の悪評を言おうものなら……。



「クリフ!今日ね、ルイが初めて歩いたのよ!貴方に見せたかったわ。もう一度頑張ってくれるかしら?」


 黒髪に緑眼の美しい妻と、二人の子供たちをまとめて抱き締めながら、今日も彼は伝える。


「ルビー、俺はずっと昔からルビーを愛しているよ。俺は君達が居るから生きていけるんだ」


 美しい妻は嬉しそうに笑った。

 彼が用意した、この箱庭の中で幸せそうに。

 

作者の中では、燭台を持ったクリフお兄様が最強のイケメン枠です(笑)

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