第2話 うちの娘、可愛いでしょう?(後編)
お蕎麦の出前が届くまでの短い時間、僕たちはとても和やかな会話の時間を過ごしていた。少しずつ緊張がほぐれていくのを感じる。
それにしても、こんなに美人な母娘が、隣人というだけで初対面の僕にここまでフレンドリーにしてくれるなんて。嬉しい反面、ちょっとうまく行きすぎて不安にもなってしまう。そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。
「あっ、はーい」
「あ、僕も一緒に出るよ」
同時に勢いよく立ち上がってしまったせいで、お互いの肩が軽くぶつかる。肩なのに柔らかい。僕は慌てて、中西さんから少し距離を取った。
「あっ、ごめん」
「いいよ、気にしないで」
インターホンが再び鳴り、僕たちは並んで出前を受け取りに行く。ドアを開けると、背の高いお姉さんがバッグを手に待っていた。
「お待たせしました。ざるそばと親子丼のセットを3つですね……あれ、学生さんじゃなくて、新婚さん?」
「いや、大学生ですよ」
「そうよね……あら、あなた、もしかして」
出前のお姉さんはちらりと中西さんの顔を見て、少し首をかしげる。でもすぐに、営業スマイルに戻った。
「……まぁ、良いか。色々と事情はあるものね。うちね、今時珍しいけど出前は直営なの。すぐそこだから、今度は2人でお店に食べに来てね。うちはどっちかというと修学旅行生とか観光客が多いけど、君たちなら特別に学割してあげるよ」
僕たちは出前を受け取ると、顔を見合わせる。あっ、中西さんの耳がほんのり赤い。さっきのお姉さんの『新婚さん?』からかいを真に受けちゃってみたいだ。
「新婚さんだとか、変なこと、言われちゃったね」
「う、うん、そうだね。僕たち、どこからどう見ても、大学生なのにね」
「さぁ、持ってきて。みんなで食べましょう?」
エルフィナさんの声に、僕たちは器を持って振り返る。そして、お互いにちょっと気恥ずかしく苦笑いするのだった。
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「この親子丼、美味しいわ。親子丼って、どうしてこんなに美味しいのかしら?」
「うん、美味しいね。この親子丼、とっても味が染みてるよ」
「出汁が良いんでしょうね。京都のお味って感じがするわ」
……金髪のエルフさんが出汁について語るって、何かちょっと変な感じだな。僕たちは可愛らしい小さなテーブルに器を所狭しと並べて、出前のざるそばと親子丼のセットを食べていた。
「そういえば、さっきは勢いで頼んじゃったけど、哲郎くんも親子丼は好きだったかしら?」
「あっ、はい。大好物です。お蕎麦も好きです」
本当はかつ丼の方が好きだけど、ここは話を合わせておこう。それに、この親子丼は確かに美味しいのだ。卵の半熟のとろみが鶏肉に絡まり、出汁の優しい風味が口の中に広がる。鶏肉は噛めば噛むほど味がある。もちろんお蕎麦も美味しいし、お金を払うところは見ていなかったけど、それなりのお値段がするんじゃないだろうか?
「ここの賄いとか、最高だろうなぁ。アルバイトを募集してたら、このお店にしようかな?」
「あら、良いんじゃない? チアリちゃん、お料理が上手だもんね」
「あっ、そうなんですね」
中西さんがアルバイトをしたら、どう考えても役目は調理じゃなくて看板娘じゃないだろうか? 的確な突っ込みだと思われるけど、これも封印しておこう。
「そうそう。チアリちゃん、時々は哲郎くんに手料理をご馳走してあげなさい? 男の子の一人暮らしなんだから、お食事のことは適当にしか考えてないんでしょう?」
図星だ。あまり深く考えていない部分である。でもさすがに、手料理までご馳走になってしまうのは図々しすぎるんじゃないだろうか?
「えっ、いやそれは悪いですよ。手間も2倍になっちゃうんですし」
「そんなことないよ。一人で食べるより二人の方が良いし、変な人とかストーカー対策にもなると思うんだよね」
中西さんが笑顔で僕の遠慮を否定してくる……そうだ、冷静になってよく考えろ僕。中西さんが家に上げても良いと思ってくれている時点で、最高じゃないか。なぜそこをあえて遠慮してしまう? ここはお言葉に甘える一択だぞ?
「食べてもらうのが楽しみねぇ、チアリちゃん。あっ、今のうちに伝えておかないと。哲郎くん、チアリちゃんはね、時々ハードルが低いことがあるけど、あんまり気にしないでね。ぜんぶ、遠慮なくお言葉に甘えちゃって良いから」
「えっ、『ハードルが低い』……ですか?」
突拍子もなく、エルフィナさんが話題を変えてくる。
「まあ、今の意味は、おいおい分かると思うわ。時々、突拍子もないことをすると思うけど、あんまり気にしないであげてね」
「ちょっと、お母さん? 哲郎くんにあんまり変なこと言わないでよね?」
「あら、そんな感じだから、高校生の頃も彼氏ができなかったんでしょう? 女子高だったのを言い訳にしたらダメよ?」
エルフィナさんが、さりげなく娘の恋愛経験について爆弾を投下してくる。えっ、中西さんって、こんなに可愛くてフレンドリーで異性への距離感が近めなのに、彼氏がいなかったの? マジで? つまり、今もフリー?
「お母さん、もうやめてよ! それ、今言わなくても良いでしょう?!」
「あら、チアリちゃんにも哲郎くんにも、大事な情報よ? ねぇ、哲郎くん?」
「あっ、はい。とても参考になりました」
ついうっかりと、本音が出てしまう。でも幸いなことに、お母さんに文句を言っている中西さんには聞こえなかったみたいだ。クレームを受けながら、エルフィナさんが僕に流し目をくれる。これって、もしかしなくても僕たちの仲が進展することを応援してくれてるのかな?
まぁ当たり前としか言いようがないけど、僕はもう中西さんに一目惚れしちゃってる。さっき会ったばかりなのに、彼女の無邪気な笑顔が頭の中を占領してしまっている。恋愛経験のなさを聞いたときの驚きもまだ胸の中でざわついている。
でもガツガツしすぎて、嫌われちゃうのも怖い。だって僕だって、人生=彼女いない歴の、恋愛未経験者なのだ。高校生の時も仲の良い女子はいたけど、進展する機会には恵まれなかった。
「そういうことだから、哲郎くん。チアリちゃんのこと、これからよろしくね?」
エルフィナさんの言葉は冗談めかしながらも、その視線にはどこか含みがある。僕はただ「はい」とだけ返すけど、その一言がすごく励みになってしまう。
「それじゃ、お蕎麦も食べ終わったし、お部屋の片付けを再開しようかしら」
「あ、じゃあ僕も自分の部屋に戻ります。力仕事で必要な時は、遠慮なく呼んでくださいね」
「うん、哲郎くんはやっぱり頼りになるね」
そう言ってもらえると嬉しい。一人暮らしを始めたばかりなのに、心が弾むようなことばっかり起きていて、怖いくらいだ。そして部屋に戻ろうと通路に出たところで、中西さんがドアを開けてひょいと顔を出した。
「ねぇねぇ、哲郎くん。明日って用事ある?」
「うーん、いや、片付けが今日中に終われば、特にないよ」
「じゃあさ、3人で一緒に京都観光しようよ?」
えっ、エルフィナさんが一緒とは言え、それってもはやデートと呼んでも良いんじゃないか? そんなにあっさり誘ってもらえるものなの? 僕はドキドキしながら「うん」と返すのが精一杯だった。なお、僕は後にこれを『中西さんは確かにハードル低すぎ案件』と名付けることになる。
試験的に、明日以降は6時と21時更新にしてみます。
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