第8話 告白と、僕たちの初めて(前編)
僕たちはアパートに帰ってからも、話を続けていた。三春さんの言葉が頭に残りつつも、僕はずっと疑問が残っていた。なぜ中西さんは、僕にだけ認識阻害の魔法を使わなかったのか。隣人に正体を明かすなんて、危ないに決まっているのに。
「ねぇ、どうして僕には、最初からその魔法を使わなかったの? 言いたくないなら聞かないでおこうと思ってたんだけど、僕はチアリさんをもっと知りたい。だから、良かったら教えてほしい」
三春庵で中西さんが語る理由はあいまいだった。嘘じゃないけど、本当じゃないとも思っている。質問された中西さんは少し戸惑ったように一瞬だけ目を伏せたけど、すぐに微笑んで答えてくれた。
「実はね、最初から解こうと思ってたんだ。引越しの時にね、後ろ姿を見かけたの。その時に……勇気を出して魔法を解いたの。だけど、お部屋を間違えたのは偶然だったんだよ? 本当はちゃんと、ごあいさつに行くつもりだったから」
僕は驚いた。あの日、初めて隣の部屋に引っ越してきた時のことが蘇る。だけど、それも理由としてはちょっとおかしい。そう考えていると、中西さんがふわりと空気を変えるように魔法を一瞬だけ発動させたのが分かった。
その瞬間、中西さんのすべてが変わる。5秒後には忘れてそうな、印象の薄い女の子。この姿をみんなは見ているのか……でも僕には、その顔に見覚えがあった。
「これがね、哲郎くん以外に見えてる私なの」
「あれ、この感じ……もしかして、受験会場で隣に座っていた」
「うん。緊張してた私に話しかけてくれたよね。『大丈夫だよ』って、その一言が本当に嬉しくて……それに、会場に入る時にも助けてくれたの、覚えてる?」
「ああ、もちろん覚えてるよ」
そう、あの日は雪が少し積もっていた日だった。受験会場に入る直前、目の前を通り過ぎようとしていた女の子が急に滑って転びそうになったのを見て、僕はとっさに手を伸ばして支えた。
『大丈夫?』
『あ……ありがとう』
驚いた表情でこちらを見上げた女の子は、恥ずかしそうに頷きながらお礼を呟いた。彼女の頬は少し赤くなっていて、寒さと緊張のせいか、体が少し震えているように見えたのを、今でもよく覚えている。
『今日、すごく緊張するよな。でも、頑張ろうな』
『うん、ありがとう。あなたも、頑張ってね』
そうだ。そして、彼女は偶然にも受験会場で隣の席だった。僕たちは試験の合間に軽く言葉を交わして、不安そうなその子を何度も励ましてあげた。そして、合格したら一緒に大学生活を楽しもうねと言いながら、駅で別れた。
「合格後の入学説明会でも見かけたから、チアリちゃんが合格したのは知ってたよ。でもお互いに親が一緒だったから、声をかけるのは止めておいたんだ」
「うん、私も気付いてたよ。ごめんね、哲郎くんに一つだけ、噓をついてたんだ。『女性専用アパートがどこも満室で借りられなかったから』って言ったのね、実は嘘なの。説明会のときの不動産屋さんから、哲郎くんがこのアパートを契約予定だってことをお母さんの尋問魔法で聞き出して、隣の部屋が空いてたから私も契約したの」
尋問魔法……また物騒な単語が飛び出したけど、気にしないでおこう。
「え、じゃあ隣の部屋になったのは、偶然じゃなかったんだ」
「うん、そうなの。黙っていてごめんね。ちょっとストーカーっぽいよね?」
思わぬ事実を知らされて、頭の整理が追い付かない。でも、これまでの中西さんやエルフィナさんの言動でちょっと気になっていた点が、急速に整理されていく。そうだったのか……偶然というには、あまりにもできすぎている現実だと思っていた。中西さんはちょっと寂しそうにうつむく。
「こんなに重い女だって知られたら嫌われるかもしれないと思ったけど、哲郎くんに嘘をつくのが嫌だったから。ごめんね、気持ち悪い女だと思ったら、はっきりそう言ってくれて良いよ」
中西さんの声はかすかに震えていた。彼女がこんな風に本当のことを話してくれたことに、胸が熱くなる。思っていた以上に、中西さんはこれを話すことに不安を抱いていたんだと気づく。
僕は、そんな中西さんを安心させてあげたいと思った。中西さんの手をそっと握ると、手汗で湿っているのを感じる。
「気持ち悪いなんて……そんなこと、全然思わないよ」
「本当に?」
言葉がすっと出た。本当に、自然と出ていた言葉だった。中西さんの話を聞いても、むしろ真実を話してくれたことに感謝しかない。あの時の女の子のことは、少し胸に引っかかっていた。同一人物だとわかって、むしろほっとする。
中西さんがこちらを見上げる。その瞳には、不安と期待が入り混じっている。ここは、言葉を重ねて安心させてあげないといけない。男らしさを見せる時だぞ、哲郎。
「もちろん。むしろ、僕だけに本当の姿を見せてくれてたことが、嬉しいよ。僕がチアリちゃんのこと、嫌いになるわけがないよ」
「大丈夫? 重たい女じゃない?」
「ぜんぜん。だってチアリちゃんは、隣の部屋に住む努力をしてくれて、ご飯を作ってくれて、一緒に過ごすととっても楽しい、すごくすてきな女の子なんだから」
そうやって中西さんの行動を整理すると、すごい努力家だ。それくらい、僕のことを意識してくれていたんだな……そしたら、次は僕が頑張らないといけない。僕は勇気を振り絞って、声を出した。
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