第6話 中西さんたちと三春庵(前編)
僕は中西さんと一緒に、スマホのアプリを使ってアルバイト探しを始めた。画面をスクロールしながら、次々と出てくる求人に目を通すけど、どれも決め手に欠ける。条件は良さそうに見えても、シフトの時間帯が講義と重なってしまったり、体力仕事だったり、場所が遠かったり。どんどん候補が減っていく。
「このお店、良さそうじゃない?」
「うん、でもほら、平日のお昼も出なきゃならないって書いてあるよ」
「そっか……じゃあ次の候補は?」
「修学旅行生の布団敷き? なんだか体力勝負な気がする……」
「あっ、これとかどう? ボーイさんと接客スタッフだって」
「いや、中西さん、よく見て。それ、夜のお仕事のお店だから」
「やだ、哲郎くんのエッチ」
話題に出したのは中西さんなんだけど? 心の中でつぶやきながら、僕はまた一つ候補を消す。中西さんは隣で画面を見つめつつ、「意外と2人揃って働けるところが見つからないね」と苦笑いを浮かべる。2人の条件を揃えられるところになると、意外と難しい。
「なんか、アプリで探すのって思ったより難しいね。時間が合わないとほんと困るよね」
中西さんの言葉に、僕も頷いた。アプリで探せるのは楽だけど、2人にぴったりのアルバイトを見つけるのは、そう簡単じゃない。
「どうしようか……もう少し探してみる? それとも、大学の掲示板とかも見に行ってみる? 入学ガイダンスの資料に、バイト情報が掲示してあるって書いてあったよね。そこなら大学生向けだし、まとめて応募とかできそうだし」
中西さんの提案に、僕は少し考える。アプリではなかなか見つからないし、大学の掲示板にも何かしらの求人があるかもしれない。ひとまず、外の空気を吸いながら考えるのも悪くないかもしれない。2人で散歩できるのも嬉しいし。
「うん、じゃあ大学の掲示板も見てみようか。ついでに、外で気分転換もできるしさ」
僕たちの入学する大学は、アパートから歩いて10分足らずのところにある、小ぢんまりした大学だ。中西さんの部屋を出て、僕の部屋もカギをかける。部屋を出るときも、なんだか一緒なのが妙に嬉しい。
「そういえば、最初の日にカギが開いちゃったんだよね。試してみる?」
「そうだね。開いちゃうのかな?」
僕たちはお互いの部屋のドアにカギを差し込んでみる。ガチャリと音がして、ドアが開いてしまった。いや、安アパートにしてもこれは無いんじゃないか? 視線を合わせて、苦笑いする。
「どうする? 大家さんに言う?」
「んー、でも哲郎くんなら変なことはしないだろうし、とりあえずは急がなくて良いよ」
わお、かなり信頼してもらえている。でも逆に、男として見られてない疑惑があって悲しい。これって合鍵を持っているのと同じだよね。いや、もちろん変なことはしないよ? でも、入ろうとすれば入れるんだと思うと、変な唾が出てしまう。
アパートを出ると、春の風が少し肌をくすぐった。見上げると、桜の花が昨日よりもいくらか多く揺れている。僕たちはとりあえず、賀茂川の堤防に向かって歩き始める。
「気持ち良い天気だね」
「そうだね、お花見が楽しみだよ。お弁当を作ってあげるから、どこに行くか決めておいてね」
実にナチュラルにお花見デートを提案される。これは何としても、同じバイト先を見付けなければならない。先を越される前に、何としても中西さんと恋人関係にならないと。そんなことを思っていた矢先、前方に見覚えのある人物が現れた。
「あれ、あの人って確か」
「うん、お蕎麦屋さんの配達をしてくれた人だね」
向こうも僕たちに気づいたようで、にっこりと笑いながら自転車を止める。やっぱり、初日の時に出前を持ってきてくれたお姉さんだ。自転車の荷台にはお蕎麦の空容器が積まれている。
「こんにちは。君たちって一昨日に出前を頼んでくれた新婚さん……じゃなくて、学生さんだよね。今日はどこかにお出かけ?」
「あっ、お蕎麦も親子丼も美味しかったです。今はアルバイトの求人情報を探しに、大学に行くところなんです」
「あっ、すぐそこの大学?」
「はい。でもアプリだと、哲郎くんと一緒に働けるところがなかなか見つからなくて」
中西さんが答えると、お姉さんはちょっとニヤニヤしながら、「ああ、なるほどね」と納得したように頷いた。三春さんが中西さんをじっと見つめる。その視線には何か含みがあるように感じられて、心の奥底に小さな違和感が残る。中西さんも何かを感じたようで、めずらしく視線を落としている。
「やっぱりそうなんだ。最高のタイミングで会ったね。実は、前の子たちが卒業しちゃってね、うちの蕎麦屋でもバイト募集してるんだけど、どう? 君たちならお店も大学も近いし、講義にも戻りやすいんじゃない? ある程度曜日や時間の融通もきかせてあげるから、学生には働きやすいと思うよ」
彼女は親しみやすい笑顔を浮かべて、ちょっとグイグイ気味に誘ってくれる。僕と中西さんは顔を見合わせ、少しだけ考えた。今のところ条件が合うバイトがなかなか見つかっていないし、近所の蕎麦屋なら悪くないかもしれない。お姉さんも親しみやすそうだし、賄いもついてくるだろう。
「どうする? 一度話を聞いてみる?」
「うん、せっかくだし、行ってみようか」
「じゃあ、ちょっとお店に来てみて。お蕎麦も食べてっていいし、見学がてらどうぞ。あっ、私は小幡三春。お店は『三春庵』っていうのよ。よろしくね」
今は11時くらいだけど、話し終わったころはちょうど良いかな? 蕎麦屋のお姉さんこと三春さんは自転車を押しながら、笑顔で先を歩く。こうして僕たちは、お店にお持ち帰りされることになるのだった。




