私、聖女やめたかったんです。
「君との婚約は、破棄させてもらう」
「……」
私の何が、いけなかったのでしょうか。
言葉、態度、能力、立場、時間……
ああ、時間ですか。
聖女という神に仕える仕事を始めた瞬間から、令嬢としての人生を半ば諦めて、人生を今を生きる人々のために捧げると誓いました。だから、もう一人の女の子として恋することも、できなくなっていたのでしょう。
「私では……だめでしょうか」
「ああ。俺は君でなく、この子を好きになってしまったんだ」
そう言った彼の横にいるのは、私の知らない人。
ああ。
「はは」
なんでだろう、笑いがこみ上げてきます。何も面白くないのに、笑うしかないんです。
だって、この気持ちを誰かと分かち合いたいのに、そうさせてくれる人はもう誰もいません。誰かの胸に飛び込んで泣きたいのに、それもできません。
聖女は崇高な存在として、人々から隔絶された存在です。私自身もまるで聖母のように八方美人に振る舞ってきました。
それ故に、人間味の無い私は誰からも理解されません。
「なんにもうまくいかないですね……」
______私はもう死にたいのに。
多分誰にも分かってもらえないし、止めてもらえない。
☆☆☆
“誰かの役に立ちたい”
そう思ったことが始まりでした。でも、そうは思っても自分を捨ててまで人に尽くせる人は少ないです。当然ですよね、誰だって自分が可愛いですから。
でも、私は違いました。
神から与えられた光魔法の力によって、色んな人の役に立つことができました。だから、「人から頼まれたことを断らない」という誓いの元、一生人々のために生きることを強制されてきました。
でも、神に与えられた力を行使しているだけの私は、当然神そのものではなく、ただの人間な訳でして。
「聖女さま、ありがとうございます!」
__食べ物の無い女の子のために自分のパンをあげて。
「流石聖女様だ! 神の御業だ!!」
__血反吐を吐きながら光魔法で病気のおばあちゃんを救って。
「聖女様ぁ、これちょうだい!」
__欲しがりな男の子に自分の好きな本をあげて。
「聖女様、お恵みを……!」
__時には貧乏な男性に自分の屋敷の調度品をあげて。
「聖女様……治せないの??」
__光魔法で疲れた夫婦を癒やして。
「あなたしかできないんだから、あなたがやりなさい!」
__女の人も癒やして。
「治せよ!!」
__あの人も。
「やって!!」
__この人も
「」
_
「君との婚約は破棄させてもらう」
____私の初恋を叶えるための時間も全部、捧げて。
ただの人間の私は、当然そんな聖母みたいな行いは耐えられないわけでして……。
もう、逃げたいんですよ。
死にたい。
シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ。
シニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイシニタイ。
私には、もう耐えられません。
「本当に久しぶりです。自分のために何かをするのは」
私はパーティ会場に置いてあったテーブルの上の果物ナイフを持ちます。それを、勢いよく自分の喉笛に突き立てて___
「やめろぉおお!!!!」
______振り下ろそうとして、力強い手に止められ___
特に問題なく、しっかりと私の命を刈り取りました。
ただ花吹雪のように飛んでいく鮮血を、花火のように綺麗だと他人事のように思います。痛いし、熱いです。でも、今まで感じてきた痛みに比べれば、こんなもの気にもなりません。
「______ぁ…………そんな、つもりじゃ。僕は君に死んでほしかったわけじゃ!」
婚約者だった彼が膝から崩れ落ち、横たわっている私のことを膝枕してくれます。瞳から零れ落ちる涙を見て、少しでも自分のことを想ってくれていたのを確認できて、それで少しだけ満たされました。
「泣いてるんですね……」
人を癒やすことしかできなかった私でも、あなたに傷跡を残せたでしょうか。
ドクドクと心臓が破裂しそうなくらい血を送っていて、それをそのまま首から垂れ流していって。その度に熱にうなされたように意識が朦朧としていって、視界がブラックアウトしていって____
★★★
俺は彼女の婚約者ではない、彼女にして見ればそれこそ無関係な人間だ。少しだけ立場のある、それでいて彼女に一度助けられたことのある、それだけの者だ。
『お困りごとですか? 言ってみてください、私が絶対にお助けしますよ』
高名な医者ですら手の施しようが無いと言った、床に伏した俺の母の様態を見ても、彼女はそう言ってのけた。実際、彼女の手にかかれば、俺の母の病気も嘘のように完治してしまった。
俺はその時、心からの感謝をしたし、有り余ってるうちの財産も彼女に寄付させてもらった。それでも、本当に一生かけも返せない恩を、ここで俺は抱いた。
それからも事あるごとに相談に乗って貰って……そうして彼女の優しさと触れ合っていく中で、俺は貴族社会の荒波の中でも真っ当な倫理観を持つことができた。
俺の普段過ごしている政治の世界は、煌びやかな見た目とは裏腹に、陰湿でまるでドブ川のように汚い場所だったから、俺が安心して本心を晒すことができたのは、肉親の他には本当に彼女しかいなかった。
そういう意味でも、俺にとって彼女と過ごす時間は本当に大事なものだったんだ。
『レオ様は聡明でいらっしゃいますね』『レオ様のお話はいつも面白いです』
『レオ様のお話、もっと聞きたいです』
『……レオ様?』
それに、勝手ながら恋心も抱いていた。
仕方ないだろう、周りのどこを見渡しても彼女ほどの女性は見つからないのだから。とはいえ、彼女は既に婚約者を持っている身で、自分のこの恋がこれ以上発展することもないのだろうと半ば諦めてはいた。
______でも、全ての前提が一瞬で崩れた。
「本当に久しぶりです。自分のために何かをするのは」
そう言って彼女が自分の喉元にナイフを突き刺した時、俺は本当に何も分かっていなかったのだと知った。
彼女は聖女であっても人間だった。
彼女に恋をする自由なんて無かった。
彼女はそんな生活を望んでいなかった。
全てを知ったのが遅すぎた。
人が怪我をしても、病気になっても、聖女に治してもらえるのだとして____じゃあ、聖女のそれを誰が癒すんだよ。
死ぬ……死ぬのか?
憎い。
何もできないのか、俺は。
あれだけ助けてもらっておいて、何も。
彼女が死んだら全部終わり。その先は全てただの自己満足になってしまう。
もう彼女の笑顔を、二度と見ることはできないのか。
何やら婚約相手の王子が介抱しているが、遅い。遅すぎる。ああ、今すぐにでもこの男を殺してやりたい。
お前が彼女を幸せにしてあげられていれば、きっと未来は違ったのに。他の奴に恋をしたとか何とか言って、どうせ聖女と付き合っててもかまってくれないから、面白くなかっただけだろ。それに……
「婚約破棄するにしてももっとやり方があっただろ……ふざけるな!!!!!!!!」
声が出た。
でも、黙っていられる訳がない。
聖女がいなくなる。そう想像するだけで、吐き気が襲ってきて、さっきまで得意げに食していたディナーを全てぶちまけそうになる。今のこの感情を全て目の前の男にぶつけたら、絶対に俺は殺人犯になってしまうだろう。俺はそれでも全く問題ないが、そんなことを彼女が望んでいるわけがないがないのも、悔しいことに分かってしまう。
俺の大声に慌てふためいていた紳士淑女達が一斉にこちらを見るが、どうでもいい。
「……聖女を俺に渡せ」
「殺すぞ」
「……っ!」
俺は静かに彼女に近付き、婚約者であった王子から彼女を強引に奪い去る。俺の気迫に押されて簡単に引いていくこいつが、俺は心底許せない。
「全部終わったら。今まで聖女に気を遣って隠していたお前の後ろ暗い秘密、全部明らかにして、お前を表舞台から失墜させてやる。なんでと思うかもしれないけど……聖女がお前を許したとしても、俺はお前を絶対に許さない。そこの女も覚悟しろよ」
「な……何を言って!! ばか、やめろ!!」
「お前の保身なんてどうでもいい。どけ」
貴族社会では、俺みたいに酔狂な奴でもない限り誰にでも後ろめたい秘密があるもんだ。俺はただ裏返っていたコインを一つ表にするだけ。そこに別に罪悪感はない。
そんなことよりも……
「……相談が、あるんだ……」
聖女、君だ。
「俺、実は君のこと好きでさぁ……」
だから、どうか目を覚ましてくれ。お願いだから。
でも、いくら俺が願ったところで、現実には力なく横たわる彼女が起き上がって俺に笑いかけてくれる事なんて無い。
「……うああああああああ!!!!!!」
絶叫する。
そんな俺を、狂人を見る目で見つめる、紳士淑女達。この期に及んでまだ聖女を人間だと思ってない……どこまでも腐ってやがる。
お前らももっと悲しめよ、この聖女がどれだけ俺らのために尽くしてきたと思ってんだよ。
ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。
……いや、違う。今やるべきことは、こんなことじゃない。
何よりも大事なことを忘れるな。
俺は彼女を抱えて立ち上がる。その際、彼女はこんなに小さい体躯であったのかと、少しだけ驚いた。
俺はそのままパーティ会場を出て行く。そして、道すがら俺の部下達を総動員して、とにかく医者を呼びまくる。医者どもは病気を簡単に治してしまう聖女が目障りらしいが、知ったことではない。こういう時のための権力と金だろうが。
________絶対に君を救ってみせる。
この国の公爵である俺、レオ・イシュタルが。何をしてでも、絶対にだ。
★★★
「うぅ……う……」
「……起きたか!!?」
私は、沈んでいた意識を引き上げ、瞼を開きました。そこには、何度か見たことのある顔、レオ様の顔がありました。
「私、死んでなかったんですか……」
この現実から逃げようとして勇気を出したのに……それすらも叶わなかったのですか。
服も着替えられていて……場所も、どうしてか外みたいです。多分、数日どころか数週間は眠っていたのでしょう。
「そろそろ目が覚めるとは聞かされていたが……本当に良かった」
「……私、もう死にたかったんですが」
「そんなことを言うのはやめてくれ……。それに、もしもう一度同じ状況になっても、俺は君を助けようとするだろう」
「……」
ありがとうございます、と言いかけて、どうしてもその先が続かず、黙りこくります。喪失感でいっぱいで、言葉が出ません。
死ねませんでした。ああ、これからどうなるのでしょう……。
助けられた身でこんな風に考えてはいけないのに。
でも、何だかもう全てがどうでもいい……。
「私、聖女やめたかったんです」
そして、出てきたのは……ずっと隠してた弱音。
「ああ、そうなんだろうな」
レオ様が神妙に頷いてくださります。普段は相談を受ける立場でしたが……今回は、ただ私の言葉を聞いてくださっています。
「私はずっと、人を助けることを一番に考えてきました。この考えはきっと素晴らしいです。しかし、私はどこまでも愚かで……自分のことを優先したいと、思ってしまいました」
「私の初恋は……きっと、時間さえあれば……きっとぉ……」
ああ、だめです。嗚咽で言葉が出ません。
でも、そんな私の涙を、まるで赤子をあやすように優しく拭ってくださる手があります。
「そうだ。なら、聖女をやめればいい」
「……え?」
「だって、君はもう聖女ではないからな」
何を……?
「ほら、周りをよく見てみるといい。この景色、中々素晴らしいと思わないか?」
そう言われるままに周りを見渡せば____そこは、私の知らない世界、知らない国の風景でした。
「どこですか……ここは」
「隣国のフリンドルだ。ここに君の顔を知っている人はほとんどいないだろうな」
活気の良い町並み、高くそびえ立った塔、うちの国よりも長く堅固な城壁。この丘から見える全てが、知らないものに満ちています。
「……」
「君は、本当に頑張ってきたと思う。だから____
______お返しに、俺が君に最高の自由をプレゼントしよう」
「貴族の中でも上澄みしか知らないことだが、この世界は実は滅茶苦茶広いんだ。あの後、俺は王族やら貴族やらの弱みを盾に荒稼ぎしたからな……俺の人生をかけて、この世界の全てを君に見せてあげられると思う」
「美味しいものを探すのも、新しい趣味を見つけるのも、住みたい国を見つけるのもいいと思う。もちろん全て自分の意思でね。そして、いつか新しい恋人に出会ったら、その人と添い遂げるのもいいだろう。俺はそういう君の全てを、影ながら支えて、見守りたいんだ」
「……ぇ」
そう言ったレオ様は満ち足りた表情で、私の方を見ます。こんな嘘みたいな話を、こんなに真剣にされていて……
「本気……ですか?」
「本気だとも。君には、もう二度と死にたくないと思えるくらい、嫌というほど幸せになってもらわないとだからな」
「レオ様に何の得が……?」
「俺にとってはこれが一番得なんだ」
「どうしてここまで……?」
「……君に感謝してるからだよ」
ああ……あああああ。
「本当に。私は聖女をやめて、そんな自分勝手に生きていいんでしょうか」
「当然だ」
「そっかぁ……」
ぶわっと、涙だけが溢れて止まりません。でも、なんて気持ちの良い涙でしょうか。
私の胸は今、安心に満ちています。そこまで長い付き合いではないですが、分からされてしまっています。“この人は、嘘をつかない”と。
「そんなに泣かないで」
今の私には、泣いてる時に私のことを抱きしめてくださる方がいるんですね。
いや……その存在に気付いていなかっただけなのかもしれません。
「じゃあ、もうお言葉に甘えて幸せになりたいです」
出来れば、あなたと一緒に。ずーーっと。ずーーーーーっと。
そしたら……私も、ようやく幸せになれるのかもしれません。
「私、人から言われたことは……断れないので!」
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