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微睡む牙古鳥の随筆

令和某年誕生日記念杯

 私事(わたくしごと)ではありますが、私この度、誕生日を迎えました。年齢については、特に非公開情報というわけでもないですが、とはいえ別に喧伝(けんでん)することでもないので、伏せておきます。執筆当時でざっくり三十路入って少々、という程度ですね。


 そんなわけで、()()()()()()()()()()というそれだけの理由で、何か書いてみようかなと思った次第ではあるのだが、実のところ、全く(もっ)てテーマを考えておらず、誕生日(バースデイ)殊更(ことさら)事象(イベント)を計画しているということもない。(すなわ)虚無(ヴォイド)

 実際、この歳にもなって、


「さあ、待ちに待った誕生日だ! 友人たちをお招きして、盛大に祝おう!」


 ……などということにはならんのである。している人もいるのだろうが、私はそうではない。出生間もない、存在そのものがとにかく脆弱で、節目節目を迎えられたことを寿(ことほ)ぐべき時期は、既に遥かへと過ぎ去り。今では、これといって使命感なども特にないまま、ただ社会に害はなさぬように、と静かに生きる、たったそれだけの小さきものである。


 そういう意味では、(おの)が存在の矮小(わいしょう)性については、出生当時(うまれたとき)からすら然程(さほど)変わっていない、という評価もできるかもしれない。なんなら、当時より目減りしている可能性すらある。今では小憎(こにく)たらしくも(さか)しらな()()をしているだけの、ただの大馬鹿者でしかないが、幼少期の頃などは、母親からも随分と可愛がられていたらしい。話に聞かんので実際は知らんが、恐らくは周囲からもそのように思われていたことだろう。

 それが今では、「まぁ別に存在くらいはしていてもいいんじゃない? でも、あんまり近くには寄らないでいただけます? 不快ですので……」といった感じの、人としての魅力に乏しい、なんかもう存在に価値なんてあるのかな、というような厭世的(えんせいてき)な気分に(まみ)れた、ただの弱者…… 近頃流行りの言葉で言うところの「弱者男性(ざぁこ♡)」である。母も、そして恐らくは父も、「こんなはずではなかった。出来損ないの失敗作が」と感じていることだろう。不甲斐ないことだ。


 それ自体は別に構わない。そもそも人の世というものは、都合よく舗装された道筋である訳ではなく、望みを叶えるために競合を踏み付けにしてでも、渇望を形にすることで、やっと仮初めの満足を得るような、そんな地獄の一丁目である。

 それでも、もっと皆が望んだ「よりよい未来」を求め、そこに寄与しながら、私自身もその恩恵に(あずか)りたい、そう考えることは、何ら間違っていない。故に私は、不出来ながらも幸福を望むものである。



 ……何の話をしていたんだったか。出生と人生に関する悲観的(ネガティヴ)な話など、誕生日にそぐわない内容ではなかろうか。ある意味では最も正しいタイミングではあるだろうが(例えば誕生に最も遠い、およそ半年後にそういう機会を立てない限り、出生にまつわる話題は誕生日にする方が、関連度合いは高いと言える)、そんなことはよくて。

 何にせよ、「あの頃は本当に可愛かったのに」という言葉は、母親という概念から出てくる、頻出(ひんしゅつ)定型文(テンプレート)であると言って差し支えないだろう。それはきっと、「なのに、今ではもう、こんなに不細工(ブサイク)で、ゴミのように無価値な存在。不快ですので、さっさと死んでくださいません?」と続く言葉なのではなく、本当に表現通り「思い返すあの頃の貴方は、本当に可愛かったなあ」と言っているだけであろう。というか、仮にそう言いたいなら、素直にそう言えという話である。存外、期待されていないことの可視化というのは、救いに繋がることもあるのだし。もちろん人によるだろうが。


----


 さて、ここまでを開会の挨拶とし、『令和某年誕生日記念杯』の開催を、ここに宣言します。……今、令和何年でしたっけ。ああ、「令和(れいわ)」というのは和暦(われき)という、日本国の元号、年度の節目を表すものでして、ざっくりと西暦2020年頃のどこかのタイミングで、それまで「平成(へいせい)」という名だったそれから更新されたものでございます。

 ――などと、遙か未来、日本の文化が忘失の彼方へと失われた頃に読まれることも想定した注釈を入れてみたものの、正直なところ、日本の文化の遺失よりも先に、この随筆(ずいひつ)が遺失される可能性の方が明らかに高いわけで、意味があるかでいうと、まぁ確実に皆無だと言えるだろう。AWS(※)のS3(※)が障害を起こす可能性よりも低いだろう、と推定される。……いや、それは流石に悲観し過ぎか?


 まぁ多分、令和五年とかそのへんでしょう、たぶん。調べてもないので、答え合わせは粗方を書き終えた後にしておきます。誕生日記念杯と記載している通り、なんかこう、競馬的な要素と絡めて何かを書けると良いのでしょうが、競馬の基本的な決まり事ってあんま知らんので、精々が競走馬の名前っぽいものを考えて遊ぶくらいしか出来ませんね。

 ああ、ちなみに「競馬(けいば)」というのは…… こっちはまぁ「競走馬(きょうそうば)」って言ってるし、説明なんてせんでも、なんとなく分かるか。遠い未来、「馬」という種が途絶えていれば知りませんが、正直なところ、馬よりも人の方が先に絶えるのではないか、という予感もなくはありません。栄華は儚いものです。……人類史に「栄華」なんてあったか? 各自、好き勝手しとるだけでは? その是非は知らん。


 というわけで、各選手の入場です。


 一番、「チョウゼツデブショウ」。のっけから大丈夫でしょうか。出不精(でぶしょう)に競争などできるのか。無理でしょう、どう考えても。入場できたのが奇跡まである。

 二番、「クライツクスウィル」。今大会の最有力候補ですね。競争より食欲の方が勝るので、騎手の手綱捌きに期待しましょう。

 三番、「バンショウオウサツ」。臆病者(チキン)の内弁慶の分際で、口先だけは大きいと評判です。会場からは「すっ込んでろ」とブーイングの嵐。

 四番、「トランキルウィズダム」。別名『慟哭する蒼髪の娘(クライドヴァレンス)』。私の個人的な推しの一人です。とにかく押しが弱いのが玉に瑕ですが、頑張って欲しいですね。


 本当はまぁもっといるんですが、取り敢えず一旦はこの辺りにしておきましょう。また別の機会には書かれるかもしれません。人の中身というのは存外に複雑なもので、自身の内在の要素を切り分けて、キャラクターを与えている人もいます。私のように。……いや、競走馬的な名前にはしておりませんが。万象鏖殺(ばんしょうおうさつ)ではなく『大憎悪(ヘイトレッド)』でございますので。あと、究極出不精は別にキャラクターではないですし。ただの性質。

 もしかしたら、これを読んでいる貴方がたの中にも、()()()()()がいる人もおられるのでは? 広くふれて回る話ではないでしょうし、そのまま秘めておいてもよろしいかと。私は興味があります。



 そのような無軌道な妄想も、あるいは組み上げられた創作(ものがたり)も、そこに価値があるかどうかというのは、そこに()()()()()()()()()()()()の差しかなく、例えば人気作家や有名人の他愛のない一言と、誰にも知られていない誰かの金言とであれば、基本的には前者の方が高価値である。いや、私の駄文が金言だと言いたいわけではなく。だとしたら烏滸(おこ)がましすぎる。


 価値を認められたいと願うなら、()()()()()()()()()のも大事だ、というのは間違いなくて、評価の量というものは、対象の良し悪しよりも前に、それを見られるかどうか、の方に依存している。本来説明されるまでもなく当たり前のことではあるが、例えば十人に一人が評価をくれ、百人に一人が感想をくれるといった場合には、百人に見られなければ感想は一つも得られないのである。それが厳然たる事実なのだ。


 そういった風に、何かしらのKPI――即ち、キーパフォーマンスインジケーターは、日本語で言うと何だっけか(※)。雑に言うとまぁ達成目標とかそんな感じだったはずだが――として、評価点が何ポイントほしいとか、評価点平均がいくらほしいとか、そういうのが厳密に、明確にあるのであれば、そのために何が必要なのかとかを真面目に考えて、評価し、改善を計画し、そのように取り組む方が良いのである。

 私? 私はまぁ、趣味なので。評価もらえたらいいなぁ、と漠然と思ってはおりつつも、究極的には私さえ満足なら、それで必要十分でしょうね。


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 と、そろそろ文量がまあまあ良い感じになってまいりましたね。そろそろ筆を置く準備でもいたしましょうか。本当はやってるお仕事にまつわる話の、より抽象的な(レイヤー)における超感覚知覚の話をしたかったような気もしますが、そちらについてはまた別の機会に、興が乗ったら考えてみましょう。なんというか、特定の条件においては記述に色が見えるんですよね。共感覚とか言いましたっけ。



 さて、何事もない日々も、いつまでも続くように感じながら、本質的にはいつ終わるとも知れぬものではありますが。それでも得難い幸福として、今日この日まで生きてくることが出来ました。

 私を産んでくださった両親と、それに連なる先祖の皆様方、そして生きる社会を今日(こんにち)まで維持してくださった社会の皆様方。私とともに生きてくださった同輩方、私とともに遊んでくださった友人方に、改めて感謝を。


 生きるものも、死せるものも、みな。あなたの道行に、平穏と幸福がありますように。



 ちなみに、実際には明日が誕生日なんですよね(フライング)

ちなみに、西暦2023年は令和五年で合ってたらしい。そこはちゃんと無様に間違っとけよという感じではある。


※AWS:Amazon Web Service、アマゾンが提供しているクラウドコンピューティングサービスのこと。


※S3:同社のSimple Storage Service、ざっくりいうとデータがいっぱい置けるところ。耐久性(デュラビリティ)は圧巻の99.9999999%(イレブンナイン)とのこと。可用性(アベイラビリティ)については99.9%とか99.99%とかの保障らしいが、どちらにせよ(しゅげ)えって感じ。


※KPI:重要業績評価指標、または重要達成度指標とのこと。個人的には後者の方が汎用的にしっくりくるけど、なんか違う気もする。

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