姫宮の住まいの星読みの屋敷は賑やかで。
御殿から大通りを真っ直ぐに進み、町中を横切る三野川に掛かる太鼓橋を越え辻を曲がるとしばらく。唐風の築地に囲まれた華子の古びた住まいがある。
「ほや、どないしよ、この輿。置いて帰らはるんやろか。どこに置こ。壊れた輿が入っとった小屋は、取り潰してしもうたし、座敷のひとつを置き場にするしかあらへん」
ひと通りボヤキ心が落ち着いた華子。開かれている門に辿り着いたのだろう、帰宅を告げる侍従の声が聞こえる。
「お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
ひょこん、ヒョコン内側で迎える門番達は、腐ちること無く程よく年を重ねた門扉に使われた檜の精。打ち付けられた鋲の材である黒鋼の精と、一対で役目を担う。
彼等の赦しを得れた輿が門を潜る。草茫々だが手入れがされているのか道を示す敷石が顔を見せている上を進み、屋敷内へと運ばれた華子。案じていたが、彼女を降ろすと童子達は空の輿を担ぎ、御殿へと戻っていった。
「侍従。火鉢で乾かしておいで。今日は湿気が多かったやろ」
先祖が高麗より霊木を切り出し組み立てたと聴く、女房の姿を形取る『木人』と呼ばれる式神、侍従に告げる華子。母亡き後主として使役している。水には多少は耐性があるのだが、水気を含めば全体が一回り、むくりと膨らむ様に肥って見える。
「腹や尻がパンパンな気が。では一時、お暇を」
「急がんでもええ。火に気をつけてな」
主である華子が側に居れば、外出時にも使える彼女を便利に思い頼りにしている。繁栄の時代の古き術は星読みが衰えた今、復活の手段はない。壊れてしまえば終わりなので、大切に扱っている。
自室に入ると、様々な憑モノ達が人形を取り出迎える。
「お帰りなさいませ。湯の用意をしております」
「お帰りなさいませ。膳所がすんごいです」
「お帰りなさいませ。荷がいっぱい来ております」
「ありがとう。なんや?着替えてから話をきくよって」
重い長かもじを外し、重ねて着せられた色鮮やかな衣や、衣擦れの音が高い分厚い布地で縫われた緋の袴を脱ぎ去る。化粧を落とすと普段着に着替えた華子。
「せっかくならそのままの方が、宮様みたいに見えるのです」
「お化粧も綺麗なのに勿体ないのです」
「元に戻るのは損なのです。おばばみたいな着物なのです」
手伝う様命じられた、彼女達のボヤキ声の中、堅苦しい装束を脱ぎ捨てられた事で躰から余分な気合いがするりと抜けた華子。
「仕方あらへん。御殿から届く普段の御召しはどういう訳か、抹香臭いお品しかないんやもん。それにあんな格好してたら動かれへん」
運ばれてきた茶と菓子は、華子が手ずから摘んだ、あけび草を茶に仕立て上げた逸品。とこれまた、今朝方朝靄の中で摘んだばかりのよもぎが、膳所に陣取り賄いを担う竈の精が、湯がき灰汁を抜き潰して米粉と併せ蒸し上げ、団子に仕立て上げていた。
「ありがとう」
飲み慣れた味にホッとひと息。高坏の上、懐紙を敷いたそこに山を作っている、もっちりとした団子を見ると。
「きな粉が振りかけてある。どうしはった?」
少しばかり豪勢な団子に違いを感じ、戸惑いつつも口に運ぶ華子。薫り高い蓬と、香ばしいきな粉の風味が鼻に抜ける。
「米味噌大豆、甘藷に塩漬け菜、酢に砂糖に醤」
「油に餅、塩、唐菓子に飴玉、蜂蜜、干し魚」
「御殿から届いたのです。竈のお方は大喜びです」
指折り数え上げる声に、これまでの支給品と比べ、雲泥の差に華子はなんでやねん。
「うちの婚礼が決まったからやろうな。まあええ。貰えるもんは、もろときまひょ」
静かにお茶を啜る。
「主様、お嫁行かれる」
「ここはまた寂しゅう」
「空っぽになりまする」
袿を片付けながら、しょぼくれた声を上げる。
「ん、未だしばらくは大丈夫。ここに居る。内々の話やったし、正式なやり取りがまた、イチから始まるんや。まさか姉様に用意しておられた、荷をそのまま使う事はせえへんやろ」
姉様のお身内の、あの右大臣様の肝入りで用意されつつあった、姉宮、八重子の嫁入り道具。それをむざむざ手放したりはしないと、華子は考えている。
「ほやから安心おし、当分先や。それにどうなるか、まだまだ判らへん。ほれ、沢山あるゆえ、お前たちもお食べ」
高坏の上から団子をもうひとつ。口に入れる前にそう話し微笑むと、憑きモノ達は喜び、主から薦められたよもぎ団子の相伴に預かった。