松の丸屋敷の御台所 松子は茶筒をふるふる。
「若君さまぁぁあ!」
ぶつぶつほざいていた事で、何時も馬を駆けさせ通り過ぎる場に差し掛かっていた事を、すっかり忘れていた晴紀。裾を絡げ上げ転がるように駆け寄ってくる、母 松子に仕えている下仕えに気が付き、どうしようかと頭が痛くなる。
ずざぁぁ。地面を滑るように止まると、勢いのまま地に平伏をする少女、仕方なく馬をとどめた晴紀。
「お願い申し上げます!きょうは若君さまが、松の丸に来る日と、お茶筒さまが。そういう日なのです!」
「母上の『お茶筒占い』に出たのか?」
「そうです!」
「お前について行ったら、ヤラセだろう、そなたは毎日、ここで吾を待っているのだから」
「ぐ……。それはそうなのですが。でも、でも、若君さまをお連れしないと、重野さまにビッシビシ……」
松子の腹心である側仕えの老女の名を上げ、目を潤ませ頼み込んで来る少女。
「はぁぁ。仕方ない、帯刀。少しばかり母上の屋敷に寄る」
「知らぬふりをなされても、殿はお叱りにならないかと」
「いや、知っていて通り過ぎた事が、松の丸の者達にばれると、後々がややこしい」
目の先に広がる松林。その奥から空に向かい薄っすらとした煙が昇っている。風が吹けばそれに混じり、屋敷で焚かれている香の匂いが流れてくる。晴紀は丹田に気合いを入れると、先に立ち歩く少女の後を付いて行った。
「若君様でございます!」
到着を知らせる張り上げた声に。
ドドンドンドン、ドドンドンドン!ドドンドンドン!
出迎える団扇太鼓の音がより一層高まる。おおおおおお!と雄叫びも混ざる。玄関脇の馬寄せに居るにも関わらす、晴紀の元に届く地鳴りのようなうねり。
「どうしてここに仕えている腰元達は、このような女性ばかりなのか。入れ替わりもあるだろうに。いつ来ても判らん」
ガラリと開けられた玄関に向かうのだが、モクモクと内から吐き出される様に流れ出てくる煙に、鼻が即座に反応をし大きなくしゃみをひとつ。
「すん。ここに来たら毎回こうなる。帯刀、お前はここで待ってろ、吾は大丈夫だか、ついてくると後で頭痛になるぞ」
差し出された手拭いで鼻を抑え落ち着かせると、新鮮な空気を大きく吸い気持ちも躰も整えた後で、屋内に入り屋敷の主が鎮座する部屋へと向かった。
「母上様におかれましては、ご機嫌麗しゅう御座います」
西の高貴なる風習を頑なに守る母松子。御簾の向こう側で座る母に、親子の礼を取り挨拶をすませる。
「ごきげんよう、ありがとう」
「して、吾に話がお有りになられるんですね」
さっさと切り上げようと、単刀直入に問うた。しずしずと重野が茶を運んでくる。
「どうぞ、若君様。御神水でお淹れした、粗茶で御座います」
けぶい空気で満たされている部屋で、怪しげな言葉添えで出される茶など、毎度口にしたくは無いのだが、じっと御簾の内から見つめてくる視線がある手前、唇をつけて含むふりをし誤魔化すのはいつものこと。
湯呑の中の松葉がちろりと回る。
「本丸屋敷に向かわれたとか」
「はあ。流石ですね。占にて出ておられましたか?」
実際は先の下仕えがあちらこちら探り、報告を入れている事を知っている晴紀だが、機嫌を損ねたらややこしくなるので、軽く持ち上げるように返事をする。
「ほほほほ。母にわからぬ事はないぞえ」
「それでなにか?」
「……、……。実は占に、西の八重子様は、この地にとって、やはり凶と卦が出たのや」
わざと声を落として話す松子。
「はあ。左様で。しかしそのお話はとうに……」
「太郎の嫁に相応しいおなごは、別にいてはると」
言いたいことを言う松子。
「母上様、もう成人名で『晴紀』を、頂いておりまする。はるのりと、お呼びくだされ」
「ああ!太郎!」
噛み合わぬ親子の会話。
「はるのり、で。その凶のお話は前にも、その前にも、その前にも!聞いておりまする」
「きぃぃぃ!太郎!きたきたきたきた!来たぞよぉ!」
突如!ガラガラガラガラ!茶筒を振りはじめた松子。襖戸一枚向こう側の座敷に詰めている腰元達が、即座に反応。
ドドンドンドン!ドドンドンドン!ドドンドンドン!
一糸乱れぬ拍子で力強く、打ち鳴らされる団扇太鼓!
「母上様、何が来られたのでしょう」
「お茶筒様ぇぇぇ!まちゃ!太郎。今読む故」
「は、る、の、り、です。母上様」
カシュッ!茶筒の蓋が開く音。
バラリ!ザラリ!中身を畳にばらまく音。
トン、トトトト……。散らかる音。
ひぃ、ふぅみぃ、やっと……、ブツブツ呟く松子の声。
ブツブツ、ブツブツ、ブツブツ……。
ドドンドンドン!ドドンドンドン!ドドンドンドン!
御茶筒様のご霊験、あらたか、御茶筒様のご霊験、あらたか、団扇太鼓の音に合わせ腰元達の大合唱。側で目を光らせる重野もどこからか取り出した、団扇太鼓を叩き唱えている。
はぁ。毎度のことに心うちでため息をつくが、たった今、本丸屋敷にて、打診された四の宮との新しい縁組が、まだここまで届いていないらしい事に少しばかり安堵をした、晴紀。その話題に松子が触れていないからだ。
障りがあり候。三の宮 八重子との縁談が流れたと聞いた松子は、お茶筒様の占が当たったと、手を叩いて喜び、重野を筆頭に腰元達が団扇太鼓を高らかに打ち叩き、言祝ぎを述べたとの噂が、まことしやかに流れていた。四の宮との話を耳にしておれば、新しい縁組は大凶と言い出すに違いない。
「して。お茶筒様はなんと?」
「判らぬ……。複雑な卦が出てはるゆえ」
「はぁ、左様で。では吾は用がございますゆえ、これにて失礼をば」
御簾に向かい一礼をし、晴紀は立ち上がる。
ブツブツ、ブツブツブツブツ。いつものように、都合の良い世界に籠もる母、襖戸の向こうから団扇太鼓の音がうねるように鳴り響く。それと松子の呟き声に送られ、香の焚きすぎで視界が何時もうすら白く感じる、松の丸屋敷を後にした。
「ご苦労さまです」
澄んだ空気の中で帯刀が迎える。新しく伸びた松葉がシャシャと揺れる様な、季節外れの冷たい風が空から吹き降りる。それを心地よく受けつつも、奇妙な感覚にハマる晴紀。
ドドンドンドン!ドドンドンドン!ドドンドンドン!
「お茶筒様の失せ物ありとのお言葉じゃ、誰ぞ、探しゃ!なんとそこにあるのかえ?御台様、大当たりでしゃっしゃりまするぅぅ!」
屋内から響く団扇太鼓と老女、重野のわざとらしい弾んだ声、仕込んでいたネタが上手く機能したのだろう。腰元達が声を揃えて茶筒を崇めるそれが香の煙と共に、屋敷の外に漏れ出てきた。
「茶番に付き合うのも大変だ。そうだ、今年は妙な風が吹くと。母上様にそうお聞きしたら良かったな。どうお答えになられるんだろうか、お茶筒様は」
ぽそりと呟くと、ヒラリと馬に跨った。
明日から次話は予約投稿をしております
↑書き溜めできました(〃∇〃)
今回はとっとと投稿しておくパターンに挑戦です。
(日にち間違いの恐怖が、ありますが)