若君はボヤいております。
東の領地を治める城の庭にて、八重桜が終わりを告げ次に咲いた黄色い山吹の花が、一斉に花散らし。我が子を育てぬカッコウの鳴き声に誘われたのか、この時期にしては珍しい、冷たい突風が吹き荒れ垂れた枝を弄んだ。
綺麗サッパリ緑の葉だけになった山吹に気がつき、足を止め眺める宗家の壱の息子晴紀、幼名『太郎』。
我が心まさにこれなり。弄ばれボロボロになった山吹を、産まれ落ちた時より、運命に翻弄されている自身と重ね合わせる。
「若、馬の準備が整いました」
幼い時より侍る帯刀が声をかけてくる。あいわかった。そう応じると、与えられている住まいに戻るため、騎乗の人になる。城内は広く、森もあれば池もあり、それぞれの住まいの行き来には馬や籠を使う。
身分上、独り呟ける場は寝所の蒲団の上と、馬場や移動のためにこうして相棒を駆る時のみ。大声を立てぬ限り、多少のことなら呟いても誰からも咎められない。
手綱を操り揺られつつ、素になる晴紀。
「どうせならお郷の方のような、気心知れた家の産まれから、吾の妻は貰い受けたいものだ。西でお育ちになられた、母上には悪いが」
晴紀は腹を痛めて産んだ子が、元服の儀を済ませた年数が経っても、未だに幼名を呼び、土地に慣れぬ風を装うのか、そうなのか見極めがつかない、母親の事を思い出しボソリ。
「この穏やかな東を未だに恐れるなど、愚の骨頂。何故に西の者たちはこの地を恐れるのだろう」
どうにも婚家の暮らしに馴染めず、その中で晴紀をようよう産み落とすと、産後の血の病に伏したと言い張り、松の丸屋敷に引き籠った母親、松子。役目は果たしたとばかりにそこで、婚礼前の娘の様な暮らしを送っている。
「父上も悠長な御仁だ。側室だが良く出来た、お郷の方が本丸屋敷の奥を仕切って下さっているから、不便は無いが」
ポツポツボヤきつつ、馬を進める晴紀。雲雀の鳴き声が天高く登る。
「所詮、未だに人形遊びを好む様な姫宮等、無理だったのだ。そう……、それで良かったのだ。我が身より身分が高い嫁御を貰う前から、嫌う母上の機嫌も良くなり、吾の先も少しは気楽になるはずだった」
流行りの吉野の花が散り初めを迎えた頃、早馬にて届けられた一報。そこには婚約者である、三の宮 八重子に障りあり候との文面。
父親からそれを知らされた時、晴紀は神妙に話を受け取ったのだが、これで幼子のような妻を娶らなくても、よくなるやもと密かに喜んだ。
「そう。吾はこの話は破談になると思った。なのに突如湧いて出た、妹姫とやらを娶らにゃならんのだ!四の宮等、おられたのか?知らんぞ。右大臣家の姫だった、母上より格上の姫だぞ。現、今上様の娘御が、世に出ておられ無いのは如何に?」
少しばかり手綱を握る手に力が入ったらしい。ブルルッ。愛馬が身震いをした。晴紀はため息をつく。深く深く……。
父親の気苦労よりさらに上が、この先待っていると思うと世に聴く通り、結婚とは墓場なり。まだ清らな若い身空で、晴紀はこれに行き着いている。
鶯が鳴げば和歌をしたため、早咲きの梅の枝に結び届け。
八重桜が見頃になれば、観桜の会を催すから来ないかと誘い。
蛍がひとつふたつ、屋形の池に光を放つと、池に船を浮かべ、暑気払いの管弦の会を開くからと報せ。
雁が空を並び飛び、紅葉が色づけば詠み人を集め、和歌の会はどうかと伺い。
ちらほらと真白な雪が舞う季節には、透き通る琥珀糖でつくらせた菓子を重箱に詰め、寒中見舞いを贈り届け。
季節ごとに、ご機嫌伺いをしなければ晴紀の母親は、夫に蔑ろにされたと、熱が出たやら、心の臓が痛むやら。宗家の正室となり御台所と呼ばれ、その身に課された責務の粗方は果たさず、遊び暮している。
おまけに春一番が殊更酷く、轟々と空を鳴らし吹き荒れ松の木の一本に雷が落ちた騒ぎの頃より、暇が高じたのか、突如として神を得たとか言い出し怪し気な占い師気取り。
香をもうもうと焚き、腰元達に団扇太鼓を叩かせ、貝や水晶、松林で拾った枝や葉や光る石、真珠、翡翠玉を茶筒入れガラガラ鳴らして占をしている。
「お茶筒さまの御利益、はぁぁ!」
そしてその顛末が何処からか漏れ、面白可笑しく、かわら版に書かれる始末。悟りの境地を開いた父親は息子に折々、こう話す。
「晴紀よ。まあ良い、庶民の娯楽に貢献しておる。東より古い西は、何もかもここより上の千年万年の世界。醸し出された時には勝てん。そこで育った姫君とは、崇め奉る存在なり。……、下僕だと最初から思っておれば他愛も無い」
晴紀はあっけらからんと澄み渡った青い空を見上げ、ボソリ。
「婚約破棄を願ってはいない、願った訳でもない。日頃の行いが良いから、神仏が憐れに思われ流してくださったんだと思った。だから姫の回復にかこつけ、向かった神社で寄進も弾んだ。それが駄目だったのか?何故に?宗家の男は苦労せよと?神仏の慈悲は無いのか。この世には」
気位ばかり高い、御飾りにしかならん嫁など要らぬ、そう言える身分になりたい。晴紀はまだ娶らぬ嫁御に対し、既に幻滅を見ていた。




