姫宮と若君二人のために世界はあるの。
振り返るべきか振り返るざるべきか、それが問題だ。晴紀は悩む。耳に捉えたのは。
恐らく。
きっと。
多分。
絶対。
聞きたいと、始終想い焦がれていた四の宮の声。それに違いないと。目の前の問題もそれよりも、背後が気になる。領地の困窮をどうするか。それよりもどう振り向くか。それが一番大事、恋する晴紀の頭の中はそれでいっぱい。
きっとそう。多分そう。でも違う?お声をおかけしても、振り向いてくれはらへん。気持ち悪いと思われたんやろか。華子は悩む。
でも。
多分。
きっと。
絶対に。
うちを引き寄せでくれたお方はこのお人や。うちこと、気味悪いなんてお言いにならへん。異性といえば憑きモノ達と祖父を除き、父親といえど御簾越しからしか、近に目にした事が無い暮らしの姫宮は、体躯の良い婚約相手を目の前にし、どきどきとしてしまい、振り向かれたらどうしよう。おぼこな華子も、それでいっぱい。
もじもじとした、はにかむ空気が二人を包むが、辛抱できなくなった晴紀が動いた。
「四の宮殿!」
「はい!」
「四の宮殿」
「はい」
「四の宮殿」
「はい」
答える華子は、嬉しくも恥ずかしく。胸元を押える。
……、おもう様やお祖父様、左大臣様とはまるで違う、溌剌としたお声で名を呼ばれたんは、生まれて初めてや。どないしまひょ、どきどきして。もっと呼んでほしい。いやん。はしたない。
……、くぅぅぅ。生きてて良かった。これまで数多くの腰元達や、臣下の姫達の声を聞いて来たが、なんという愛しい声なのだ。四の宮殿ではなく、『華子』殿。いや。『華子』とお呼びしたい、だめだ。非常時に何を考えているのだ!
晴紀は、じわじわ込み上げてくる気持ちを押し留め様と、ぷるぷると肩を震わせ耐えている。
「どうされたのですか?御身体がお震えになられて」
様子が違う晴紀が心配になった、華子がそう声を掛ける。
……、吾を案じられて!はぁぁ!いや。どうやって振り返れば。神の御代の話のように、姿を見たら消えてしまうとか?星読みの術にてお越しになられたのだろうか。母上の茶筒とは違う!ああ。婚礼を上げれば毎日、はぅん。
甘酸っぱい気持ちでいっぱいになり、返事どころでは無くなっていた晴紀だったが、あることに気が付いた。
「帯刀!」
「はっ!若君」
「先程のお声が聞こえたか!」
「いいえ。どの様なお声なのでしょうか」
「帯刀!
「はっ!若君」」
「面を上げ、吾の背後には誰のお姿が見えるか、答えろ」
「失礼をば。誰もおりませぬが」
帯刀。侍従みたいなお方やろか。華子は晴紀の背中に隠れる様に身を小さくする。
「それならば良い!ここは吾で手が足りる故、そなたはここに誰も入らぬ様、外を守れ!」
「かしこまりました!」
追い払った事に少しばかり罪悪感を抱きつつ、安堵をした晴紀。何故だが判らぬが、訪れている愛しい人を例え幼い頃より、全てを捧げ仕えてくれる帯刀といえどその目に触れさせたくなかった。
「して。四の宮殿はどの様にして、此処に来れたのだ。教えてほしい」
「術にて」
言葉少なく答えた華子。気味が悪いと思われたら。案じてしまう。
「術とな。それは危険ではないのか?」
「多少は。でも大丈夫。桃太郎様がお守りくださっております」
「はあっ?」
その名を口にされ、我が耳を疑う晴紀。
「桃太郎とは如何に?」
晴紀は気合いを入れ平静を装い問う。
「届けられました、釣書にて。桃の節句の太郎様故、桃太郎様と」
おかしな事を言うたんやろか。心配になりつつも、聞かれるままに答えた華子。
「ふぐ……」
知られたくなかった事実を知られてしまった事に、晴紀は世界の終わりが来てしまったと、頭の中は絶望感でいっぱい。先程とは違う震えに襲われる。
……、お伽草紙の英雄と同じ名とは。幼名といえど、吾はどれほど悩んだか……。
晴紀から発せられる、負の気に気がついた華子は慌てて名の持つ力の事を話す。
「桃太郎様が、鬼からうちを、しっかりと守って下さっておられるん。だからここまで、来ることが出来申した」
「それはどういう事で御座るのか?」
「桃には鬼やよろしくないモノを祓う力が宿ると申します。その節句にお生まれり、そして太郎というお名前、晴紀様には良きお力が宿っておられます」
とつとつと話す華子に、しかし吾は何も出来ぬと声を上げそうになった晴紀。一気に問題が立ち上がって来た。領地の困窮、弟の奇病、珍妙なる母親。
……、四の宮殿に助けを求めた。摩訶不思議な事ばかり起きて、何も知らぬ故に出来ることが無く、吾は不甲斐ない。
晴紀は黙り込む。ぎこちない空気が広がる。華子はどうしようと思いつつ、此処に来た理由を話し出す。
「晴紀様、ここに術を使い来たんは、晴紀様をお助けすることと、道中出逢った、そこな雷様の若ぼんさんの、おたあ様に頼まれお空に帰れる様、お助けするため」
「吾を助けに?」
華子の言葉にたまらず振り返った晴紀。思わず胸がときめき倒れそうになる。
……、なんとお綺麗なのだ。天女とはまさにこのお姿。
「術にてこんな成りになってしまい、恥ずかしいおす」
……、東は鬼の住処。火事と喧嘩で明け暮れると。でも晴紀様は目元涼やかな公達。ああ。こんな成りを見られてしもうた。
くしゃくしゃと透き通った肩巾を集め顔を隠す華子。その様子に、なんという奥ゆかしいと、晴紀の恋心はますます熱を高めるばかり。気持ちが溢れる事と聞きたいことが並走。
「その。透き通るお姿は術にて?大丈夫なのか?」
「はい。ほんとはたいそう危ないと聞き、それはもう怖かったけど桃太郎様が、しかと守って下さるから、怖うないようになったん」
「四の宮殿……」
健気な言葉に、晴紀は桃太郎で良かったと思いつつ、目の前の愛しい人の危険なお役目を、早く終わらせねばと、気持ちが切り替わった。
二人の世界はひとまず、置いておくことにする。
「四の宮殿。お助けを。三郎の病を払って下さらぬか」
「三郎君とは」
晴紀の言葉を受け、辺りを見渡すと。
「まあ。でんでん様がお憑きになられて」
チチチ、ピピ、小さな稲光を四方八方に飛ばし、えぐえぐと泣いている、雷様の子の姿。小さくしゃがみ込み、晴紀の足元に転がる茶筒を口をへの字にし、物欲しそうに見ている。
「タアタマ、キンタマ」
ふわり。天井を舞う様に子に近づいた華子。晴紀は慌ててそちらを向く。
「でんでん様、して『きんのおたま』とは、もしや『晴れ玉』で御座いますか」
「アイ、えぐえぐ」
「でんでん様のおたあ様に、直すよう頼まれておりますへ」
優しく問う華子に、ゴシゴシ涙を拭う雷の子。
「何処にあるのか、ご存知?」
「アイ、アレ」
指差す先には、松子の茶筒。不思議な事に、雷が直撃したにもかかわらず、傷ひとつついていない。それどころか赤銅色した筒が仄かに光を帯び、プシュゥゥと何処からか黒い煙を上げていた。
「母上の茶筒に?何か知らぬが装いを変えておる。雷のせいか?」
変わり果てた姿の茶筒を頓着なく拾う晴紀。母とお郷の方と重野が倒れ伏し、御簾も吹っ飛び、調度もあっちこっちへとっ散らかった中を、物を踏まぬよう気をつけながら渡しに行く。
「これを渡せば、三郎を戻してくれるのか?」
「アイ。……、!イタイ!……、ヒ!……、イタ!」
嬉しそうに茶筒を触ろうとした雷の子。しかし、バチバチッ!手で触れると、茶筒が火花を振りまくので受け取ることができない雷の子。イタイと言い、口をへの字に曲げる。涙が膨れ上がる。
「吾は大丈夫だが……」
助けを求めるように華子に聞く。
「なにやら。剣呑な『気』が茶筒に宿っていますゆえ、それでふれられないのやと」
剣呑な気。母上は何をやらかしておられるのか。呑気に目を回し倒れ伏す松子を、叩き起こしたくなる晴紀。
「この中にあるのか?」
「アイ。タアタマ」
「早く、『きんのおたま』を出して上げてくださいませ」
……、きんのおたま……。そういえば母上も何でも冒頭に『お』 をおつけになられるな、語尾には『さん』なのだが。タアタマとはなんぞや。
「わかった」
サシュッ。晴紀は捻り開ける様に蓋を動かすと、ジャラジャラ入っている、茶筒の中身を畳の上にザラリと空けた。
「キンタマ!タアタマ!」
キンキン声が、とっ散らかった座敷の中に彈けた。




