姫宮は読んだ!松子の文からあの星の気配!
「宮様。雨はいつ降るんやろうか」
屋敷を修繕をする人足達の活気ある気配も消え、畳も御簾も几帳も文机も、盥に燭台。お膳も飯碗も、平椀、小皿、汁椀、高坏、湯呑に箸、膳所の鍋釜諸々、一切合切、傷を塞がれ塗り替えられ、繕われ。清らかな品に、あっという間に変わった、星読みの屋敷。憑きモノ達も何やら得意げに姿を見せて、自慢話をしている。
「うちは金継ぎしてもろうた」
「うちは金と銀のお花が元に戻ってん!ピカピカやで」
「ほれ見てみい、虫食いの穴、綺麗にないやろ」
隆盛だった昔に戻った様な暮らしの中、何時もの様に干物の包みをひとつぶら下げ、占を頼みに来た客が、入って良いのか迷う程、見た目は高貴なる屋敷の姿に戻っている。華子のたっての希望で、庭は手つかずのままにしているのが、功を奏しておずおずしつつも、夏草が緑濃く草茫々のそれに、ホッとし無事、華子の元に辿り着く。
「雨は。昨夜の星読みでは、夕立ちが今日来るよって、お湿りはある。ざあざぁ降ってすぐ止む」
何時問いかけに来られても良いよう、出来る限り星読みを欠かさない華子。御簾の内から庭先に立つ客人にそう教える。上がる様に前からすすめるのだが、それはあかんと、市井の人たちは固辞をする。
「へえ、おおきに。ほな、種まきができる。ありがとうございます。 ほんまは、一日しっかり降ってほしいねんけど、こればっかりはなぁ」
「お天道様次第や、仕方あらへん」
「今年の梅雨は、ちいっと雨が少のう終わったさかい。そのせいか、植えるよう言われて植えた、甘藷は大豊作になりそうで。おおきに宮様」
これは御礼で。縁先に差し出された包みは、そこで座って控える侍従が受取る。何度も頭を下げ、客人は濡れた土をペタペタ鳴らし帰って行く。一時にならなくて良かったと、華子は思いつつ。門番達が来るのを待ち構えていた。よろしくない文二つの卦が出ていたからだ。
「主様!文が届きました」
「主様!文が届きました」
門番達がそれぞれに文箱を手に持ち駆けてきた。キリッと身が引き締まる華子。
「侍従。黒鋼の文は災を含む」
それぞれを受け取った侍従に伝える華子。
「では。今は開けずで」
「そや。うちが井戸の側で開けるさかい」
「かしこまりました」
「檜のは左大臣様からやろ」
「はい。その様です」
「これへ」
金泥で桜の紋が描かれた文箱が、御簾の下より押し込まれてきた。立ち上がり近づくと、紐を解き蓋を開けた。料紙には達筆な文字。
「東を昨夜見れば荒れと遅延の卦、こういうことやったんか」
「どのような事で御座います?」
「御神幸山の街道に雷が落ちて、お山が荒れたそうや」
「まあ。それは災で御座います」
「ほや、川越えの関にお人が集まるよって、何かと遅れるそうや」
「それは大変な。またいつ道が開くかと、お聞きに来られますね」
侍従の声に頷く。
じー、じー、ギー、すいっちょん。草の中で盛りを終える前に伴侶をと気を張る夏虫達の声。
真新しい紗で仕立てられた、紅色の一重を着込んでいる華子は、袂に落としている袱紗に手をやる。
「今日も晴れ。桃太郎様の方角には水の卦があるけど不確かや、星屑の井戸と縁があればええのに。文も遅れる、なんや寂し」
御簾の向こう側に広がる晴れた青空を感じさせる、乾いた空気を感じる華子は、晴紀からの文が遅れると思うと、キュッと切ない気持ち。
もしも。屋敷のことはなんとかなったが、嫁ぎ先に障り有りとなったら。話は流れてしまうのか。姉様のようにと、悪い考えが浮かぶ華子。
「だめや。悪う考えたらあかん。厄を呼ぶよって。でも、そうなったら」
小声で呟くと、金平糖の箱を開ける。残っているそれを懐紙に開けると丁重に包む。シクシクと心が痛み、屋敷を出とうないと思ったから、罰が当たったんやろかと悩む華子。
憑きモノ達がそれぞれが好みな女の童に姿を取り、わきゃわきゃ騒ぎながら運んできた何時もの茶に高坏をひとつ。
「これ、騒がしい」
侍従が高坏に盛られた菓子を神輿のように掲げ、運んできたのを目にし嗜める。
「美味しそうな団子なのです」
「厄払いなのです!」
左大臣家から季節物と届けられた、北野山の宮で先祖送りの神事の日、屋敷内で揃って食せば、厄が祓われるという、斑入りの熊笹に包まれた団子が、こんもりと盛られていた。華子はありがたく頂戴し、座敷に居るモノ達とほんのり甘い団子を分け合って食べた。
災を纏う文を開く時は夜。場は星流れの井戸の傍が決まり事。井戸の精霊に散らばらぬ様に手伝って貰うため。苔むした縄を握りガラガラと釣瓶を鳴らす。ぱしゃんと水音、よいしょよいしょと汲み上げる為に釣瓶を鳴らす。
「プププ、こんばんは~。あらやだ、悪いのがいる」
「東から来たんや。困った事に、うちのお姑さんになるお人の文」
「プププ、すげぇ。嫁ぐ前から嫁いびり」
「なんでそんな事、知ってはるん」
水桶に満たされた井戸水の上で、上がってきた星流れの精霊が話す。
「では。開けるゆえ、散らばらん様にして」
「プププ。お任せあれ」
ズズズズズ。桶の中の水が減る。星流れの精霊が丸く大きく膨らむ膨らんで、膨らんで。パンッ!弾けて霧散する。華子の周囲を丸く霧が包む。
「さて。松子様の文を読みましょう」
左大臣家と懇意になっている華子。色々かんばしくない評判がまことしやかに流れて来ている。表に出ぬ暮らしなのだが耳にしている華子。水煙漂う中、紐を解き開けてみれば。奇妙な違和感。
「あら、これはあかん」
『ごきげんよう。この度はおめでとう御座います。
母として嬉しゅう御座います候。
まつ』
さらりと書かれているだけなのだが、薄っすらと人外の気配が取り巻いていた。
「読めるやろか。この気配。天の気が憑いてはる」
料紙を夜空にかざした後、足元の空の盥に料紙を入れる。入ってと声を上げると、
ヒュッ。集まる音。
バシャン!水が盥に落ちる落。
ふわり。星流れの精霊が浮んだ。
「プププ。ありゃ、こりゃ大変ね」
「そや。気配位ならば、ここでも読めるやもしれん」
「プププ。嫁いびり、やっぱり」
ゆさゆさ。盥に手をかけ縁を揺らし、満天の星が映り込東む水面に波をたてる。瞳に気を入れ、底に沈んだ文の上に漂う、星を選び取りポツポツと読みとけば。
「これは見たことがある。姉様の折の黄色い光や。間違いない。失せ物の卦が出た。憑きモノの卦もある。グルグル回ってはる。星流れ」
「プププ。天の川で、笹舟に乗るんでしょうか」
「そや。お空の雷様に障りがあるか見てきて欲しい。お使い賃は金平糖や」
空に浮かぶ流れ星の精霊に、懐紙に包んた金平糖を袂から取り出すと差し出した。
あいわかった。嬉しそうに受け取ると、唐風の衣が井戸の中へと消えていく。見送る華子は、遠く離れた地の晴紀に問いたい事があるが、文に書くのは怖かった。
「みなみな繋がっている気が。イカズチが落ちて姉様の病が治った事も、東の雨も、ここの晴れも。星の力を借りてほんの少し先見が出来る、うちの事を、お知りになられて嫌われたら」
華子が幼い時に明日の天気を当てる度に、皇后からそう言われた事を思い出す。
「あちらの土地で、星読みはせえへん方がええんやろか。気持ち悪いと言われたらどないしよう。晴紀様が、怖がられたら」
井戸の中を覗き込む。そこはキラキラ。闇に星が浮かんでいる。
「でも読むなと言われても、辛抱出来へん」
やっぱりうちは嫁ぐのは、あかんのかもしれん。お好きな殿方を作っても、あかんのかもしれへん。鬱々としたものが込み上げてきた。
「求婚の証。贈ってもろうたのに」




