072 クーパ地下大洞窟① スライム登場
オレンジ色の薄ぼんやりとした灯りが、足元を照らしている。
カズキの頭上には、フェノンフェーンの地下にあるダーナの十三迷宮、『アン・グワダド地底湖遺跡』の探索で使用した魂装道具が、ゆらりと浮遊していた。
「ルタ、ルフィア。足元気をつけてな」
カズキは振り向かないまま、自分の後方にいる二人に声をかけた。
「カズキさん、やっぱりわたしが先頭を歩きましょうか? もしもの強襲などがあった場合、いの一番に盾になることができますし」
「ルフィア、もういい加減その変なこき使われたがり体質をやめなさい」
ごくたまにおかしな欲求を発現するルフィアを、カズキはさらりとたしなめる。
「この『ダーナ』はあれじゃな、前に潜ったところと違って、自然そのままの迷宮といった風情じゃな」
ルフィアの後方、最後尾を任されているルタが、リラックスした様子で言った。
ルタの言う通り、ここ『クーパ地下大洞窟』は、以前に探索をした『アン・グワダド地底湖遺跡』とは違い、自然に出来上がった巨大洞窟という風に感じられた。
明らかに人工物である壁や泉などが見られた地底湖遺跡とは違い、岩肌がそのまま剥き出しになっており、所々では鋭利に岩が突き出たりして、かなり道幅を狭くしていた。
濃い灰色の岩石は、湿気で少し濡れている。
カズキの持ちうる知識で例えるならば、巨大な鍾乳洞のように感じられた。
「まさに天然の迷宮、という感じじゃのう。オブリビオンの洞窟で長く暮らしていたからなのか、どこか懐かしさみたいなものを感じる」
ルタは濡れた岩肌を撫でながら、郷愁のような色を浮かべていた。
「あんまり油断するなよ、ルタ。洞窟内の魂力が濃くなってきた。そろそろ……“魔物”が出てくる頃合いだ」
カズキは目先の暗闇に視線を向かわせながら、重々しく呟いた。
すると――
「……来たぞ」
見ると、前方の暗闇から、闇をそのまま一塊にしたような物体が、のそりのそりと這い出てきていた。
ゆったりとした動きは、カズキたちにはかなり不気味に感じられた。
よく見るとその物体には目も口も鼻もなく、つるりとしていて微かに光沢を放っている。
微妙に震えているその身体は、まるで黒いゼリーのような見栄えだ。
カズキは冷静に姿を観察し、ある結論に至る。
「あれは、スライムか」
黒いスライム。
それが、ここ『クーパ地下大洞窟』で最初に遭遇した魔物となった。
「わたしがいきます! 魂装、燃!」
カズキを追い越し果敢に進み出たルフィアが、魂装をしながらスライムへ突進する。
「せい!」
裂帛の気合いと共に、魂装武器である斧槍を振り下ろす。
が。
ぶるるん。
「えっ!?」
ルフィアの攻撃は、スライムの半液状の身体によっていなされてしまう。
しかも。
「あ、いやっ」
「ルフィア!」
跳ねるようにしてルフィアの身体に飛びついたスライムが、ルフィアの肉体を侵食するかのように粘着し、拡がっていく。
カズキは慌てて、ルフィアの元へ駆ける。
「んっ……! か、身体の力、が、抜けて……」
スライムに張りつかれたルフィアは膝を着き、息が上がっている。
どうしてそんな状態になってしまうのか、カズキの左眼には原因がはっきりと視えていた。
そう、スライムがルフィアの魂力を吸い上げているのだ。
カズキの魂装の義眼には、ルフィアの魂力がスライムの体内へと流れ込んでいるのが、光の導線となって可視化されていた。
「離れろ!」
接近したカズキは、ルフィアの身体に張りついたスライムへと手を伸ばし、引き剥がそうとした。
しかし、スライムの半液状の身体は手に引っかかることはほとんどなく、ただただカズキの魂力までもが吸われるだけとなってしまう。
「カズキ、わしも加勢を――」
「いい、ルタはそこにいてくれ! ルタまで魂力を吸われたらダメだ!」
助けに入ろうとしたルタを、カズキは手を突き出して止める。
「あ、はぁ……はぁ…………」
そんな間にも、ルフィアの魂力は吸われ続けており、どんどん顔色が悪くなっていく。
どうする、どうすれば――?
カズキは自らも魂力を吸われているにもかかわらず、お構いなしに戦況を分析した。
スライムを、倒すには……あ。
そこでカズキは『アン・グワダド地底湖遺跡』であった戦闘を思い出す。
魂力を喰らう者――マウナ・クーパとの戦闘だ。
「そんなに食いたいなら、好きなだけ食えっ!」
カズキは発想を転換し、スライムへと自分の魂力を流し込む。
膨大な魂力をその身に受け、一瞬で膨張した漆黒のスライムは――破裂した。
左眼に視えていた魂力の流動が、止まっていた。
「ルフィア、大丈夫か!?」
「……え、ええ……」
言葉では気丈に返したルフィアだが、もはや虫の息と言っていい状態だった。
「いったん戻ろう。こんな状態で探索を続けるのは危険すぎる」
決断したカズキが、全員に言い聞かせるように言う。
「ま、まだ、わたしなら……っ」
「ダメだ。一度戻って、万全を期す」
探索継続の意思を見せたルフィアに対し、カズキはぴしゃりと言う。
魂力という生命力にも等しい力を根こそぎ吸われた状態で、こんな未知の迷宮を進ませるわけにはいかなかった。
しかもルフィアは、止めなければ無理をしてしまうところがある。
ゆえにカズキは、今ここで判断しておく必要があった。
「ベースキャンプに戻ろう。歩いて戻っている最中になにかあっても危険だ、フシンから預かった魂装道具を使うぞ」
カズキは言い、懐から宝石のようなものを取り出した。
以前、フェノンフェーンのペネロペも、迷宮探索の際に持参していた魂装道具である。
「ルタ、近くに寄ってくれ」
「うむ」
少し距離が離れていたルタを呼び、カズキは魂装道具を使用した。
その場から一瞬で、カズキら三人の姿が消える。
迷宮内部には、冷たいほどの静けさだけが満ちていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




