060 眠りの中で
カズキは、夢を見ていた。
ふわりと身体が浮いている感覚がある。
自分で自分の背を視界に捉えているかのような、妙な客観性を感じる。
――ここはどこだ?
視界の中には、見慣れない村がある。
家々は茅葺き屋根で、かなり暮らしぶりは質素に思えた。
村の至るところでは、重厚な鎧を着た兵士のような者たちが、みすぼらしい格好をした者たち――村人だろうか――を、足蹴にしている。
暴力を受ける人々は皆一様に痩せ細っていた。
略奪行為――カズキはそう感じた。
「……許さない」
聞こえたのは、カズキの声ではない。
声の方を振り向くと、一人の少年が立ち尽くしていた。
足元には薪が転がっており、彼が略奪の間、村を離れていたことをカズキに伝えていた。
彼の身体から、空気をも燃やし尽くすような感情が迸っていた。
そう、これは――憎悪だ。
発する者自身をも消炭にするような、全てを焼き尽くすまで消えぬであろう、激しい憎悪の炎が、少年から撒き散らされていた。
カズキは、ごくりと生唾を飲み込む。
どうやらカズキのことは、この空間の誰にも見えていないようだった。
だとしてもカズキは、自らの身体が押し潰されるような、そんな威圧感を感じていた。
喉が、やけに乾いている。
少年が、カズキを通して村の有様をその眼球に刻みつけている。
泥にまみれ、血にまみれ。
それでも彼の眼光は鋭く、
その瞬間――視界が停止した。
少年以外のあらゆる者、事が、止まったのだった。
「なに……こ、これ?」
呆気にとられたのは少年自身だった。
目の前で微動だにもしなくなったあらゆる事象に、少年はただただ目を見開くことしかできなかった。
「…………母さん!」
少年は何かに思い至り、走り出す。
カズキも自然と、その後を追った。
「母さ……っ!」
多数の穴が開いた木扉を、蹴りのけるようにして自宅に入った少年。
その眼に、惨たらしい映像が飛び込んでくる。
少年の背後から覗き見るようにして、中の様子を確認したカズキも、その情景に吐き気を催した。
室内では、女性が複数の兵士に囲まれていた。
「母、さ……お、おぇ」
少年は、眼前で弄ばれた姿のまま静止した女性に手を伸ばす。
しかし、その傷だらけの身体を目視し、耐えきれなくなったように手をつき、嘔吐した。
逃亡を阻むためなのか、それともただの酔狂なのか、女性の四肢の腱は切断され、自立することすらできなくなっているように見受けられた。身体中が血濡れており、もはやその顔に生気はない。
そうして不安定にしか身体を起こすことができなくなった女性を、下卑た表情で嗤いながら、身体をまさぐる兵士たち。
カズキはこの空間に、人間の悪しき本質が充溢していると感じた。
ここで呼吸をすることすら憚られるほどの不快が、空間に満ち満ちていた。
「……母、さん」
少年は吐いた四つん這いの姿勢のまま、母親へと手を伸ばした。
止まったままの時の中で、少年のか細い手だけが、未来へ向かって動いていた。
「母さん……今、助けるから……」
短い決意の言葉を、少年が漏らした瞬間。
時が、動き出した。
「んぁ……っ! ハ、ハイルっ……ん」
「うお、なんだこのガキ? どこから入った?」「うわ、汚ね」「早く代われよ」
動き出した時は、見るに耐えない映像を再生しはじめる。
カズキの意識の中にまで、憎悪の炎が灯るような気さえした。
「母さん!」
「あぁ……ハイル…………み、見ないで……っ!」
少年の姿を確認した母親が、哀願するように必死に叫ぶ。
その声は掠れ、ちぎれ、途切れている。
すでに長い時間、苦境にさらされ続けていることを意味していた。
「こいつのガキか」「男?」「なんだつまんね」「でも綺麗な顔してるぜ?」「お前そういう趣味?」
同じく少年の存在を認識した兵たちの、およそ人間には似つかわしくない獣のような無知蒙昧な会話が聞こえる。
「とりあえず手足切っておくか」
一人の兵士が、鶏を捌くような手軽さで、少年に向き直った。
腰に下げた剣を掲げ、嗤う。
「やめてぇぇぇぇ! この子には手を出さないでぇぇ!!」
絶叫する少年の母親。
その口から血反吐のような、しかし少し白く濁った液体が溢れ落ちた。
「へへ、こういうシチュエーションたまんね」
兵らは笑いながら、母親を取り押さえる。
剣を抜いた兵士が、ある種の興奮をその顔に浮かべながら、少年へにじり寄ってくる。
「……許さない。僕は、お前らを……」
少年は、眼光鋭く兵士らを睨み続けていた。
痩せ細ったその身体を震わせているは、決して恐怖ではなく、身の内にある怒りと憎悪だった。
「――殺す」
白刃が、カズキの視界で煌めいた――
† † † †
「…………」
一雫の水滴が、カズキを目覚めさせた。
目覚めたのは、どこかの洞窟の中だった。
冷たい岩肌を伝った雫が、カズキの額辺りにポタポタと垂れているのだった。
先程までの映像は、夢だったのだろうか。
「うぐ」
考えたとき、全身が ひどく痛んだ。
カズキはこのシチュエーションを、まるで山でルタと出会ったばかりの頃のようだと、ぼんやりした頭で考えた。
足元の方から、光が差し込んでいる。
目を動かし、外の様子を伺おうと努める。
「……あ! カズキさん!」
運んだ目線の先、見慣れた顔があった。
「ル……フィ、ア……」
掠れ声で紡がれた名前に、銀髪の美しいエルフは、涙を浮かべて笑った。
カズキは数日ぶりに、目を覚ましたのだった。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




