054 打倒、ジプロニカ王⑤
馬車に縛り付けておくための革紐から解放された馬たちが、方々へと散っていく。
これでもう、ジプロニカ王はどこへも行けない。
孤立無援となったジプロニカ王の乗る客室は、もはや道端に放置されたただの箱と化している。
カズキは客室の扉に近づき、ゆっくりと開けた。
逆側の扉には、ルタとルフィアが陣取っている。
「随分手こずったじゃないか、シャクヤよ。ダミアンのやつも、少しは働いたのか?」
入室したカズキに、ジプロニカ王の間の抜けた声が届く。
だいぶ酒が入っているのか、革張りのチェアーに腰を埋めて眼を閉じている。
片手には、空のワイングラスが握られていた。
「……残念だったな。二人とも寝てるよ」
カズキは努めて冷静に、言葉を返す。
声を聞いたジプロニカ王が、眼を見開く。ワイングラスが手から離れ、無残にも割れる。
その顔には驚きと恐怖が浮かび上がり、心なしか青ざめて見えた。
「……な、なぜ貴様が……シャクヤとダミアンが負けるなど、あ、あり得ない」
扉に立ったカズキの姿を確認し、狼狽したように客室の隅へと退避する王。
カズキが入室した方とは逆側の扉に手をかけ、外へ逃げようと試みる。
「どこへ行くんですか、ジプロニカ王?」
が、扉を開けた途端、斧槍を構えたルフィアが立ち塞がる。
横にはルタも、眼光鋭く待機している。
「さっきの亜人の女か?! フェノンフェーンからの貢物の分際で、無能勇者に下ったというのか!?」
逃げ場を失くしたジプロニカ王は、抵抗するように叫び声を上げる。
その口から唾が飛び、ルタとルフィアは思わず顔をしかめた。
「クソどもめ! この私に盾突いて、タダで済むと思っているのか!?」
「ちょっと黙れ」
「グヒィ!?」
見境なく喚き出したジプロニカ王の頬を、カズキは軽く張った。
ジプロニカ王の脂ぎった顔に、涙と汗が追加される。
「こ、この私を殴ったのか……き、貴様は……?」
「大人のくせに喚くからだ」
カズキは眼光鋭くジプロニカ王を睨みつける。その威圧感に「ひっ」と短く悲鳴を上げ、腰が抜けたような様子でへたり込む王。
ようやく、自分の置かれた状況を理解したようだった。
「た、助けて……命だけは、な? なんでも、なんでも好きなものをやるから!
兵でも、金でも、女でも! な、なぁ?」
「情けない……本当に、誰かを利用しないと生きていけないのか」
自分が生き残るためなら、一瞬で恥も外聞もプライドもかなぐり捨てるジプロニカ王に、カズキは心底から嫌悪感を抱く。
自身の命や快楽のためだけに、あらゆるものを犠牲に、踏み台にする。
その醜悪さに、カズキは反吐が出る思いだった。
今すぐにでも、こいつに怒りの鉄拳をお見舞いしてやりたい――そう考えたカズキが、思わずぐっと拳を握ったとき。
「――なぁんてな」
「……?」
突如、ジプロニカ王は相好を崩し、肩を揺らして笑い出す。
意味不明なタイミングでの高笑いに、カズキらは呆気にとられる。
追い込まれて、狂ってしまったのだろうか?
そんな思考が、カズキの頭の中を支配した。
「あーそうだ。君たちに、見せたいものがあるんだよ」
不気味な笑みをたたえながら、カズキらに話しかけるジプロニカ王。
カズキが返答をせずに訝しんでいると、王はおもむろに懐へ手を突っ込み、なにかを取り出した。
「っ! 動くな!」
咄嗟に、忠告するカズキ。
しかし時すでに遅く、ジプロニカ王は取り出したものを、自分の口に放り込んでいた。
一瞬の早業に、カズキは焦りの色を浮かべる。
「さっきのはなんだ? なにをしたんだ!?」
カズキは王の襟首を掴み、身体を揺らす。
「さ、ささ、さ……触るんじゃねぇぇぇぇぇえええええ!!」
「がはっ!」
「カズキ!?」「カズキさん!」
突如として奇声を上げ、カズキの顔面を殴りつけたジプロニカ王。
カズキの身体は客室の扉を破壊して、外へ吹っ飛んでいった。
「はぁ、はぁ……うひ、うひひひひ。あーぁ、すごくいい気分だぁ」
口の端から涎を垂らしながら、断続的に嗤うジプロニカ王。
先ほどまでとは明らかに、顔の表情が違っていた。
「あがぁ……うぅいぃぃ…………あぁあぁあああぁぁぁ!?」
発作的な叫びをあげ、上半身を痙攣させるジプロニカ王。
数秒間、喉元を押さえてのた打ち回った後――突然、その背中から無数に“腕”が生えてきた。
「な、なんじゃこやつは……!?」「き、気持ち悪い……」
異様な光景に、嫌悪感を露わにするルタとルフィア。
思わず後退る。
が。
「ほぉら、貴様らには褒美をやるぞぉ」
「んな!?」「きゃっ!?」
背中から生えた手で、ジプロニカ王はルタとルフィアを抱き寄せる。
二人は抵抗を試みるも、その腕は人間の力とは思えない膂力を持っており、徒労に終わる。
「あー、綺麗な肌だぁ。どれ」
「いや……んっ」
二人を側に引き寄せたジプロニカ王は、ルフィアの美しい顔を至近距離で眺めた後、その頬に舌を這わせた。その舌は異常な長さで、人間のものとは到底思えなかった。
おぞましい質感に、ルフィアは短く悲鳴を上げる。
なんとか逃げようと身をよじるが、無数の腕が全身を抑え込むような形で彼女の自由を奪っていた。
「こっちも……美味そうだなぁ」
次はルタを狙い、舌なめずりをはじめる王。
ルタの顔に自らの口を近づけ、怪しく微笑む。
「た、たわけが! わしに無礼を働いたら、ゆ、ゆるさんぞ」
抵抗の光を瞳に湛え、ルタはジプロニカ王を睨み返す。
しかし、そのタガが外れたような狂気に恐怖しているのか、声は若干上ずっていた。
「フフ、そういう抵抗ありきのパターンも私は嫌いではないぞぉ……。フムゥ、血気盛んな貴様には、私と同じく、これをやろう」
言うとジプロニカ王は目を血走らせ、懐から再びなにかを取り出した。
手の平に乗せた“それ”を、見せびらかすようにルタの眼前でひけらかすと、涎を垂らしながら笑い出す。
「んーほぉら、綺麗だろう? 黒光りしてなぁーウフフ。これは特殊な魂装道具でなぁ…………魂装ができない一般人を、魂装遣いと同等に“覚醒”させてくれる代物なんだぞぉぉ! さ、食べなさぁぁーい!!」
「んんっ!」
ジプロニカ王は、自分が飲み込んだのと同じ丸薬を、ルタの口に無理矢理押し込もうとする。しかし、ルタは口を閉じて必死に抵抗する。
が――
「口を開けろほらぁぁ!」
「んん、ぁ――っ」
王は叫び、背中の腕でルタの首を絞めた。
酸素を求め、ルタの口が開かれた瞬間――王は丸薬を押し込んだ。
「えほ、げほっ! き、貴様……!」
「んヒヒヒヒヒ! 美味いか? 美味いだろぉぉ?」
切羽詰まったルタの声に、ジプロニカ王は口角を限界まで吊り上げて答えた。そしてそのまま責めるように、ルタの首を無数の腕を使い、さらに締めにかかった。
もはや目は焦点が合っておらず、到底正気には見えなかった。
「う、苦し……」
呼吸ができず、呻くルタ。
「あぁ、あぁ首絞めるの気持ちぃぃ! ウヒヒヒヒヒヒィィヒヒ!! 力がぁ、力が湧いてくるぞぉぉぉぉ! 私にも、私にも魂装、魂装がぁできそうな気がするぅぅぅ!!!」
「ルタ、さん……!」
ジプロニカ王の機嫌に応えるように、背中から生えたおどろおどろしい腕たちも激しく動きだす。
ルフィアもそのせいで、身体を締め付けられる。
腕を蠢かせるジプロニカ王の見た目はまるで――神話の生物、メデューサの髪の毛のようだった。
「…………ルタ、ルフィア。今助ける」
林の中、ダメージから立ち上がったカズキは、再び全身に魂力を流動させる。
先ほどまでとは桁違いの闘気を纏い、カズキは馬車を睨みつけた。
目線の先、人の姿を捨てたジプロニカ王が――嗤っていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




