049 状況把握
テント内の兵士を沈黙させたカズキは、一度大きく息を吐いた。
精神を落ち着かさせるように、ゆっくりと瞼を閉じ、息を吐きながら目を開けた。
左側の視界は黒く染まり、光の線が走ることはなかった。
「う……」
「カズキ!」「カズキさん!!」
顔の痛みに思わず膝をついたカズキに、ルタとルフィアが駆け寄る。
カズキは額に汗して、呼吸が荒くなっていた。
「大丈夫か、カズキ?」
「ああ……ちょっと血が流れ過ぎたみたいだ」
ルタの問いかけに、苦笑しながら答えるカズキ。
左手の袖口で額を拭うと、ゆっくりと立ち上がった。
「カズキさん、眼は……?」
目尻を擦りながら近づいてきたのはルフィアだ。
心配でしょうがないのか、落ち着きなく自分の身体をさすっている。
「……普通には、見えない。でも、“魂力を見る眼”として変質したみたいなんだ」
カズキは手枷、足枷を魂装で外しながら、ルフィアに言葉を返す。
自分でも、自身の左眼に起こったことをあまり把握できていなかった。
「魂力を見る眼……とな?」
カズキの言葉に反応を示したのはルタだ。
顔には訝しみの色が浮かんでいる。
「ああ。……魂力を集中させると、暗闇の中にぼうっと、魂力の流れみたいなのが光になって“視える”んだ」
カズキは自分なりに、左眼が起こした現象を言語化してみた。
説明を聞きながら、ルタは顎に手を当て、なにやら考え込んでいる様子だった。
「“魂装の義眼”か……魂力の流れが完全可視化される“目”など、さすがにわしも聞いたことがない」
思考がまとまったのか、ルタが重々しく呟く。
「ルタでも聞いたことないのか。俺、どうなっちまうんだろうな」
重たい空気を変えようと、カズキは冗談めかして自虐をした。
しかし、ルタの表情が変わることはなかった。
「うぬの力……もしかしたら、わしが思っている以上に強大なものなのかもしれぬ。
……そう、世界を変えてしまうほどの力なのかも」
茶化すような空気は一切なく、ルタはカズキの目を見てそう告げてきた。
「お、大袈裟だろ」
カズキは呆気にとられ、後頭部をがりがりと掻くことしかできなかった。
自分に、それほどまでの力などあるわけが……言われただけでは、さすがに自覚することはできなかった。
「うぬを導く師として、わしも一層責任を持たねばなるまいな。大きな力は、使い方を誤れば世界を滅ぼしかねんもんじゃからの。うぬも、そういう自覚を持つのじゃ。今は実感できんかもしれぬが」
「わ、わかった」
大真面目な様子で諭してくるルタに、カズキは頷くことしかできない。
自分の中にある“力”を、正しく行使しなければいけない――悪魔になると宣言した直後の、予想外の忠告だった。
「――ただ、今のうぬが歩こうとする道を、わしは止める気はない。間違っているのかどうか、それがわかるのは今ではないだろうからの」
カズキの困惑を感じ取ったのか、ルタは落ち着いた様子で言った。
そして、少し笑った。
笑顔一つで、場が和やかになった。
「あまり悠長にもしていられません。どう動きましょうか?」
ルフィアが空気を変えるように、話を振ってくる。
「作戦続行だ」
カズキは強い意志で、そう言い切る。
それに対して、ルタとルフィアも強い眼差しをたたえ、頷いた。
† † † †
「あー臭い臭い。なんと不愉快だったことか!」
悪態をつきながら、ルタが着ていた鎧を脱いだ。
今カズキらは、ジプロニカ軍が陣を展開していた平野部からハンズロストックへ続く道の途中にある、林の中に身を隠していた。
各自、カズキが倒した兵士の鎧を着込むことでカムフラージュし、脱出した。
「ここらで一旦、作戦のおさらいをしておこう」
カズキも鎧を脱ぎつつ、ルタとルフィアに声をかけた。
「うむ」「わかりました」
二人の返事に応え、カズキは作戦内容の確認をはじめた。
レイブラムら、フェノンフェーンに向けてカズキが発案した作戦の内容は、至極シンプルなものだった。
まずフェノンフェーンは、ジプロニカにとっての大罪人であるカズキ・トウワを、要請に従い引き渡す。
要求に応えることで、フェノンフェーンとジプロニカの表層上の和平は、強まる。
同時に、フェノンフェーンは恩を売った形となり、ジプロニカ側はそう簡単に攻勢に出ることができなくなる。
フェノンフェーンとジプロニカ、両国間の関係性の微妙なパワーバランスを、フェノンフェーン側に有利になるように変化させたうえで、ジプロニカを牽制するというのが、カズキの考えた作戦における“狙い”だった。
そして、ジプロニカに引き渡されたカズキは、軍の派遣により手薄となった守りの隙をつき、ジプロニカ本国にて、王を単騎で打倒する――というのが、作戦の概要だった。
はじめはたった一人で大軍をも相手取る覚悟をしていたカズキだったが、ルタとルフィアが一人で行くことを許さなかった。そこで考え出されたのが、二人をもジプロニカ王へ差し出す形を取るという、王の強欲を利用した作戦なのだった。
これを聞いたフェノンフェーンの王レイブラムは、カズキたちだけが全ての悪を背負うような形を、当然良しとはしなかった。
「カズキくんを悪者にして得る平和などいらない!」
ある意味では、そう叫ぶレイブラムを説得することが、一番骨の折れる作業だった。
しかしカズキは、自分自身がこの世界で悪であることを、すでに受け入れいている。
この世界で自分が、自分の心で生き続けるには、やはり“悪”である選択をするしかないと、魂で自覚していたのだ。
「俺を友人だと思ってくれるなら、アンタの国のために俺を利用してくれ。頼む」
「カズキくん……!」
そうしてなんとか、レイブラムを説き伏せたのだった。
「――よし、作戦の確認はオッケーだな」
一息入れるように、カズキは言った。
ルタとルフィアが、黙って頷く。
カズキの左眼は魂装手術によって、止血されている。
そこに上からルフィアが常備してくれていた包帯を巻きつけ、応急処置を済ませた形だった。
「さっきの交渉で、もう俺たちとフェノンフェーンは表向き、なんの関係もなくなった。あとは、俺たち次第だ」
「しかしうぬよ。さすがにここにいる兵隊ども全員を相手にはできぬぞ。ざっと見積もっても、一万はいる」
「確かにな。本来は、ここでこんなことになる予定じゃなかったからな」
カズキの作戦では、実際に戦闘行動を開始するのは、ジプロニカ本国に到着してからのつもりだった。
ここで暴れ出してしまっては、ルタの言う通り平野部に展開した軍の全てを相手にしなければならなくなる。
こちらの狙いに気付いていたのか、それとも無意識になのか、カズキの作戦に狂いを生じさせたジプロニカ王――やはり、侮れない。
「テントにいる際に言っていましたけど、ジプロニカ王はハンズロストックの本陣に戻ったみたいですね。どうしますか?」
鎧を脱ぎ、身繕いを終えたルフィアが、カズキとルタの両方に視線を送りつつ言った。
決意を改めるように深呼吸をして、カズキは言った。
「ジプロニカ王を……追うぞ」
カズキの右眼には、強い意志の光が宿っていた。
それに呼応するように、ルタとルフィアも力強く頷いてくれた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




