047 傲慢の王
緊張感で張り裂けてしまいそうなテントの中で、カズキは努めて冷静に状況を観察していた。
目の前では、フェノンフェーンの使者を装っているルタとルフィアが、フード付きのローブを深く被り、交渉のテーブルについていた。
その対面には、憎きジプロニカ王が両側に部下を従え、居丈高に鎮座している。
フェノンフェーンで受け取っていた情報では、軍を展開したハンズロストックの前線まで、王自身が出向くことはない、と聞いていたのだが……実際には、こうして目の前にジプロニカ王が座っている。
カズキは周囲を窺いつつも、常にジプロニカ王を威圧し、睨みを利かせながら、思考を整理していた。
あくまでも作戦始動のタイミングが早まっただけだ――あくまでもカズキは、冷静さを失わず、虎視眈々と状況を見据えていた。
「まさか、あの状況から生き残ったとはな。恐れ入ったぞ、カズキ・トウワよ」
王の両脇、大臣風の男が交渉の準備を進めている間、ジプロニカ王はカズキへと挑発的な嘲笑を向けてきた。
その手にはなみなみに注がれたワイングラスが握られており、国の大事を決める交渉の席だというのに、飲酒をやめる気は一切ない様子だった。
カズキは、王を睨みつけたまま、黙っている。
「まさか、この私が無能と断じた者が、あのセイキドゥを打倒するとはな……いやはや、恐れ入ったよ。無能は無能でも、多少見どころのある無能だったということだな」
不敵な笑みをたたえながら、ジプロニカ王は続ける。言ったあと、得意げにワインを一息で呷った。
テントの外周を囲んでいる兵士の一人が素早く進み出て、ワイングラスを再び一杯にする。
「それとも、セイキドゥの実力が大したものじゃなかったというだけか? なんにせよ、あのタイミングで奴の鼻っ柱をへし折ってくれたことは、まさに僥倖だった。
奴は最近、少し調子に乗り過ぎていたからな。
仕事の度に要求してくる額が、以前の数十倍にも膨れ上がっていたのだ。近衛兵長に配して自制を促そうと考えたが……その矢先、まさか“山に捨てた害虫”が、体よく奴を処分するきっかけをくれるとはな」
ジプロニカ王は酔いが回ってきたのか、言い終えるとご機嫌に高笑いをした。
あれだけ腹心として徴用していたはずのセイキドゥに対しても、もはや毛ほどの情すら抱いていない様子だった。
一気に、胸糞が悪くなる。
カズキは軽い吐き気を感じながらも、ジプロニカ王から一切視線を外すことはしなかった。
「まぁ、この私の先見の明と言ってもいいかもしれないな。害虫一匹生かしただけで、同じような国の金食い虫を処分できたわけだからな。
自分の星回りの良さに、我ながら笑いが止まらないよ、ハハハ!」
ぐっと、ワインを傾けるジプロニカ王。
そんなもの、所詮はお前の捉え方次第だろうが――カズキは口には出さず、さらに眼光鋭く王を睨みつけた。
「どうだ、カズキ・トウワよ。貴様も私の部下として働いてみるか? 私の気に食わない奴を殺すだけでいいのだ。報酬は弾むぞ、害虫にはもったいないほどの額をな」
カズキの威圧を一切意に介さず、鎧を揺らしてせせら笑うジプロニカ王。
口から飛んだ唾が、髭の端に付着している。
ルタとルフィアは、俯き加減に口を噤んだままだ。
「王よ、書面の準備ができましたので、一度確認を」
隣の大臣が作業を終え、ジプロニカ王の面前に羊皮紙を差し出した。
が。
「面倒な文など読んでいられるかっ!」
突如王は激高し、大臣へ向けてワインをぶちまけた。
濡れた大臣は直ちに平身低頭し、地べたに頭を擦りつけるように土下座をはじめた。
逆側に座っている部下の男が、慌てて書類を取り上げる。かろうじてワインに濡れてしまうのは防げたようだった。
その顔は、眼に見えて青ざめていた。
「私の時間を、私が楽しめないことに使うなど、あってはならないことなのだよ。わかったか?」
ジプロニカ王は言いながら、土下座し続けている男の後頭部に自らの足をずんと乗せ、空になったグラスを掲げた。
再び、ワインが注がれる。
部下の男が、ジプロニカ王の代わりに書類の内容を読み上げ、ルタとルフィアに対してサインを要求してくる。
ルタとルフィアは一度顔を見合わせた後、ルタが差し出された羽ペンを受け取り、羊皮紙に偽名をサインした。
内容は端的に言えば、大罪人であるカズキの身柄を、ジプロニカに引き渡すというものだった。
そして同時に、フェノンフェーンは今後、カズキの身になにが起ころうとも、一切関与しない、という誓約のようなものも付随していた。
これが、カズキの“作戦”にとっては重要な意味を持っていた。
「以上で、カズキ・トウワの身柄引き渡しの手続きは終了です。続いて、こちらのお二人の処遇についての書類になります」
顔の青い部下の男が、早口で続ける。
カズキの身柄の次は――“使者”という体でここにいるはずの、ルタとルフィアの処遇が話し合われる流れとなった。
「……わたしたちは、もうフェノンフェーンとは一切関係ありません。ジプロニカ王のものとして、今後お仕えさせていただきます」
「……右に、同じく」
かしこまった口調のルフィアが、フードを被ったまま、懐から一枚の羊皮紙を差し出した。そして、王へ著名を求めて頭を下げる。
それに呼応するように、隣のルタもジプロニカ王へ向け、頭を垂れた。
ジプロニカ王の部下の男が書面を確認し、王の意志の元、羽ペンでサインをした。
隣では、王が意気揚々とワインを呷っている。
「王よ、以上で全ての手続きが終了いたしました」
大臣らしき男は、書類を持って出て行こうとする。それに乗じて、土下座し続けていた男も、王が脚を下げたタイミングで、素早く身を翻してテントを出て行った。
「ご苦労……フフ、これでここにいる三名の身柄は全て、私の思うままということだな。さぁ、どうやって楽しもうか」
ワインを干し、酒気を漂わせて厭らしく笑うジプロニカ王。
そう――ルタとルフィアは“使者という体”の、ジプロニカへの“人身御供”と言えた。
しかしこれは、あくまでもレイブラムらフェノンフェーンの反対を押し切り、カズキ、ルタ、ルフィアの三人が押し通した作戦だった。
傲慢と強欲を絵に描いたようなジプロニカ王へは、それぐらいのものを差し出さなければ懐へ入り込むことはできない――三人はそう考えたのだった。
はじめカズキは、ルタとルフィアを危険に晒したくないと思い、自分の身柄だけを担保にしようと思っていた。
しかし――ルタとルフィアが、それを許さなかったのだ。
対等な同盟を交わした者同士、決して守られるだけは許さない。
ルタとルフィアは、強い意志を持ってカズキにそう言った。
だからこそカズキは、ここに来るまでに一度も恐れや不安を抱かずにいられたのだった。
「ククク……亜人の女を二人同時に抱くのも一興だが…………喜べ、カズキ・トウワよ」
「…………?」
と。
ルタとルフィアの背に、カズキが改めて心強さを感じたとき。
おもむろに立ち上がったジプロニカ王が、黄金の鎧を揺らしながらカズキに近づいた。
「まずは貴様からだ」
近付いてくる、ジプロニカ王。
カズキは警戒心を働かせ、出方を窺った。
その、一瞬だった。
「この場で今すぐ――処刑してやる」
刹那、ナイフが煌めいた。
カズキの視界が、黒く染まった。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




