045 星空の下で
暗い夜道を二台の馬車が、ゆっくりと縦に並んで走っている。
森の木々が、夜風になびいてざわざわと音を立てている。
前方の馬車は二頭立てで、ルタとルフィアの乗る客室を引いている。後ろの馬車は、牢屋を乗せた車輪つきの荷台を、四頭がかりで引く形だった。
牢の中にはカズキが一人、寝転がって星空を見ている。
鉄格子の隙間から、美しい星々が煌めていた。
「……日本じゃ、これは見れなかったよな」
冷たい牢屋の床が、カズキの背中をひんやりとさせる。
揺れる馬車に引かれてはいるが、ゆっくりと走っているおかげか、それとも星空の美しさゆえなのか、そこまで不快感はなかった。
日本の都会では、こんなに星は輝かない。
カズキはこちらの世界に来てかなりの月日が経ったことを、改めて自覚した。
「ん?」
他愛もないことを考えていると、馬が歩みを止めたようだった。
ふしゅ、という馬たちの嘶きが耳に入ってくる。
馬の状態を見ている従者が、どうやら休憩を取ろうと判断したらしい。
「おいカズキ、大丈夫か?」
客室から降りて、ルタがカズキの様子を見にやってきた。瞼が落ち気味で、少し眠そうだ。
見上げるようにして、荷台の牢へ視線を向けている。
「休憩?」
「ああ、そうじゃ。うぬも一度休むがいい。そこでは窮屈じゃろう」
言うとルタは、従者から預かってきたらしい鍵を出した。
荷台をよじ登ると、牢の鍵を外し扉を開け放つ。
「カズキさん。お腹空かないですか? 干し肉、いただいているので食べましょう」
ルタから少し遅れて、ルフィアが食べ物を持ってやってくる。
カズキは牢の外に出て、再び星空を見上げた。
夜空なのにもかかわらず、上空には眩しいほどに星の光が溢れていた。
「牢の中から見るより、やっぱりこっちの方が断然、綺麗だな」
カズキは夜の静かな空気を、目一杯に吸い込む。
澄んだ空気が、頭の中をすっきりさせてくれる。
「お馬さんも休憩を取るみたいですから、わたしたちも休みましょう」
ルフィアの言葉に、カズキとルタも頷く。
牢の扉近くに三人腰を降ろし、食物の入った袋を囲んで座る。
「それにしてもお気楽なもんじゃな、わしらも。これからたった三人で、大国相手に戦いを挑まなければならないというのに」
袋の中に真っ先に手を突っ込み、干し肉を取り出すルタ。それをワイルドに噛み千切りながら、緊張感のない様子で言う。
苦言を呈するような言い方をしている割りには、表情はどこか楽しそうだ。
「俺は一人でいいって言ったろ?」
ルタに続き、カズキも固い干し肉を咀嚼しながら言う。
乾いて固くなった肉を時間をかけて噛んでいると、肉が徐々に柔らかくなり、旨みと塩気が口の中に広がっていく。
美味い。
「たわけ。うぬを一人で行かせるものか」
もぐもぐと、カズキが感じた美味さを同じように味わっているのか、口を動かしながらルタが反応する。すでに両手は干し肉でいっぱいだ。
「わしとうぬと、そしてルフィアは、もはや運命共同体じゃ。うぬがやろうとすることには、有無を言わさずわしらは首を突っ込む。それがわしらの同盟じゃ」
「そうですよ、カズキさん。だから、一人でいいなんてもう言っちゃダメですからね?」
ルタとルフィアが、続けざまに言葉を紡ぐ。
「……ああ。ありがとう」
カズキは思わず苦笑して、後頭部を掻いた。
手枷の鎖がジャラジャラと擦れる音がする。
「というかルタさん! 食い意地張らないでくださいってば! ほら、両手のお肉を置いてください!」
「ふん、おぬしの分はないぞ!」
「ダメです、こういうのは均等に分けるんですってば!」
干し肉の取り分を巡って、やんややんやと言い合いをはじめたルタとルフィア。
それを見て、カズキは肩を揺らして笑う。
大きな戦いに向けて移動しているのにもかかわらず、二人には一切気負った様子はない。
それがどんな何よりも、心強いとカズキは思った。
「……二人と同盟が組めて、俺は幸せもんだな」
ぼそりと、カズキは独り言ちるように零す。
両頬に肉を頬張ったルタと、肉を奪い返そうと掴みかかっているルフィアが、きょとんとした顔でカズキを見た。
そして――ぷ、と噴き出した。
「な、なんだよ」
「ふん、国のお尋ね者のくせに、なぁにが『幸せもん』じゃ。アホよのう、うぬは。ぬははは!」
「ふふふ。わたしの方こそ、まだまだカズキさんに恩返ししなければいけないです」
カズキのしんみりした空気を、ルタとルフィアの二人は笑い飛ばす。
「ルタばっかりずるいぞ。俺も食う」
恥ずかしくなったカズキは、誤魔化すようにルタの干し肉を奪って頬張った。
「あ、こやつめ! わしの干し肉じゃ!!」
「カズキさん、ナイスです! この調子で奪い取っていきましょう!」
「たわけ! わしの分がなくなるじゃろうが!?」
「油断してるのが悪いだろ」
そうして三人は、星空の下で笑い合った。
これから待っているのは、カズキにとって区切りとなる戦いだ。
けれど――三人なら、大丈夫。
カズキの心の中には、気負いも恐怖もなく、ただ成すべきことを成そうという意志があった。
流れ星が一筋、光の尾を引いて夜空を流れていった。
† † † †
少し時間は遡り、ジプロニカ領ハンズロストック。
街のシンボルである岩壁の頂上、領主ロストック家の居屋敷が“建っていた”場所にて。
カズキによって破壊された屋敷の瓦礫が、まだいくらか残っている敷地は、ジプロニカ軍の野営地となっていた。
いくつかのテントが張られ、陣となっており、鎧を着込んだ多数の兵が、かがり火の中で宴を行っている。
陣の中央には、一際巨大なテントが設置され、その内部に本陣が設けられていた。
ロストック家の調度品から拝借したのか、野営地には不釣り合いな高価そうな椅子が置かれており、それは言うなれば、即席の玉座と言えた。
そこに鎮座するのは、ジプロニカの最高権力――ジプロニカ王、その人である。
豪奢な装飾がふんだんに配された真紅のマントを羽織り、黄金でできた鎧をその恰幅の良い身体に着込んでいる。
玉座の脇に置かれた兜には、精緻極まりない金細工が施され、さらに派手さを演出するように、赤い羽根が数本飾られていた。
それはもはや、戦いのための防具と言うより、一種の芸術品のようにも思えた。
他にも、高価そうな調度品の数々がテントの中に転がっていた。王の居心地を確保するための配慮なのだろうか。
このテント内だけを見れば、ここが戦いのために敷かれた陣なのだと感じる者は、ほとんどいないことだろう。
そう錯覚するほど、ジプロニカ王の元に、この世の全ての金や銀、宝飾が集結しているかのように見えた。
戦争の陣などではなく、まるで美術品の博覧会でも催されるかのようであった。
ジプロニカ王はおもむろに立ち上がり、ワイングラスを片手にテントを出る。
すぐに岩壁の際まで歩くと、崖の眼下に展開した二万の軍勢を眺める。
口角をニヤりと上げると、一息でワインを呷った。
ジプロニカ王がグラスを空にすると、一瞬風が吹いた。
「王よ。お呼びでしょうか」
見ると、後方に先ほどまではいなかった黒装束の男が、跪いて控えていた。
「フェノンフェーンはこちらの要求を飲んだようだな」
振り向くこともなく、ジプロニカ王は言う。
女の従者がどこからともなく瓶を持ってきて、ワインを注ぐ。
今度はゆっくりと、一口含む。
「は。罪人カズキ・トウワを、一両日中にもこちらに引き渡すとのことです」
黒装束は平坦な口調で言う。
「フ……そうか。使者もよこしたそうだが?」
「女が二人とのことです」
返答を聞いた瞬間、ジプロニカ王の口元が下品に歪む。
嬉しそうに頬を緩ませて、ワインを傾ける。
「楽しみだな。両方、好き放題にしてやる。
あの無能は見せしめに、またいたぶってやるとするか。今度は四肢全てを落としたうえで、山に捨てるのも一興かもしれんな……ククク……」
王は残りのワインを一気に飲み干すと、もう一杯注ごうとした女の従者の腰に手を回し、身体を乱暴にまさぐった。
「今夜はお前で我慢しよう……さぁ、来い」
酒気の漂う口を従者に近づけ、下卑た笑みを浮かべるジプロニカ王。
無理矢理に従者を引っ張り、テントの中へと消えていった。
黒装束はその背を見送ると、音もなくどこかへと消えていく。
混沌を絵に描いたような宴は、王が飽くまで続いた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




