044 出立の日
夜の闇が街を包み、皆が眠りにつこうとする時分。
フェノンフェーン城の裏門ではたくさんのかがり火が焚かれ、そこに人が集まっていた。
亜人たちの他には、重厚な檻を引かせた馬車があった。
今は檻の扉が開かれ、中は空っぽだった。
「そんじゃ、行ってくるわ」
檻に入れられ、ジプロニカへと引き渡される人物――カズキは、自分を見つめている人々に向き合い、軽い調子で片手を上げた。
視界に並ぶのは、フェノンフェーンの王、レイブラム・リングランをはじめとして、近衛兵長であるペネロペら、国の主要人物たちだ。
皆、カズキに向かい敬礼をしている。
端の方には、心配そうに見つめるトッドとアリアの姿もあった。
ちなみにヴェノッキオは「眠いんで」と言って来なかったそうだ。
薄情なやつめ。
「国民総出で送り出せぬこと、誠に申し訳ない、カズキくん……」
敬礼を解き、一歩進み出たのはレイブラムだ。
本当に申し訳なさそうに、その大きな身体を縮こまらせている。
「いいんだって。俺がこうしてくれって頼んだんだから。レイブラム、アンタはなんにも気に病む必要はないよ。顔を上げてくれ」
(俺みたいな人間一人に、王様のくせに心を砕いて……まったく、良いやつすぎるってのも心配になるな)
頭を深々と下げるレイブラムに、カズキは苦笑いする。
「カズキ・トウワよ。また特訓を兼ねて遺跡探索をしようではないか」
「ああ、ぜひとも」
レイブラムの次は、ペネロペが歩み寄ってくる。
どこか照れ臭いのか、いつもより口調が堅苦しい。
「カズキ・トウワ……キミがどんな状況になろうと、我々『フェロムス』が必ず近くでキミを見張っている。助けが必要な時は、必ず駆けつける。安心してくれ」
「……心強いよ。ありがとう」
耳元で囁くようなペネロペの言葉が、少しだけあったカズキの不安を吹き飛ばしてくれる。
ペネロペが下がると、次はトッドが耐えかねたように走り寄って来る。
そのすぐ後を、アリアが優しい足取りで追従した。
「兄ちゃん……また来いよな」
「おう。トッドもしっかり母ちゃん守れよ」
「カズキさん……」
目を潤ませているトッド。
今にも泣き出しそうな顔をしているが、歯を食いしばって必死に耐えている。
トッドの肩に手を置いたアリアが、トッドの肩を撫でながら、柔和に笑いかけてくる。
カズキの行く末を案じてくれているのか、何度も何度も、眼を見て頷いてくれている。
「まいったな……湿っぽいのは嫌いって言いたくなる気持ち、少しわかるわ」
カズキは言いながら、後頭部をがりがりと掻いた。
一度、見送りに来てくれている人たち全員の顔を見渡す。
少し間をおいて、ずずーっと洟を啜った。
「なんじゃ、泣き虫小僧め」
「ちょ、ルタさん! こういう瞬間を冷やかすのはダメです!」
と。
人垣をかき分けるように前に出てきたのは、ローブの下をドレスで着飾った“美女姿”のルタと、同じくローブとドレスを着込んだルフィアだ。
ルタは赤いタイトなドレスに身を包み、その“進化させたボディ”を惜しげもなく見せつけている。
一方のルフィアは、濃緑のドレスだ。恥ずかしそうに両手でスカートを押さえながら歩いてくる。
「まったく、なんじゃこの服は。動きにくいったらない」
ルタは相変わらずの悪態をついている。
腰の辺りにコルセットのようなものを巻いており、身体にぴったりと布がフィットしている。それが鬱陶しいのか、袖や胸元の生地を何度か引っ張っている。
「わたしも、ドレスを着たのは小さい頃以来です。なんだか、恥ずかしい……」
落ち着かない様子で、自分の身体を忙しなく擦っているのはルフィアだ。
着慣れないドレスのせいか、恥ずかしさで過去の癖が出てしまっているようだ。頬も紅く染まっている。
「二人とも、よく似合ってるよ」
「ふん、当然じゃろう!」
「…………う、嬉しいです」
素直に真っ直ぐ、二人を褒めるカズキ。
ルタとルフィア、金と銀のコントラスは神々しいほど美しく、亜人の皆々も息を飲んでいるのが伝わってきた。
「よし、じゃあやってくれ」
緊張の面持ちでカズキが告げると、レイブラムの従者が進み出て、カズキの手首、足首に鉄鎖を装着しはじめる。
金属の擦れる耳障りな音が、夜の沈黙を破って響き渡る。
「やっぱり、そこまでしなくてもいいんじゃ……」
「このぐらいはやらないと、さすがに怪しまれるからな。大丈夫、痛くなったらすぐに魂装で外せるし」
自分を心配そうに見つめているルフィアに、カズキは軽い調子で言う。
話している間にも、カズキの両手首、両足首に枷が取り付けられ、そこから伸びる鎖が、檻の中心にある鉄柱に巻きつくように固定されていく。
そうして、カズキの手足の自由が制限されていった。
「ルタとルフィアは向こうの馬車か? 多少辛抱してもらうことになると思うけど、よろしくな」
「任せておけ」
自信満々に応えたのはルタだ。胸を張って獰猛に笑っている。
今の姿でその仕草をやると、胸元の布がはち切れそうだな……カズキは緊張感なく、そんなことを思った。
「わたしも問題ないです。むしろ、もっとこき使ってくれていいぐらいです。なんなら、わたしも檻の中で――」
「俺だけでいいから。二人はジプロニカへの客人なんだから」
こき使われたい体質が発現しかけたルフィアに、丁重に断りを入れるカズキ。
ルフィアは至極残念そうな顔で、おずおずと引き下がる。
「なにが客人じゃ。言うなればわしらは人質みたいなもんじゃろう」
髪をかき上げながら、ルタが嫌味っぽく言った。
今回、カズキをジプロニカへ引き渡すにあたって、ルタとルフィアは監視役の同行者であると同時に、フェノンフェーンより派遣された使者という“体”なのだった。
そうして、ジプロニカ王と謁見する手筈となっている。
だが今回のような緊張状態の両国間では、ルタの言う通り、使者と言うよりは人質のように映るのが自然だった。
「大丈夫。二人には俺が指一本触れさせない」
ただ、周囲にそう思わせておくことも“作戦”の第一段階と言えた。
二人がカズキに同行する本当の目的は当然――カズキの立案した作戦を、完璧に遂行するためだ。
「それじゃ、俺は檻ん中だから。二人をよろしく」
ジプロニカの陣営まで付き添ってくれる従者たちに頭を下げ、カズキは自ら檻の中へと潜り込んだ。
ルタとルフィアも馬車へ乗り込んでいくが、二人の乗る客車部分は豪勢な装飾が施されており、カズキの居座る冷たい檻とは、雲泥の差があった。
カズキは一度息を吐き、胡坐をかいて内側から扉を閉めた。
ガタン、と重たい金属の音が鳴る。
「そんじゃ、フェノンフェーンのみんな。また、必ず来るよ」
カズキは再び、軽い調子でレイブラムらに手を上げた。
気負いなく、遊びに行くような調子で笑う。
再びレイブラムたちは――敬礼した。
それを合図にしたように、二台の馬車がゆっくりと進みはじめる。
カズキは檻と鉄鎖の冷たい感触を味わいながらも、心の奥底に温かい感情があるのを、しっかりと意識した。
「カズキくん、キミはすでに我々の誇りであり、勇者だ。必ず、また会おう!」
レイブラムが大音声で、馬車の背に激励を飛ばす。
カズキは檻の中で、小さく笑った。
いざ、ジプロニカへ――馬車がゆっくりと、フェノンフェーン城の裏門を出ていく。
いくつものかがり火が、夜の中を揺れていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




