034 亜人解放の王、レイブラム・リングラン
「てっぺん、見えねーや……」
カズキはほぼ首を真上に向け、夜空を見上げるようにして呟いた。
視界の中では、巨大な塔が二本、暗い夜空を貫かんばかりに伸びている。
塔はそれぞれ左右対称に作られているようで、窓の位置や装飾など、その全てが左右で見事に揃っている。
カズキは遠巻きに見ていたとき、塔が一本かと錯覚していた。
だがそれは、見る角度によってはこの塔が一本に見えるよう設計されているせいだと、ペネロペが話してくれた。
別れていたものが、一つになることができるという意図があるとのことだった。
そういった表現や芸術にまったく関心のないカズキですら、その威容から発せられる神秘性を、ひしひしと感じていた。
カズキは首を徐々に下げ、塔の下層付近まで視界を戻した。その辺りから、二つの巨塔が合流し、巨大な一つの建物へと成り代わっていく。
建物は、かなり奥行き、幅がありそうな形状をしている。首を横に振らなければ、これまた端から端までを確認することはできないほどだ。
ツインタワーを戴く、超巨大建造物――これこそが、亜人の国のシンボル、フェノンフェーン城だった。
「近くで見ると……すげーな」
カズキは思わず見とれて、誰にともなく呟いた。
できれば明るい昼間にもう一度眺めたい。素直にそう思った。
「フフ、我らがフェノンフェーン城へようこそ。さ、どうぞこちらへ」
従者に指示をし馬車をはけさせていたペネロペが、皆を先導しつつ言う。背中から伸びたマントが、夜風に棚引いている。
ルタとルフィア、それに加えてアリアがトッドを背負って(眠ってしまったようだ)、城の中へ入っていく。ペネロペやその部下数名も、音もなく城内へと消えていく。
カズキもそれに続いた。
入り口となるエントランスはこれまた巨大な空間で、昼間でもないのに明るかった。見上げてみると、天井がずっと上の位置にあった。
カズキの感覚では、まるで体育館のような高さと広さだ。玄関部分でこれだけ天井が高度なのだ、ツインタワーの最上階まで上がったら、どれほどの絶景か。
カズキは想像してみて、高さに身がすくむような思いがした。
「ちょっとお待ちを」
エントランスの壁の一ヵ所に触れながら、なにやら手許を動かしていたペネロペが言った。
「王は右塔最上階の執務室にてお待ちです」
「おぉ……」
ちょうどタワーの最上階について思考していたため、カズキは思わず唸ってしまう。
各所に設えられている椅子などの調度品を眺めていたルタたちが、カズキのリアクションに『?』を浮かべた。
「アリア様とトッド様は、部下が別室にご案内します。ベッドもありますので、どうか、ごゆっくりとおくつろぎください」
「ええ、ありがとうペネロペ……」
言うと、部下の一人がスッとアリアの身体を支えた。トッドを引き取ろうとしたのか、アリアの背に手を伸ばすが、アリアはこのままでいいと言うように、ゆるりと首を横に振る。
「皆さん、それでは。また後で」
淑やかな笑みを浮かべて、ペネロペの部下と共にエントランスを去っていくアリア。
ようやく、命を狙われた緊張感から解き放たれた様子だった。
「さ、我々は王の元へ。行きましょう」
安堵の表情でアリアの背を見送ったペネロペが、仕切り直すように言う。
「おい、まさかあんな高さまで階段で登らせる気じゃなかろうな? このか弱い身体では、中々に厳しいものがあるぞ」
ペネロペの言葉に、すかさずルタが割り込む。
眉間に皺を寄せ、いかにも不機嫌そうだ。
「まさか。階段もあるにはありますが、途方もない段数ですから。
皆、移動には基本これを使っています。どうぞ」
言いながらペネロペは、トカゲの頭と十字の剣が組み合わされた意匠、それが象られた指輪を渡してきた。緑色にぼんやりと光っているように見える。
「城内移動用の魂装道具です。これを身に着けていれば、“受け皿”のあるところへすぐに転送されます」
「受け皿?」
「これです」
ペネロペはカズキの疑問に、先ほどまで自分がいた壁付近を指さす。
見ると、杖のようなものがひっそり直立していた。手持ち部分となる箇所に指輪と同じ意匠がついている。
自立した杖の真下には、周囲と区切るように円形の絨毯が敷かれている。
「この円形の範囲が、移動先になるわけです。この杖に先ほどの指輪を近づけ、魂力を流し込み念じれば、イメージした場所――つまり受け皿となる場所に、移動できるというわけです」
指に取り付けた魂装道具を杖に近づけながら、丁寧に説明するペネロペ。
「フェノンフェーン城内であれば、どこの受け皿へでも飛ぶことは可能です。
ただし、場所を把握している者がイメージの先導を取る必要があるので、一人で自由気ままに移動したいという場合は、やっぱり足を使って、一度城内を巡ってみることをお勧めします」
カズキは許されることなら、ぜひこの広大な城の中を、歩いてみたいと思った。
「それと、注意点。
あんまり連続して使い続けると魂力を吸われて失神するので、気をつけてください。転送先が人がいない場所だったりすると、誰にも見つけてもらえず本気で命の危機なので、くれぐれも控えるように」
「りょ、了解」
探索することを夢想していたカズキは、背筋を伸ばして応えた。
油断したらいかん……連続使用は禁物、と肝に銘じる。
「では、行きます。意匠同士を近づけて、魂力を流し込むようなイメージを持ってください。転送先は、私に任せてもらえれば大丈夫ですので」
ペネロペの指示に従い、全員が指輪を装着する。
杖の意匠へ向けて、全員が手をかざす。
少しすると、杖が光り出した。
数舜後には、その場から全員の姿が消え去っていた。
† † † †
転送された先で、カズキの目に真っ先に飛び込んできたは、巨大な両開きの扉だった。木製だが、装飾で縁取られており、かなり威圧感がある。
ペネロペの口ぶりから、ここが右塔の最上階と考えるなら、塔のワンフロア自体も、かなりの広さと高さがあることがわかった。
転送の“受け皿”地点からぐるりとフロアを見渡すと、まず扉が部屋の中央に陣取っているのがわかる。扉のある壁の向こうが、恐らくは執務室と考えられた。
フロアの壁際には、下から続く階段が見えた。魂装道具を使用しない場合、途方もない段数を登ってあそこから辿り着くのだろう。
カズキらの立っている側のフロア全体は、半円形をしていた。
いくつかの絵画が飾られた壁面が、ゆるやかに内側にカーブしているのがわかった。
「失礼します」
好奇心をかき立てられ、じろじろと辺りを見回していたカズキの耳に、ペネロペの堅い声が届く。
慌てて、居住まいを正す。
高さのある巨大な扉が、両側へ開け放たれる。
中へ入っていくペネロペ、ルタ、ルフィアの背に続き、カズキも王の待つ執務室へ、足を踏み入れた。
「っ!?」
と。
部屋には――“龍が立って”いた。
「皆さん、ようこそフェノンフェーンへ。自分が、現国王を務めさせてもらっている、レイブラム・リングランだ。宜しく申し上げる」
部屋の中央、立派な執務机を挟んで、“龍”は恭しく、その巨大な身体を折り曲げてカズキたちに頭を下げた。
「レイブラム、皆様をお連れしました」
「ああ、ご苦労だったな、ペネロペ」
顔を上げ、ペネロペと言葉を交わすレイブラム。
カズキの視線は、言葉を紡ぐ“二足歩行の龍”へ、自然と吸い寄せられていく。
まず目を引くのは、頭上から突き出た二本の角だ。それは稲妻のように歪曲しつつも、ほぼ左右対称に揃って生えている。
次は、黄金の宝珠のように輝く眼だ。一度でも視線が合えば、恐らく記憶から消えることはないだろう。
長く伸びた鼻面は鰐の口に似ていて、鼻の先には長い髭が揺蕩いながら、両側へと伸びている。
顔から下に目を移すと、とにかく身体が大きかった。
立ち姿は、まるで山で対峙した立ち上がった熊のようだ。いや、それよりも少しばかり大きいかもしれない。
胴体部には軽装の皮鎧を着込んでいるが、露出している腕部や脚部などは、紺色の鱗で覆われていた。身体全体が、濃紺の色合いを見せている。
極めつけは、手足でぐっと盛り上がった巨大な筋肉だ。素人でもわかるほどに鍛え上げられ、まさに筋骨隆々。
龍頭の巨体マッチョ――それがカズキから見た、亜人の王レイブラム・リングランの姿だった。
「城もそうだけど……すげー威圧感だな」
カズキは思わず、息をのむ。
あらゆる場所の天井が高い理由が、なんとなくわかった気がした。
「無駄に身体が大きくて申し訳ない。できれば、あまり畏まらないでほしい。本来ならこちらから出向くべきところを、よくいらっしゃってくれた。
まずは皆さんに、謝罪をさせてほしい。危険な目に遭わせてしまい、申し訳なかった」
執務机を回り込み、カズキらの対面に立ったレイブラムは、再び巨体を折り、深く頭を下げた。
一国の王が、こんなに何度も頭を下げて良いのだろうか。
カズキがなんとなく、そんなことを考えたとき。
「レイブラムよ、いくら相手がドラゴン族とエルフ族とは言え、そんなに頭を下げてしまっては、王の威厳が……」
レイブラムの斜め後ろに控えていたペネロペが、制止するように言った。
ペネロペの意識の中に自分がいないことを、カズキはすぐに悟ったが、今さらだよな、と内心で自嘲した。
「ペネロペ、自分はいつも言っているだろう。王などやりたくない、偉くなどなりたくなかったのだと」
「レ、レイブラム! それは他者の前ではあまり言わない約束です!」
王の発言を受け、ペネロペが焦りの色を浮かべる。
おいおい、なんかとんでもないことを言い出したぞ……と、カズキは感じた。
ルタとルフィアも発言の意図がわからないのか、眉を寄せている。
「それになペネロペ、そもそも頭を下げただけで崩れる威厳など、汚物と共に便所に捨ててしまえ。地位ある者がそんなくだらない価値観に縛られていたら、いつまでも社会の中で真に価値あるものが育たぬだろう。
ペネロペ、君も立場のある者の一人なのだ。矮小な価値観に縛られるなと、常日頃から言っているのを忘れるな」
「……も、申し訳ありません、我が王」
ペネロペが、ぐうの音も出ない様子で頭を下げる。
「ほほう……言うのう。実に爽快じゃ。
中々の賢王とお見受けするぞ、亜人の王レイブラム・リングランよ」
二人のやりとりを聞いたルタが、感心したように言う。
「世辞はよしてください、ルタリスア・I・アイシュワイア様。自分は当たり前のことを言っただけです」
「ルタで良い。そなたの論を借りるなら、名が持つ威厳など、本物の威厳を持つ者からすれば、飾りのようなものじゃからな」
ルタがカズキ以外に、はじめて自ら『様付け』をしないでいいと発言した。
あのルタをして、ここまで言わせるのだ。カズキはレイブラムが、一角の人物だと確信した。
「さすがルタ様、あっぱれですね」
「そなたもな。ぬははは」
長い髭を揺らしながらレイブラムは、ルタと向かい合って笑った。
身長差がとんでもないことになっている。
手持無沙汰なルフィアが、カズキの横に並んで苦笑いする。カズキも合わせて、苦笑した。
「……王よ、あまり時間がありません。用件を」
ルタとレイブラムの間に、ペネロペがおずおずと割り込み、小声で言った。先ほどの指摘で凹んだのか、頭の上の両耳が萎びて、かなり弱気に見える。
「そうだったな。よし……」
笑いを治めて数歩移動し、レイブラムはカズキと正対した。
ただ前に立たれただけにもかかわらず、威圧感で押しつぶされそうになる。
カズキは思わず、一歩、後退った。
「単刀直入に言おう、カズキ・トウワよ。――我々に、力を貸してほしい」
「……え?」
真剣な“龍”の眼差しが、カズキを射抜いた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




