033 王の元へ向かう馬車にて
二台の馬車が縦列し、フェノンフェーンの夜道を急いでいる。
カズキ、ルタ、ルフィアは、後ろの車両に乗車していた。同乗しているのは、フェノンフェーンの国王、レイブラム・リングランの補佐官兼近衛兵長、兎耳の亜人ペネロペである。
前の馬車には、アリアとトッドの二人と、ペネロペの部下が二名、護衛として乗り込んでいた。
カズキたちの乗る客室付きの馬車は、フェノンフェーンの中枢でありシンボルでもある巨塔『フェノンフェーン城』を目指している。カズキが日中見た、あの巨大な塔だ。
馬車の客室内は、ランタンのような物が吊り下げられており、かなり明るかった。走行の振動に合わせて、光がゆらゆらと忙しなく揺れる。
カズキは、上下動で舌を噛んでしまわないようにと、歯を食いしばっていた。馬車は思っていた以上の揺れがあり、すでに若干尻が痛かった。
「まず、我々について説明させてもらいたい。私自身については、先程宿の前で話した通りだ。以後、お見知りおきを」
言いながらペネロペは、改めてカズキに目配せした。
相変わらず、堅物な口調だ。
「まぁ、おぬしの立場と隠密行動を考えれば、どういった性質の連中なのかは察しがつくがの」
ペネロペの言葉を受け、彼女の隣に座っていたルタが腕組みしたまま言う。
位置関係としては、カズキの対面にペネロペ、その隣にルタ。
カズキの隣には、ルタと向かい合う形でルフィアが座っていた。
ルタの表情は冴えず、首には痛々しく包帯が巻かれている。
「恐らくは、王直属の諜報機関……さしずめ、フェノンフェーンの“影”とでも言おうかの」
魂力を読むことで知り得たのか、ルタが確信めいた表情で言い切る。
「……さすがは崇高なるドラゴン族の王位継承者、ルタリスア・I・アイシュワイア様です。お察しの通りです」
自分たちの正体を看破したルタに対して、恭しく、再び頭を下げるペネロペ。それに対して「うむ」と、素っ気ない様子のルタ。
いつもならここぞとばかりに偉ぶるだろうに、どうかしたのだろうか?
しかも、王の側近にフルネームで呼ばれてるし、やっぱりルタって偉いのか?
馴れ馴れしく呼び捨てにしてる俺って、やっぱり失礼なんだろうか……。
カズキは脳内で、色々と場違いなことを考えた。
「我々は、国家の安全を守るために、情報収集や分析、場合によっては情報操作、そのための実力行使をも担当する組織――秘密諜報部隊、通称『フェロムス』。
内部の情報伝達の簡略化や統制の観点から、公に王の近衛兵長を務める私が、フェロムスの隊長も兼任しています。これは当然、公ではないですが」
秘密諜報部隊――通りで、色々と事情に詳しいわけだ。
カズキは黙ったまま、内心で納得する。
「そのフェロムスとやらが、わしらになんの用なんじゃ? ちなみにじゃが、わしをフルネームで呼ぶというそなたらの礼儀はすでに受け取った。苦しゅうない、これからは会話に差し支えないよう、ルタ様と呼ぶがいい」
「お心遣い、ありがとうございます。助かります」
ルタの言葉に対して、ペネロペは深く頭を下げる。
ああ言いつつも様付けなんだな、とカズキは内心でツッコむが、声には出さない。
ペネロペは続けて、ルフィアに視線を移し、言葉を紡ぐ。
「叡智なるエルフ族最後の姫、ルフィア・エルフィル様。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。不肖ペネロペ、お会いできて光栄です。先の戦争では我々の先祖が、エルフ族を守り抜くことができず、大変お辛い目に――」
「気にしないでください。もう、二百年以上前のことですし。話を続けてください」
「ふむ。やはりこやつ、エルフじゃったか」
「…………」
ルタはどうやら、ルフィアの正体を見抜いていたらしい。やはり、魂力を読んでいたからなのだろうか。
ルフィアは黙ったまま、二度ほど頷いている。
カズキは話を聞きながら、ルタの慧眼以外に、二つのことに驚いていた。
まず『フェロムス』の情報収集能力の高さだ。
ルタの出自だけでなく、自分が聞いたばかりのルフィアの秘密すらもペネロペがすでに知っているという事実が、それを強く物語っていた。
さらに、ルフィアもルタに負けず劣らず、長命な種族であるということ。
カズキは、自分の何倍も長生きをしている二人と旅をしていることを自覚し、遅ればせながら若干恐縮した。
「……恐れ多いお言葉、ありがとうございます。続けさせていただきます」
ルフィアの言葉に深く頷いたあと、ペネロペは一度深呼吸し、再び話し出した。
「順を追って説明しましょう。
まず、先ほどルタ様らを誘拐しようと画策した連中の正体は、ジプロニカにとっての我々のような存在。端的に言うならば、同業者です」
ペネロペは全員の顔を見回す。
「ジプロニカ側の“影”か……なにか企てがありそうだな」
腕を組んだままルタが言う。
思慮深くなにかを考え込んでいる様子だ。
「人間の国から刺客が送り込まれた理由は、いったいなんなんですか?」
続きを促したのはルフィアだ。
どこか不安そうに、ペネロペへと視線を向けている。
「考えられるとすれば、カズキがセイキドゥとやらを倒したことが本国に知られた、という線じゃが……」
ルタが言いながら、自らの顎を撫でる。
「ルタ様が言うように、すでに国お抱えの魂装遣い――セイキドゥと言いましたか――が、カズキ・トウワによって敗れ去ったことは、ジプロニカ王の耳に届いております。
事実を知った際は相当憤慨し『今すぐ殺しに行け』と叫んでいたそうですが、今回の一連の騒動は、それが直接の理由ではないのです」
「全然関係ないけど、俺はフルネームで呼び捨てなんだな……」
カズキは今度ばかりは、声に出てしまった。
ルタとルフィアへの恭しい態度に比べ、なぜかカズキに対してはどこかぞんざいなペネロペ。それに対し、ちょっとだけ不貞腐れた。
「これは、王に近いごくわずかの者しか知らないことですが――」
ペネロペはカズキの悲哀を一切気にすることもなく、箱型の客室、その四方の壁にそれぞれ備え付けられた小窓から、前方を走る馬車をちらりと見遣った。
前の馬車ではどんな会話が交わされているのか、ペネロペは思い馳せている様子だ。
「アリア様は、実は我が王レイブラムの、内縁の奥様なのです」
驚きの事実を、ペネロペは語る。
「ってことは、トッドは王子ってことか」
「ふむ……だからジプロニカに狙われたということか」
「わたしたちが狙われていたというよりは、むしろアリアさんたちが標的だったんですね……」
合点がいったカズキたちが、各々に反応を示しながら頷き合う。
「ええ、そういうことになります。レイブラムがお二方の安全を慮り、戦禍が拡大した頃から、身元を隠して生活していただくよう配慮していたのですが……今回、その情報もジプロニカにはバレてしまったようです」
苦虫を噛み潰したように、ペネロペは顔を歪める。
「和平が結ばれた辺りから、レイブラムも幾度となくお二人を城に迎え入れようとしていたんですが……どうやらアリア様が、もっと世間が落ち着き、人と真の交流が持てるようになるまで、正体を明かさない方が安全だと考えておられた様子で。
そういった経緯もあり、我々の監視下に置かせていただいていた次第なのです。
今回は、対応が間に合って本当に良かった……カズキ・トウワも、ああして敵の意識を引き付けてくれて助かった。礼を言う」
「……いや、こちらこそ助けられたよ」
心底ホッとしたように言い、カズキに頭を下げるペネロペ。
頭上の耳が、安心しきったようにへなりとする。
カズキは、あの局面を一人で打開できなかった自分を不甲斐ないと思っていたが、ペネロペの誠意ある態度を受け、少しだけ自分を許すことができた。
「今回のことで私も痛感した。
やはり亜人と人間の間には、まだまだ深い溝がある……私自身も、『奴隷解放』と『人間との対等な交流』を掲げてきたレイブラムの片腕として、差別意識を持たぬと思ってきたが……。
こればかりは、さすがに堪えるな。怒りが身を震わせる」
膝上の拳を震わせながら、ペネロペは話を続ける。
カズキには、その怒りが痛いほどにわかった。
「際限なく血が流れた『五十年交渉』の末、亜人の奴隷解放を条項に盛り込んだ悲願の和平条約を、三年前にジプロニカとようやく結んだ言うのに……。
亜人と人間は結局、互いに胸の奥に憎悪を根付かせたままだ。それが今回のことで、よくわかった。わかってしまった」
「『五十年交渉』――俗に言う、フェノンフェーンとジプロニカの五十年続いた戦乱ですね」
続く話に、ルフィアが相槌を打つ。
カズキは理解が追い付かず、黙って話の行く末を見守るしかなかった。
「和平から三年を経た今も、ジプロニカでは、半ば公然の秘密として、亜人を奴隷として扱うべきだというのが世論の過半数を占めているという調査もあるのです。
そもそも人間は、人間以外の種を下等だとする差別意識が強い。
だからこそ、過去に古代種を滅ぼしてしまったというのに、それを反省するどころか……あいや、失礼。お二人に思い出したくもないことを――」
「ふん、なにを今さら。気にするでない」「わたしもです。今さらですから」
ルタとルフィアは続けて、ペネロペへ向けて反応する。
二人とも、なんら表情に変化はない。
きっと、もう悲しみ貫いた後なのだろう。
カズキはルタとルフィアの心中を思い、目を伏せた。
そこでふと、ある考えに至る。
「なあ。それならまず、入国審査を厳しくしたらいいんじゃないのか?」
カズキとしては単純に、まずは最低限の防衛を――と考えたのだが。
「……そこなんだ。そうしてしまうと、“向こう”の思うツボなんだよ、カズキ・トウワ。
条項の一つに『人間の入国を、亜人と同じように容易にする』という項目があったんだ。要するにジプロニカは、結んだ和平条約をこちら側が反故にすることを狙っているのだ」
「そういうことか……あの王らしい汚い手だ」
「ああ。だから関所のチェックを厳しくするわけにはいかないのだ」
ペネロペの憤懣やるかたない表情に、忌々しいジプロニカ王の顔を思い出すカズキ。
悔しさと怒りが伝播し、左拳を強く握る。
右手首から先、手袋の中が疼く。
「アリア様やトッド様を狙ったのは、秘密裏にお二人を攫い人質に取ることで、フェノンフェーンに奪還のための軍を動かさせる。そして――」
「ジプロニカはその対抗手段として仕方なく動いた――という体裁に見立てるため、じゃな」
ペネロペの続く言葉を、ルタが引き継ぐように言う。
眉間には深い皺が寄っている。
「ええ、その通りです。
……ジプロニカは今、かなり周到な情報操作戦を仕掛けてきているのです。
フェノンフェーンは、耐え忍ぶことしかできないでいる」
かなり現状に頭を悩ませているのか、ペネロペは額を揉みながら、深い溜め息を吐いた。
「どこまでも汚いこと考えやがるな……。でも、ならさっきの忍者の奴らを突き出せば――」
「それも望み薄だ。まず逃げたリーダー以外は自害した」
「っ!?」
車内の全員が、息をのむ。
空気が、さらに淀んだ気がした。
「なんと……潔いのか、異常な忠誠心か……狂気じみておるな」
「しかも、リーダーの男以外、襲撃してきた刺客全員が、人間的な身体的特徴を持った亜人だったのです。
おそらく、ジプロニカ近郊で奴隷として扱われてきた者を従順になるよう訓練したのでしょう。ゆえに、死体を証拠として追及することもできない……。
く、我々の同胞を弄んだうえに、このような仕打ちまでするとは!」
ペネロペの肩が、小刻みに震えている。
「……本当に、とんでもない非人道だな」
カズキは胸が気持ち悪くなり、吐き捨てるように言った。
気分を変えようと、カズキは小窓をスライドさせて、外の冷えた空気と入れ替え、深く吸い込んだ。
見上げた空には、雲がかかりはじめていた。
星は、見えなくなっていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




