028 アリアの宿
「ほら、ここがボクん家」
酒場で出会ったトカゲ頭の少年に連れられて、カズキたちは裏路地の小さな宿屋にやって来た。
宿屋と言えどその建物は、ハンズロストックの貴族の屋敷とは比べるべくもない、外観は少し大きいだけの民家、といった風情だった。
この世界ではすでに見慣れた、木と石を組み合わせて造られた建物で、脇に馬などを待機させておく厩があった。
周囲は、目抜き通りとは打って変わって賑わいがなく、侘しさすら感じられるような薄暗い場所だった。道で洗濯や掃除などをする人々にも、どこか活気がない。
「なんじゃ、大したことないの」
「こら」
建物を見て、さっそく悪態をつくルタ。
それをカズキがたしなめる。
「さ、入ってよ」
ルタの文句は聞こえていなかったようで、気にする様子もなく少年は建物の中へと入っていく。その背に続いてカズキたちも、室内へと足を踏み入れた。
ぎぃ、と建付けの悪い扉が軋んで音を立てる。
入ってすぐは居間になっており、十畳ほどの空間が広がっていた。入口すぐの壁際には暖炉のようなものがあり、手前には食事する場所か、テーブルと椅子が四脚置かれていた。奥には二階へと続く階段も見える。
壁には、申し訳程度につけられた小さな窓があり、そこから陽の光が入り込んで、空間にわずかばかりの明るさをもたらしていた。
ただ、家の周囲も日当たりが悪く薄暗かったせいか、室内にそこまでの明るさはなかった。
「いらっしゃいませ……ってトッド! どこ行ってたの!!」
入ってすぐ、暖炉近くで手を動かしていたトカゲ頭の亜人が振り向き、少年に向かって声をかけてきた。
頭は少年に似た肌色の鱗で覆われており、少年に比べると艶が少なく、落ち着きのある雰囲気だった。
カズキは、声音と身体つき、長いスカートを着ている様子から判断し、女性だろうと推察した。
リザードウーマン――頭に、そんな単語が浮かんだ。
「母ちゃん、ボクほら、客を連れて来たんだ!」
トカゲ頭の少年――トッドというらしい――は、怒られてしょげることもなく、表情を明るくして言った。
会話から察するに、リザードウーマンは少年の母親らしかった。
「見て! 人間を三人もっ!!」
トッドに紹介される、カズキ、ルタ、ルフィア。
カズキはなんだか照れ臭くなり、ポリポリと頬を掻きながら、頭を下げた。
後ろではルタが「わしは人間ではないぞ」と引き続きの悪態をついていた。ルフィアはフードを被ったまま、黙って俯いている。
「あら、お客様でしたか。私、トッドの母親でこの宿の主をしております、アリアと申します。うちみたいなところを利用していただいて、本当にありがとうございます」
カズキのおじぎに応えるように、恭しく頭を下げるトッドの母親アリア。顔を上げると、爬虫類特有の大きい切れ長の口で、満面の笑みを見せた。その目に、人間であるカズキを忌避するような色は一切なかった。
日本育ちのカズキにとっては、アリアの笑みは見慣れない(そもそも亜人自体がいないので当然だが)ものではあったが、どこか愛嬌のあるその笑顔に、カズキは少し警戒心が緩んだ。
「長旅でお疲れでしょう。さ、お部屋に荷物を運びますからね」
アリアは挨拶を終えると、テキパキとカズキらの荷物を受け取って運ぼうとする。
客室は二階なのか、全員分の荷物をひょいと持ち、奥の階段へと歩いていく。それを手伝おうと、トッドも母親の横に並ぶ。
「あ、あの!」
親子の背に声をかけたのはカズキだった。
自分が油断しきっていたことに気が付く。
「はい、なにか?」
「……実はまだ、その……泊まると決めたわけでは……」
非常に言い辛い空気ではあったが、カズキはなんとか言葉を捻り出した。
このまま空気に流されるわけにもいかない。
「あら、そうでしたか。やっぱり、この子が無理矢理連れて来たんでしょう?」
苦笑いを浮かべながら、アリアは言った。足元ではトッドが「そんなことないってば!」と必死に否定している。
カズキはそんな二人のやりとりを、微笑ましく思った。
「……うぬよ」
と、横で同じく様子を見ていたルタが、カズキの脇腹を小突いた。
「なんだよ?」
「もうここで、問題ないのではないか?」
ルタはやれやれ、といった感じの表情を浮かべながら、そう言った。
先ほどから悪態をついてはいたが、特に不愉快そうな空気を出しているわけでもなかった。
対してカズキも、一度息を吐いてから「……だな」と返す。
なにがどうあれ、こんな親子の生活に少しでも貢献できるのであればいいか――カズキはそう思っていた。
当然、ルタとルフィアが傷つけられるようなことになれば、黙っているつもりは毛頭なかったが、微笑ましい親子の様子を見て、ここならばそんなことは到底あり得ないだろうと感じていたのも、また事実だった。
「いえ、トッドくんの言う通りです。やっぱり、泊らせてもらいます。いいですか?」
カズキは自分の言葉を訂正し、もう一度母親に言葉をかけた。
「まぁ、嬉しい。トッドもなかなかやるじゃない」
「だろう? えへへ」
トッドの頭を、愛おしそうに撫でるアリア。その仕草には、生物共通とも言える母の子供への愛情が見て取れた。
「よし、そうと決まれば自分で荷物運ぶぞ」
「えぇ……か弱いわしにそんなことさせるのか、うぬは」
「そういうときばっかりか弱いぶるな」
雑用を押し付けようとするルタに、カズキがツッコミを入れる。
「で、あれば! わたしが全部お運びします」
「いいから、ルフィアも自分の分だけ運ぶように!」
今度は横から、こき使われたがりのルフィアが食い気味に割り込んでくる。ルフィアはこういうときだけリアクションが早い。
二階に上がると、扉が三つあった。
ちょうどいい、各自一部屋で泊まれるな――カズキはそう考えたのだが。
「母ちゃん、ボクらはどこで寝るの?」
「居間で雑魚寝に決まってるでしょ。お部屋が足りないんだから」
そんな親子の会話を耳にした。
「あの……それって、どういう――」
「おい人間。お前ら、二部屋あれば十分だろ?」
カズキが確認しようと話しかけると、トッドが振り向いて、ふてぶてしく言った。
「こら、トッド! お客さんが優先に決まってるでしょ!!」
「母ちゃん、相手は人間だよ!? ボクらの寝床までやることないよ!」
親子の会話を聞き、カズキは合点がいった。
要するに、この宿屋には本来客室が二部屋しかないのだ。それをなんとか、カズキ、ルタ、ルフィアそれぞれに部屋を用意するために、自分たちの寝床を差し出そうとしていたのだった。
「俺ら、二部屋で全然大丈夫ですよ。そこまでしてもらう必要ないですから」
「え、でも」
「逆に変に床で寝られても、こっちが気になっちゃいますし。いつも通りでお願いします」
相手に食い下がる余地を与えないよう、カズキは突き放すように言い切る。
「ルタとルフィアも、問題ないよな?」
そして、同意を求めて後ろの二人を振り返ったカズキだったが――
なぜかルタとルフィアは、額と額がぶつかるような距離で睨み合っていた。
端的に言うならば、メンチの切り合いである。
いやなんで?
「カズキ! うぬはわしと同じ部屋に泊まり、この女が一人部屋ということで良いな!?」
威勢よく言い切るルタ。
「いいえ! わたしが一人部屋なんておこがましい! いつもいつも態度の大きいルタさんこそが、一人部屋で優雅に過ごされるのがいいかと思います!」
これまでと違い、果敢にルタに言い返すルフィア。
いやなんで?
「ど、どうした?」
思わず困惑の声を漏らすカズキ。
「うぬはわしのボディガードじゃろう!? 当然、わしと同室に泊まるべきじゃと思うがの!」
「わたしは一人で泊まるわけにはいきません! おこがましいですから!」
ルタとルフィアが、やんややんやと謎の言い合いをはじめる。
「いや、ちょ、やめろって」
「うぬは黙っておれ」「カズキさんは黙っててください」
「あ、はい……」
カズキは間に入り二人を制止しようとするが、なぜか黙ってろと強く言われ、むしろ火に油を注いだだけのような状況になってしまった。
そして、挙句――
「カズキはどっちと泊るのじゃ!?」
「カズキさんはどっちと泊るんですか!?」
ルタとルフィア、両名から同時に迫られる。
金と銀の髪、青と翡翠の瞳がカズキを見据えて煌めいた。
「へへ、モテる男はつらいな、人間っ!」
トッドが笑いながら冷やかす声を上げたが、ルタとルフィアに睨まれ、追い込まれていたカズキの耳には入らなかった。
「こ、これは一体、どうしたもんか……」
――部屋割りを、どうするのか。
こうしてカズキは、とんでもない無理難題に出くわしたのだった。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




