024 新たな同盟
朝日が差し込む、人気のない林道。
周囲には木々が溢れ、天蓋の枝葉から、温かい木漏れ日が降り注いでいた。
辺りには獣の匂いも漂っており、人の手が入った土地から離れたことを感じさせていた。どこかで水が流れるような心地良い音もしていたが、カズキは休むことなく足を動かし、旅路を急いでいた。
すでにハンズロストックからはだいぶ離れ、振り向いてみても木々の緑が続くだけで、街の目印である高く聳える岩壁は、見えなくなっていた。
「すぅ…………すぅ…………」
カズキは、自分の背中で寝息を立てている、小さな身体を背負い直した。
疲れたのだろう、ハンズロストックを出てからルタは、一度も目を覚ましていない。
おぶるのに脇に回した両足には、痛々しい鞭の跡などが浮いていた。
見る度にカズキは、自分を責めた。俺が、ルタを一人にしなければ……あんなに星の声を聞く民の老人から、忠告されていたのに。
悔しさでカズキは、道中何度も奥歯を噛み締めていた。
一度、強く噛み締めすぎたせいで、唇を切ってしまっていた。舐める度、血の鉄臭い味が口中を満たしていく。
カズキにとってはそれが、悔恨の味のように感じられた。
「カズキさん」
と。
カズキが何度目かの自責で口を噤んでいたタイミングで、隣……より少し後ろを歩いていたルフィアから、声がかかった。
「ん、どした?」
「いえ、その……」
ルフィアはなにか言い難そうにして、俯き加減だ。
今はフードを被り、目立たないよう顔を隠している。
だが、一度魂力によって目覚めた彼女の“美”は、否応なくその魅力を周囲に発散していた。
長い睫毛に、伏し目がちな翡翠色の瞳。
通った鼻梁に、透き通るような白い肌。
清流のような清らかさと滑らかさを併せ持った、麗しい銀髪。
横から見ると、彼女はまるで森の精霊のような、神秘的な美しさを持っていた。
カズキは自分が、どうしてこんな美少女と並んで歩いているのかと、今の状況を不思議に思った。
「わたしは……ついてきてしまって、良かったのでしょうか」
ルフィアはカズキの心理を知ってか知らずか、そんなことを言った。
カズキの歩みが一度止まる。
立ち止まったカズキを数歩追い越してから、ルフィアが振り向いた。
木々がざわめき、ルフィアの顔が陰っている。
「カズキさんと、相棒のルタさんの関係性を見て、なんというか、ただ人生を買っていただいただけのわたしとは、違う感じがしたというか……うまく、言えないのですが」
どこか、もじもじした様子で続ける。
ああ、美人なのに仕草が可愛いとか反則かよ……と全然関係のないことを思うカズキ。
「そんな二人と、わたしなんかが一緒にいていいのかと、思いまして……。わたしは、買っていただいた恩を返すためにと、同行していますが……もし、ご迷惑なら……」
「……んー、どうしたもんか」
ルフィアの真剣なトーンを受け、カズキは一度、頭をガシガシ掻く。
深呼吸をし、居住まいを正した後、一歩進み出て、ルフィアの隣に並んだ。
「まず、前にも言ったけど、俺はキミの主人じゃない。当然、もう誰の奴隷でもない」
「……はい」
一つ一つを言い聞かせるように、ゆっくりと話すカズキ。
ルフィアも噛み締めるように、ゆっくりと頷く。
「キミは本来、自由だ。でも今は、買ってもらった恩を返すために、ってことで、俺についてきてくれてる」
「はい」
「それは嬉しいし、色々とありがたいと思ってるんだ。ロストックの屋敷からルタを助け出すときも、すげー助けられたし」
言ってカズキは、背負っているルタの顔を覗き込むようにした。
長く伸びた金色の睫毛が、伏せられている。
「お役に立てたのなら、嬉しいです」
若干表情を柔らかくして、ルフィアが応じる。
「……でも、本来はその“買ってもらった恩”自体、別に返す必要もないんだよ。あの金は、たまたま手に入っただけの泡銭だし、それを使って、囚われていた自分に似た誰かを開放したって、それだけの話なんだ」
カズキは努めて、何事もないように言う。
「でも、だからといって開放してもらったわたしが、なんの感謝をすることもなく自由を享受するというのも、筋違いだと思います。
わたしはむしろ、奴隷としての一生を覚悟していましたので……今は少し、カズキさんのわたしに対する扱いに、戸惑いがあるくらいです」
「と、戸惑いって……」
カズキの言葉に、ルフィアは反論する。
ちらりちらりと、カズキの表情を窺いながら言葉を紡いでいくが、どこかその顔は照れ臭そうだった。
「もっとわたしを、こき使ってくれていいと言いますか……命令してくれていいと言いますか……
同行させてもらっている以上は、なんでもいいからお役に立ててないと……その、大切にされてばかりだと、なんだか…………落ち着かないんです」
「え、えぇ……」
存外に頑固なその性格を垣間見て、カズキは再び頭を掻いた。
足の支えを一つ失い気になったのか、背中のルタが「う~ん」と言いながら身をよじった。
「本当なら、わたしがルタさんをおぶるべきだと思います。新参者なわけですから……」
「い、いや、ルタは別に重くないし、新参者とかないし……」
「なら、わたしがおぶってもいいということですよね? なのに、カズキさんは『こういうのは男の仕事だ』と言って、おぶらせてくれない……こき使ってほしいのに……」
「お、おぉぅ……」
カズキは唸りながら、少し考え込む。
この頑固娘は、どうしたものか。
自分が妙な事を言っている自覚があるのか、微かに頬が赤い。
この、ともすればわからず屋な美少女が、納得のいく形で自分たちの旅に同行させる、良い方法はなにか――
「あっ」
――出た答えは、至極単純なものだった。
「…………じゃあ明確に、対等な同盟を結ぶってのはどう?」
「え……?」
「俺とルタ――相棒が結んでいる誓約みたいなもんさ。まぁ、誓約書を交わしてるとか、そんな真っ当なもんじゃないし、なんの法的効力もないけどさ」
言ってカズキは、ルタを背負い直した。
「孤独な者同士の同盟――それにルフィアも、加入しないか?」
立ち止まったまま、カズキはルフィアの目を見て言う。
ルフィアの頭上から、木漏れ日が降り注いだ。
「……それなら、わたしにも資格があるかもしれません」
応じたルフィアが、相好を崩した。
その顔はどこか切なく、悲しく、情けない微笑みだったが、なにより――美しかった。
少なくともカズキには、そう感じられた。
「同盟を結ぼう。孤独な者同士の同盟を」
「……はい!」
カズキは、ルタに持ち掛けた同盟を、ルフィアにも提案した。
馴れ合いではなく、主従でもなく、あくまでも同盟関係――対等な者同士の、誓約。
「キミが自分の生き方を見つけるまで、俺たちと一緒に旅をしてくれ。生き方が見つかったら、いつでも離れていい」
「自分の、生き方……」
ルフィアはカズキの言葉を噛み締めるように繰り返した。
フードの奥の瞳が、微かに輝いた。
「ああ。その代わり、俺とルタの都合に巻き込まれる覚悟もしておいてくれよ。……ルタは結構、人使いが荒いから」
「…………ふふ、お安い御用です」
言ってルフィアは、またとびきりの笑顔を見せてくれた。
背中のルタが寝言なのか「誰が人使い荒いのじゃ」と呟いたような気がしたが、むにゃむにゃと口を動かす様子がわかったので、カズキは野暮なことは言わないでおいた。
こうして、カズキとルタの同盟に、亜人のルフィアが正式に、加入したのだった。
林の中を進む三人の背に、柔らかな陽が当たっていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




