022 地下室の使い方
左手の燭台が照らすわずかな範囲だけが、暗闇からカズキとルフィアを浮き上がらせていた。
地下の壁は石を積み上げて作られており、所々に窪みがあった。
本来であれば、そこに火を灯した蝋燭を立て、明かりを確保しているのだろう。だが今は火がなく、地下には闇と湿った空気だけが充満していた。
道は細く、曲がりくねって入り組んでおり、たとえ住人であっても迷ってしまいそうな様相を呈している。
先ほどまでの地上の喧騒とは打って変わって、屋敷地下には静けさが、淀みのように溜まっていた。時折どこかで、水滴かなにかが滴る音が聞こえてくる程度だった。
「……不気味だな」
カズキは小声で、後ろのルフィアに話しかける。これには、心細さを和らげる意味もあった。
「はい。……でも、わたしはこういう空間に、慣れています」
思いのほか、しっかりと応えたルフィアに、カズキは文字通り背中を押されるような気持ちになった。
「こうした地下室には、人は本来寄り付きません。暗く冷たい場所を、人は嫌いますから」
「……だから、奴隷や罪人は地下牢に閉じ込められるってわけか」
「はい。そういうことです」
小さな声でやりとりをしながら、二人は一歩一歩進んでいく。
ルフィアが時折、後方を気にして振り向いている気配がする。おかげで、カズキは前方にのみ集中することができた。
カズキはルタの気配を探し、魂力の流れを感じ取ろうと集中する。幸い、暗闇のおかげで目を閉じることもなく、集中力を高めることは容易だった。
「…………」
入り組んだ数ある横道の中、一ヵ所からほんのわずかに――ルタの魂力を感じた。
迷わず、歩を進めるカズキ。
少し進むと、ぼうっと小さな灯火が遠巻きに確認できた。どうやらその箇所だけ、壁の窪みの蝋燭に火が灯っているようだ。
蝋燭の対面側には、重厚な木製の扉があったが、扉には取っ手や鍵穴などが付いておらず、通路側から開けることができないようになっていた。
「……いかにも、ここでいかがわしいことをしてますって感じだな」
「はい」
カズキは扉の前に立ち、さらに集中力を高める。
心を澄ませると、やはりこの部屋から、ルタの魂力が漏れ出ているのが感じられた。
「ぶち破るしかないか」
決意を固めたカズキは、左手の燭台をルフィアに預け、右手に魂力を集中する。
手袋を脱いだ右手が、暗闇の中で金色に光り輝く。
眩いほどの光に、ルフィアが目を細める。
「おら!!」
カズキの右ストレートが、炸裂する。
木製の扉は、粉々に砕け散った。
「ルタっ! いるか!?」
叫び、突入するカズキ。
部屋の中を見渡す。
部屋は思いのほか広く、カズキの体感では十畳以上の空間だった。
地下であるため当然窓はなく、代わりの光源として壁の所々に設えられた蝋燭が、ぼんやりと燃えていた。
「……っ!!」
カズキは、室内に置かれた物を眺め見て、背筋が震えた。
中は、一言で表すならば拷問部屋そのものだった。
手足を拘束する木製の固定具、装着者の目や口を開けたままにするような鉄仮面、鞭、大量の蝋燭――見るもおぞましい拷問器具の数々が、部屋の至るところに乱雑に置かれていた。
よく見れば、部屋の壁や床、果ては天井にまで、なにかのシミがこびりついている。
中に漂う臭いも、血腥さと獣臭さを合わせて攪拌したような、不愉快極まりないものだった。
カズキはえずくような感覚を必死に飲み込みながら、両足に力を込めて踏ん張った。
そして、目を凝らす。
――見つけた。
「…………ルタっ!!」
部屋最奥の壁に――ルタが、磔にされていた。
手足を縛られ、声が出ないよう口元にも布を巻かれていた。
フードの着いたローブは剥ぎ取られ、山にいた頃の、ボロ布を羽織っただけのような格好になっている。
布の間から見える白い体躯には、無数の打撲や切傷、鞭で打ったような痛々しい痕が、悲惨なまでに刻み込まれていた。
「……ひどい……ッ」
ルタの姿を確認したのか、ルフィアのか細い涙声が聞こえた。
カズキの理性が、ブチブチと音を立てて弾け飛ぶ。
全身が、震える。
「……んん? なんだぁ貴様ァ?」
磔にされたルタの正面で、派手な服を着込んだブロンドの男が、カズキたちを振り向いた。
衣服には華美な装飾が多く、彼が高貴な者であることを窺わせた。
しかし、その表情は尋常ではなかった。
目は瞳孔が開き、口の端からは涎が垂れ落ちている。
「邪魔しないでよぉ……今、すげー気持ちいいトコなんだからさぁ……」
男は言って、カズキたちに近づいてくる。
「僕が気持ちよくなってるときはぁ……誰も入れるなって言ってるのにさぁぁ!!」
そして奇声を上げながら、持っていた鞭を振り上げ、カズキに向けてしならせてきた。
鞭が、目にも留まらぬ速度で風を切る。
「ふん」
カズキは男の殺気――魂力の変質と流動――を読み、鞭の先端を魂装の右手で掴んだ。
「ぎゃ!?」
そして、瞬時に左手に持ち変え鞭を引っ張り、男を自分の間合いに引きずり込む。
態勢を崩され、ふらりと倒れかけた男の鳩尾に間髪入れず、カズキは――
右ストレートを叩き込んだ。
「ぐおぇ!?」
腹を撃ち抜かれた男の口から、吐瀉物が撒き散らされる。
高貴さを演出していた衣服は、見るも無残に汚れた。
「……クソ野郎が」
汚物と化した男を部屋に放り、カズキは急ぎルタに駆け寄った。
手足は力なく緩み、ぐったりと拘束具にぶら下がるような形になっている。
一目で、憔悴しきっているのがわかった。
「ルタ、おいルタ! しっかりしろ!!」
口の布を外し、革の拘束具を右手で切断する。
ルタは膝から、頽れる。
カズキは、その小さな身体を受け止めた。
「…………カ……ズキ…………か?」
「ああ、俺だ! ごめん、ごめんな。一人にして」
「ふ……ん…………かま、わん……ただ、不甲斐、ない……」
「いい、もう喋るな!」
カズキが言うと、ルタは一度柔和に微笑み、うっすらと開けていた目を閉じた。すると、すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。
限界だったのか、すぐに眠りについてしまったようだった。
思わずほっとするカズキ。
「カズキさんの腕の中で、安心したみたいですね……」
眠りについた様子のルタを見て、ルフィアが言った。
「……行こう、ルフィア。こんなところにもう用はない」
カズキはルタに、壁にかけてあったマントを纏わせ、自らの背で負ぶった。
燭台を手にしたルフィアに、先導を任せる。
と。
部屋を出ようと踏み出したところ、なにかに足を掴まれた。
見ると、自らの汚物にまみれたブロンドの男が、カズキの足に縋りついていた。
「き、貴様……ぼ、僕は……ロストック家の、嫡男だ、ぞ……?
こんな、こ、ことをして……ただで、済むと、思って……いる、のか?」
男は目を見開き、高圧的な言葉を浴びせかけてきた。
だが、カズキの表情が変わることは、一切なかった。
「貴様、を……僕は、ゆるさ――」
「俺に、人間のルールは通用しない」
言葉を遮り、足元の男へ向けてカズキは膝をつくようにしてから、ずいと顔を寄せた。
カズキの静かな声が、地下の一室に波紋のように広がっていく。
「お前を見て、思ったよ……クソな人間どもを正すために、俺は人間をやめることにする」
淡々と、言葉が紡がれていく。
「人の非人道を正すには、人の理の外から見定めないといけないんだって、ようやく理解できた」
どこかで水滴が、ぽたりと落ちた。
「俺は、そのためなら――悪魔にだってなってやる」
顔の位置が低く、蝋燭の火が届かないため、カズキの表情はわからない。
ただ、足に縋っていた男の顔からは、血の気が引いていた。
カズキは男の耳元に口を寄せ、囁いた。
「気づかせてくれた礼だ。
…………お前はまだ、人の姿でいさせてやるよ」
ごくりと、男の喉が鳴った。
「ただし、今度視界に入ったら…………五体満足でいられると思うなよ?」
「あ……ひ……ぃ」
カズキがゆっくりと顔を離すと、地べたの男の股間から、じんわりと“水分”が流れ出て、水溜まりができていった。
カズキは救出したルタを背負い、ルフィアと共に地下から脱出した。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




