020 ルタが……いない?
日中に往復した道を、月明りを頼りに宿まで戻ったカズキ。
後ろには控えめに、ルフィアが付き添っていた。まだ落ち着かないのか、忙しなく身体を擦る動作を繰り返している。
「ここが部屋だ。さ、入ってくれ」
「失礼します……」
自分たちの部屋の前に辿り着き、薄明りの中で扉を開ける。
「おーい、ルタ。さっきはごめ――」
扉の向こうを視界に収め、カズキは息を飲んだ。
「なんだ、これ……?」
カズキが見たのは、月明りに照らされた、荒れ果てた部屋だった。
ベッドは乱れ、天蓋から垂れるカーテンも数箇所が引き裂いたように破れている。高価そうな椅子もひっくり返り、壁には泥なのか、なにかを擦ったような跡がいくつもついている。
まさか、ルタが一人で暴れたのか?
カズキの脳裏に、怒り狂って暴れ回るルタのイメージが浮かんだ。
しかし、自分がいくら悪態をついたからと言って、ルタがここまで怒ることなどあるのだろうか?
カズキは妙な焦りを感じつつ、部屋を隈なく見て回った。
「これは……ひどいですね」
部屋を見たルフィアが、少し怯えたように言った。
「あ、ああ……こんなに暴れる奴じゃないはずなんだけどな」
カズキは自分を茶化すような気持ちで、苦笑しながら言う。
しかし焦りは、露ほども消えてくれなかった。
「わたし、見たことがあります。こういう部屋……」
「…………?」
周囲を確認したルフィアが、自分の身体を抱くようにしながら、慎重に言葉を紡いでいく。
カズキは耳を澄ませる。
「……室内で奴隷を捕まえるとき、こんな感じになります。ここ、見てください」
言ってルフィアは、ベッド近くまで歩き、天蓋から垂れるカーテンを掴んだ。
カズキは目を凝らす。
「これはたぶん、誰かがここを掴んで抵抗したので、こうなったんだと思います。ほら、カーテンを掴んだまま引っ張ったような感じで、引きちぎれてる。
おそらく、ここを握っていた誰かを、何人かで無理矢理、連れ去ったんじゃないかと……」
「…………っ!」
誰かが、無理矢理連れ去られた――カズキのこめかみが大きく脈打つ。
この部屋にいたとすれば、ルタだけだ。
もし、ルタが抗い部屋が滅茶苦茶になり、最後にベッドに縋りつくようにして抵抗したとすれば、この惨状の説明がついた。
「いったい、どこの誰が……?」
カズキの身体が、怒りで震える。
しかし、ここで冷静さを欠いてしまえば、答えに辿り着くのは困難になる。
今にも暴れ出しそうな右手を左手で抑え、カズキは一度深呼吸をした。
と。
ギィィ――
扉が開く音に、咄嗟に殺気立つカズキ。
入り口へと一気に距離を詰め、険しい表情で扉の向こうを睨みつける。
「ホホ、おかえりでしたか」
暗闇から出てきたのは、ここに案内してくれたスキンヘッドの男だった。
顔に笑みを浮かべ、その手には燭台を持っている。ずかずかと遠慮なく、部屋の中へ入ってくる。
カズキは構えを解き、肩の力を抜く。だが油断はなく、手袋の下で魂装をし続けていた。
「すいません、部屋がこんなことになってしまいまして。すぐに片付けさせますので」
男はカズキに向けておざなりな謝罪をした後、確認をするように、蝋燭の灯で部屋をざっと照らし歩いた。
「……おや?」
そして、ベッド近くにいたルフィアを見つけ、眩しがるのも無視して、灯りを顔に近づけた。
ルフィアが思わず、顔を背ける。
「これまたなんとも、小汚い少女だ。……だが」
言いながら男は、ルフィアのフードを無理矢理払いのけ、その顔に短い指を這わせる。
目元をなぞったあと、頬を擦り、顎の輪郭を舐るように撫でる。
ルフィアは硬直して動けない。
肩が、小刻みに震えている。
「ふむ……これはやり様によっては、上玉になるかもしれませんな、ホホ。
あなた、先程の生意気な金髪と言い、こっちの灰色と言い、良い“夜の奴隷”を見つける眼力をお持ちで――ホッ!?」
男が言い終わる前に――カズキが、男を壁に叩きつけていた。
燭台を取り落としそうになりながら、冷や汗を流す男。
「……ルタをどこにやったんだ?」
「ル、ルタ……?」
「ここにいた金髪の子だ」
「ヒィ、痛いぃぃ!」
カズキは言葉を吐き出しながら、男を掴む右手に力を込める。
男の首が締まる。
「す、すず、ずびませんずびません! 黙って連れて行ったのは、あ、謝ります、謝りますがらぁ!!」
男は苦しさからか、口の端から泡を飛ばして必死に訴える。
カズキは眉間に皺を寄せたまま、首から手を放してやる。男の身体が壁を滑り、尻餅をつく。
「げほ、がはぁ…………!
はぁ……はぁ……お、覚えてろよ、貴様」
「なにか言ったか?」
「ヒ、ヒィィ!!」
小声で悪態をついた男の首を、再び捻り上げる。
耳障りな悲鳴が響く。
「そそ、そんなに怒らないで! だ、だって、もう一人いらっしゃるんですから、い、いいではありませんかぁ!」
「……さっきから、なにを言ってるんだ?」
「そ、その奴隷でございますよ! 夜の相手をさせるんでございましょう? この街の亜人の娘は“特殊なプレイ”にも融通が利くと評判ですからな、ホホホ!!」
「…………」
「私は、“そういったところ”の手配も承っているのですよ! それで、ホホ、あなたの連れの女に、目を付けたってわけなんですな、ホホホ!!」
カズキはもはや怒りで物も言えなかったが、ルタをどこへやったのか聞き出すため、必死で自分の衝動を抑え込んでいた。
右手袋から、微かに金色の光が漏れ出ている。
「なんとね、あなたがここに泊まるために払った金額の三倍でね、ロストック本家の公爵様が買い取ってくれたんですよ! 金髪、銀髪の女は貴族ウケが抜群でございますからね、ホホ!
しかも幼いとくれば、あのロストックのドラ息子の性癖にドンピシャリ! ハナっから、それが目的でお前らをここに招き入れたんだよぉ!!」
どうでもよくなったのか、はたまた追い込まれておかしくなったのか、男は開き直ったように饒舌になった。
「そっちの牝もこの私が、良い金額で変態貴族に売り飛ばしてきてやろうかブビャラァァァ!!?」
カズキは言い終わらぬうちに、男の左頬を思い切り魂装の右手で打ち砕いた。
吹っ飛んだ男に巻き込まれ、部屋の調度品がいくつか粉々になったが、どうでもいい。
「すまない、ルフィア。ここにいても、いつこいつの手下が来るかわからない。
危険だから、俺についてきてくれ」
怒りで声を震わせながら、カズキはルフィアに伝える。
「相棒さんのため……ですね?」
「ああ。危ない目に遭うかもしれないけど――」
「大丈夫。……わたしも、少しは戦えます」
「え?」
応えた声は、予想外に力強かった。
そのおかげか、焦りに満ちていたカズキの心にも、若干の落ち着きが戻った。
「戦えるのか? まさか……」
ルフィアは、魂力への勘が鋭かった。
もしかすると――カズキは自然と、背中を押されるような心強さを覚えた。
「さ、いきましょう」
「ああ」
二人は急ぎ、部屋を出た。
向かうのはこの街で一番大きな屋敷――ロストック家だ。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




