019 ルフィアと食事
亜人の奴隷ルフィアを、奴隷商にて購入したカズキ。
買ったとは言え、彼女を道具のように扱う気は毛ほどもなかった。
ただ、自分と同じような者だと感じた彼女を、一秒でも早く開放してやりたかった。
「……とは言え、どうしたもんか」
忙しなく人が行き交うハンズロストックの街を歩きながら、カズキは後ろからついてくるルフィアの様子を覗った。
彼女は奴隷商の小男がくれた、紺色のローブのようなものをまとい、ぎこちなく歩いている。相変わらず両手は、汚れを擦りつけるような動きを繰り返していた。
フードから覗く目は、先ほどよりも見開かれ、道沿いに続く街並みを興味深そうに眺めている。
カズキは、ルフィアがどういったタイプの亜人なのか、判断しかねていた。
檻の中で見た際にも、特徴的な耳などは髪に隠れていたのか、確認できなかった。今現在もフードで目元ぐらいしか見えない。
ただ、その瞳は翡翠色をしており、どこか人間離れした宝石のような輝きを放っていた。
「…………」
フードの奥から目を輝かせ、周囲を見回しているルフィアの仕草を見て、カズキは、ルタのことを思い出す。
口論となり、思わず飛び出してしまったが、結局はルタの言った通りで、自分にできたことと言えば、わずかばかりの金で奴隷一人を開放することだけ。
しかもその金も、ルタの機転によって得た金銭だった。
部屋に戻ったら、まず謝らなければ。そう考え、カズキは今から気が重くなった。
と。
ぐぅぅぅぅ……。
可愛らしく、腹の虫が鳴いた。
見ると、ルフィアがお腹の辺りを押さえて俯いていた。
「あ、腹減ってるか?」
「い、いえ……」
カズキが聞くと、ルフィアは恥ずかしそうに顔を伏せた。目深に被ったフードにより、その表情はほとんど窺えなくなる。
「遠慮しないでいいんだ。腹ごしらえするか?」
「そ、そんな……滅相もない……」
「…………こりゃ、どうしたもんか」
カズキにとっては、ルフィアを買ったというより開放したという感覚だったが、ルフィアから見ればカズキは、紛れもない自分の人生を買った主人だ。
逆らうことも、ましてや自分からなにかを要求することも、おこがましいと感じでいるのだろう。
ルフィアの態度からは、そんな感情が見て取れた。
カズキは、まだまだ自分とルフィアの距離感が縮まっていないことを自覚した。
だからと言って、檻から解放したので好きに生きろと、ここで放り出してしまっては、結局また奴隷商に逆戻りしてしまうのは目に見えていた。
「悩んでても仕方ないな。よし、メシ食おう」
「でも……」
まだ、拒否の意を示すルフィア。
彼女に後ろめたさを感じさせないためには、どうすればいいか。
「うーん……」
ひとまずカズキは、自分の腹具合を確認した。
……うん、そこそこ食べられそうだ。
「えっと、俺が食べたいんだ。付き合ってくれるか?」
「…………はい」
ルフィアは伏し目がちにだが、頷いてくれた。
主人としての行動に付き合わせる――カズキは、遠慮するルフィアに行動させるコツを掴んだ。
「じゃあ、行こう」
「はい」
再び、目的地を定めて歩き出すカズキ。その後ろを少し遅れてついてくるルフィアに、歩く速度を合わせる。
二人は歩調を合わせて、酒場へ向かった。
† † † †
日中にルタと入った酒場で、カズキはルフィアと向かい合って座っていた。
亜人の少女は、遠慮がちにだが、一口一口を噛み締めるように食べている。
樽をひっくり返したようなテーブルの上には、鹿肉のステーキに、黒パン、スープ、フルーツを包んだガレットが並んでいる。それらをゆっくり咀嚼して飲み込んでいく。
「…………あの」
「ん? どした?」
と。
こくん、とパンを飲み込んだあと、ルフィアは意を決したように訊いてきた。
両手が空くと、相変わらず汚れを擦りつけるように動かしはじめる。
「なぜ……わたしを……買ったんですか?」
聞いてもいいのだろうか、という色を顔に浮かべて、ルフィアは言葉を紡ぐ。
「別に、深い意味はない。檻で言った通りだ。……キミが、自分に似ていたから」
カズキは言った後、少し照れ臭くなり、スープを一口すすった。
「……ありがとう、ございます」
ルフィアはぼそり、と零すように言った。
「あと……鎖、良かったんですか?」
手首の辺りをさするように、ルフィアは続けて訊いてきた。
カズキは硬めの肉を咀嚼し、飲み込んだ。
「奴隷として扱うわけじゃないからな。あんなものは、必要ない」
「わたし……奴隷、じゃないんですか?」
「ああ。キミは奴隷じゃない。もう自由だ」
カズキは彼女の翡翠色の瞳を見据えて、躊躇なく言う。
「これからどうしたいか、考えがあれば聞かせてくれ。その実現のために、俺にできることがあればするよ」
俺もルタにそうしてもらったから――その台詞は口に出さず、再び、カズキはスープを一口含んだ。
「ありがとうございます。……でも、わたしは、別に、したいこととか、ないです」
俯き加減のまま、消え入りそうに言うルフィア。
「大切なものも、なにもかも、ずっと昔に戦争で消えてしまいました……。だから、奴隷でいいんです。誰かに従っている方が、楽です……考えなくて、済む」
「戦争……」
ゆっくりと小声で言葉を紡ぐルフィア。それを聞いたカズキは、やるせない気持ちになる。
奴隷も戦争も、カズキにとっては言葉でしか知らないことだった。
けれど、目の前の少女はその両方を、自分自身で体感している。
過酷な状況があり、物事を考えることが辛くなっていく……カズキにも、彼女の考えたくないという気持ちはよくわかった。
自分の将来や進路を考えることを避け、大人たちに言われたことや、他人の意見に流されるようにしながら、毎日を適当に生きていた。
平和すぎるほど平和な環境だった自分のことは、おこがましくて口には出せなかったが、カズキは先ほどよりも、ルフィアを近しい存在に感じていた。
「だから……今はできる限り、自由にしてくれた、その、恩に……報いたいです」
「ルフィア……」
ルフィアはこのとき、はじめてカズキの目を見つめていた。
その瞳に彼女の決意を見て取り、カズキも目を逸らすことなく、彼女の名前を呼んだ。
「……わかった。じゃあ、一度俺の相棒に会ってくれないか?」
カズキは正直、開放した後のルフィアをどうするべきなのか、考えあぐねていた。というか、そもそも後先を考えていたら、カズキと彼女は出会っていなかっただろう。
だからこそ、こんなときは頼りになる知恵袋――ルタに教えを乞うのが一番だと思った。
「相棒……?」
「まぁ、ビジネスパートナーってやつだな」
と、相棒という存在に疑問を持ったルフィアに対し、カズキは少しキザに言ってみた。
しかし、落ち着かなくなり、すぐに頬を掻く。
「まぁ、会えばわかるよ。さ、行こう」
「はい」
言いながらカズキは、ルタへのお土産としてわざと残していた、甘いフルーツガレットを布で包んで懐に忍ばせた。
これで少しでもルタのご機嫌が取れれば――カズキはルタが甘味で相好を崩す様を、想像した。
酒場の外に出ると、すでに日は落ち、月明りが街を照らしていた。
「おっと」
入り口の扉を開けた途端に吹いた冷たい風が、カズキの背筋に悪寒を走らせた。
嫌な寒気が、身体の芯から広がっていくような感じがした。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




