017 街の裏側
高い天井、広々としたバルコニー、天蓋付きの大きなベッド――スキンヘッドの男に案内されたのは、カズキとルタの想像をはるかに超える豪華な部屋だった。
「見ろ、カズキ! ベッドが雲のようじゃ!」
「はは、雲に乗ったことあんのかよ?」
「イメージじゃ、イメージ!」
真っ白なベッドの上で、ルタが大喜びで飛び跳ねている。
カズキはその様子を見ながら、苦笑いする。
「ご満足いただけたようでなによりです、ホホ」
入り口で二人の様子を眺めていた男が、満面の笑みで言う。
「ありがとうございます。助かりました。これ、代金です」
「はい、確かにいただきました」
「あ……あと、チップを」
見よう見まねで、カズキは代金とは別にチップを渡す。
適当な硬貨を数枚、差し出された男の手に乗せ、残りを懐に仕舞い込んだ。
「これはこれは、ホホ。ありがとうございます」
男は芝居がかって見える仕草で硬貨を受け取ると、ニヤリとしてから礼を言い、部屋を出て行った。
「ふぅ……他人との接触はやっぱり肩が凝るな。……痛っ」
カズキはドアが閉まったのを確認し、首と肩を回して一息つこうとした。
が。
斬られた左肩が痛み、身体の状態を思い出す。
山での暮らしは日々生傷が絶えないものだったため、カズキは無自覚なうちに、痛みにかなりの耐性がついていた。
「手当てしちまうか」
言ってカズキは、室内の椅子に腰掛ける。
手慣れたもので、カズキは魂装の右手を使い、左肩の切傷を“魂力によって”縫合していく。
まず傷口の周囲に魂力を流し込み、その状態から傷口の皮膚と皮膚を繋げるようにして、魂力を結んでいくのだ。
「つぅ……っ」
すると、魂力が接合されていくのに合わせて、斬られた箇所の肉も肌も、ぴったりと閉じていった。これは、身体再生の方向へ魂装を上達させてきたカズキだけが行える回復術と言えた。
ただ、こうした『魂力による手術』とも形容できる行為は、魂装の右手を動かす以上に高度で繊細な魂力操作が必要とされるため、集中できる安全な場所でしか行えない。
「ふぅ……終わった」
一息つき身支度を整えると、カズキは改めて室内を見回した。部屋の豪華絢爛さに、現実感を失う。
高く天井まで続く壁には壁画が描かれており、いかにも貴族が好みそうな部屋だった。絵画がないところは白壁で、コントラストが感じられ、絵が映えるよう工夫が施されている。
男によると、この建物は今現在はほとんど使われていないロストック家の旧屋敷とのことだが、少し前まで山の洞窟で暮らしていた身には、まさに贅の極みと感じられた。
ここよりも豪華で贅沢な部屋に貴族は住んでいるのだと考えると、どんな世界にも格差はあるのだな、とカズキは漠然と思った。
「……あれ、ルタ? どこいったー?」
ベッドを見ると、先ほどまで大喜びで飛び跳ねていたルタがいない。
どこへ行ったのか――カズキはベッドに近づき、周囲を見渡す。
見ると、ルタはバルコニーに出て、外を眺めていた。
建物が岩壁のかなり上の方に建っているため、見晴らしは良さそうだった。
「どうした?」
「……いや、な」
カズキはルタの隣に並び、手すりから覗き込むようにして、バルコニーからの景色を眺めた。そこからの景観は、街の入り口から見た岩壁の、ちょうど裏側にあたるところだった。
眼下では、“様々な人々”が労働に従事していた。
頭がトカゲのような人や、獣の尻尾を生やした人、猫耳の人や、犬耳の人――そう、たくさんの亜人が、労働を行っていた。
「この街には、たくさん亜人がいるんだな」
「……ああ」
「……ん?」
亜人たちの様子を見ていたカズキが、ある違和感を覚える。
建築資材となる岩石や木材を運んでいる亜人たちの姿は、かなりみすぼらしかった。まるで、山ではじめて出逢ったルタのような服装だ。
服というよりは、もうボロ布一枚を羽織っているだけのような格好をしている。破けた布の隙間から垣間見える身体は、痩せ細り、骨が浮いていた。
極めつけは、皆の首、手首、足首に、重そうな金属製の輪が付いていた。
輪からは鉄鎖が伸び、手首と足首は繋がれていた。
首からの鎖は一際長くなっており、監督をしながら煙草をふかしている、人相の悪い男の手許へ伸びていた。
その様相はまさに――奴隷、そのものだった。
「あれって……まさか、奴隷……なのか?」
「……その、まさかじゃ」
人間として認められず、主人の所有物として取り扱われ、“生きた道具”として使役される身分……それが、奴隷。
教科書の中でしか、目にすることのなかった言葉。
現実に存在するなんて、思ったこともなかった言葉。
「おい、人間と亜人は、和平条約を結んだんじゃなかったか!? 言ってただろ、星の民の人が!」
「条約を結んだからと言って、おいそれと“現実”が変わるわけではない。
お偉方が握手しただけで実現したと思い込んでいる“理想”が“現実”となるのは、いつだって流れる血が尽きてからじゃ」
ルールだけでは現実はそう簡単に変わらん、とルタは言う。
「…………でも、許せないだろ!」
カズキの胸の奥底で、何かが爆ぜた。
自らの優位を疑わず、同じ土地に暮らす亜人を奴隷として扱い、非人道的な扱いで過酷な労働に従事させる――それをなんの迷いもなく行える、人間。
活気が溢れる街。
貴族の豪邸が立ち並ぶ街。
人々で賑わう平和な街。
――それらはすべて表向きであり、裏では亜人を奴隷として使役し、権利や自由を搾取して生きている。
人間は、どこまでも醜い。
思い出したくもないのに、ジプロニカ王の下卑た笑みが頭をよぎった。
カズキのはらわたが、煮えくり返る。
「待て。差別はそう簡単になくならん」
「なんでそんなに冷静なんだよっ!?」
隣のルタから、静かな声で言葉が紡がれる。
自分とは正反対の様子に、カズキは思わず熱くなる。
「……わしだって人間は憎い。だが、差別はそう簡単になくせる問題ではない。それは人間だけでなく、他の種にも存在するものじゃ。そう、知識や言語を得たすべての生物に。
もはや、我々全員の業と言っても過言ではない」
「お前がそんな風に言うのかよ、ルタ!? 訳知り顔で!」
「聞けっ、カズキ!
……今胸の内にある憎悪に従って行動すれば、それこそ他種族を奴隷として使役する人間の傲慢と大差がないと思わぬか? だからこそこういった問題に対しては、まず冷静な態度と視点を――」
「うるせぇ! ここでなにもしなかったら、俺は俺を呼び出したクソ野郎たちと同じになっちまうんだ! 黙ってられるか!!」
カズキは、我慢ならなかった。
あんな景色を見せられて黙っていては、それは、あの忌まわしきジプロニカ王、そして国民らと同じということ。
それは絶対に、耐えられない。
自分たちのことだけを考え、自分たちが望む結果や意に添わない者たちを、蔑み、見下し、挙句人を人とも思わず、山に捨てたり、奴隷にして道具のように扱う。
絶対に、許せない。
「カズキっ! 待っ――」
ルタの制止を振り切り、カズキは扉を蹴って外へ出た。
胸の動悸が、激しい。
息切れが、する。
「…………」
気が付けば、馬車で登って来た道を、街へと戻り下っていた。
「なんだってんだよ……ルタのやつ……っ」
立ち止まり、独り言ちるカズキ。
すれ違う馬車が、砂埃を巻き上げながら通り過ぎていく。
「……奴隷を扱っている連中を全部、ぶっ潰してやる」
カズキの呟きは、砂煙と共に風に消えていく。
外の空気はちりちりと、肌が痛くなるほどに乾き切っていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




