172 クータスタ島への道 ヴェルスヴェル大迷宮②
「ど、どうしたんですか……? 俺の声、聞こえますか?」
カズキは考えるまでもなく瞬時に身体を起こし、目の前の女性に声をかけた。が、彼女は応えない。それどころか、なんの反応もない。
「……うぅ……ん……なんじゃ、こっちは寝ておるというのに…………わっ!」
カズキの声に反応し、眠い目をこすりながら身を起こしたルタが、女性に気づき驚く。連鎖的に隣のルフィアもモゾモゾと身じろぎし、目を開いた。
二人が起きる間も、身体に文様が刻まれた女性はずるり、ずるりと足を動かし続けている。そうして、魂装道具により発生している不可視の結界の外を、ゾンビのように遅々と歩いていた。
その不気味さに、カズキは肌が粟立つのを感じていた。
「…………? いったい、これは……?」
ルフィアが、自らの身体を抱きながら言った。
カズキと同じく、女性の不気味さ、異様さに怖気を感じているのだろう。
「わからない。でも……普通じゃないってのは確かだ」
女性の裸体を直視するのはあまりよろしくないのでは、などとカズキははじめそんな風に考え、目を逸らしがちだった。
しかし、感情のない瞳、血管のように全身を這いずっている文様――それらの観察すべき事象を前にして、年頃の男子としての感覚はどこかへ消え去っていた。
「どう、するか……? 迂闊に近づくのは、危険……だよな?」
「き、危険だと思います」
「でも、だからってこの人をこのままにしておくわけにも……ルタ、どうすればいいと思う?」
「ぬぅ……わしもこのような状態の人間には、出会ったことがない。文様が浮き上がっていることと意志が感じられないということ以外、特に外傷などは見当たらないが……なにかの疫病という可能性も捨てきれぬしのう」
「え、疫病……?!」
ルタが自分の顎に触りながら、何気なく言う。
“疫病”――その言葉にカズキは、ぞわりとした不安を感じた。
「うーむ、わしが見てきた中で一番近いのは――エドワルドの身体にあった文様じゃろうな」
「……っ!」
続いた言葉に、カズキは大きく息を飲む。
魔族の王、エドワルド・エルドラーク。
ハイレザー・ハイディーンによって絶命した、カズキの友人。
乗り越えたはずの悲しみが、一瞬だけ胸を締め付けた。
「……あの、エドワルドの身体に描かれていた文様がなんなのか、ルタは知ってるのか?」
気を取り直し、カズキは聞く。
エドワルドの豪快な笑顔が、記憶の中でパッと咲いた。
「わしも完全に知っているわけではないが、あれはどうやら魂装道具を製造するための呪文だったらしい」
「それって……エルドラークさんが魂装道具を作っていたということですか?」
ルタの言葉に、今度はルフィアが疑問を差し挟む。
「そうらしいの。元々、魂装道具を製造する技術は魔族にしかなかったと言われていたが……さらに正確に言うなら、魔族の王であるエドワルドにしか、精度・強度共に最高レベルの魂装道具は製造できなかったらしいのじゃ」
「え!? じゃあもう、新しい魂装道具は製造されないってことかよ!?」
続々と語られる新事実に、カズキは驚愕する。
会話の間も、結界外の女性は呆けたように一定間隔で歩行を続けていた。
「ええい落ち着けい。ここにある物のように半永久的に機能し、かつ効果の精度が高い魂装道具は製造されることはない、ということじゃ。……もう、エドワルドがいないわけだからのう」
「「…………っ」」
ルタの寂しそうな横顔を見て、改めてエドワルドとの別れを噛み締めるカズキとルフィア。
「まぁそもそも、人間の領域に魂装道具があるのは、太古から続く戦乱の中で鹵獲したからじゃ。そういう意味では魂装道具などという超常的な物が存在しない生活に戻る、というだけの話だと思うがの」
ルタはいち早く気持ちを切り替え、再び語り出す。
人間はいつでもどこでも、欲望のままに過ぎたる力を求め続ける――カズキは自分がこの地に召喚ばれたことすらも、ジプロニカ王という一人の強欲からだったことを思い出した。
「だからこそ、人間にとって魂装道具は超が付くほどの貴重品じゃ。そりゃあ、意地でも魔族を攻め立て、その技術を得ようと考えるのは自明の理じゃろうて。あのハイレザー・ハイディーンのデーモニアへの侵攻も、元々は魂装道具の技術を欲しての侵攻だったそうじゃ」
「でもだったら、どうしてエドワルドを……!」
「……エドワルドだけが、最高性能の魂装道具を製造できるという事実を、魔族以外知らなかったはずじゃ。だからこそ、魂装道具を独占している国の王を殺し、国を奪い取ることで支配し、その技術を獲得しようとしていたということなのじゃろうて」
「いかにも、独裁者が考えそうなことだな……」
カズキ達の間に、再び暗い沈黙が降りる。
と、そこへ。
一つ新しい気配が近づいてくる。
ここで特筆すべきは、戦いに慣れた三人がギリギリまで気が付くことができなかったという点に尽きる。
カズキたちは一気に、戦闘態勢に入った。
「脱走者を追ってきてみれば……闖入者が数名。早く戻って、我が王にお伝えしなければなりませんね」
通路の奥、魂装道具の灯が届かない影から現れたのは――息をのむ美女だった。
長い黒髪を側頭部で結び、軽装の鎧で胸を隠した女戦士。
油断なくこちらを睥睨するその切れ長の目には、敵意の炎が宿っていた。
「……カタラナ、その者たちから離れて、こちらに来なさい。あなたはディウメンジャー様の今宵の夜伽相手に選ばれたのですよ。身に余る光栄に感謝し、今すぐ戻るのです」
「…………?」
女戦士が紡いだ言葉に、カズキは理解できない単語があった。
カタラナ? それはこの文様の女性のことか?
そして……ディウメンジャー? 夜伽の相手……それが、光栄?
わけがわからぬまま、カズキは腰を低く落とし、構える。
「ア……アァ……ッ」
「言うことが聞けないと言うのなら――処分致します」
「「「ッ!?」」」
女戦士が瞬間、物々しい闘気を放ち、そして――消えた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




