169 おかえりをもう一度
デーモニアとハイデュテッドの間で発生した戦いは、すでに終結に向かって動き始めていた。
ハイレザー・ハイディーンが戦死したという情報は、一瞬で戦場全体に知れ渡った。これは、カズキの魂装真名である《魂全統一》によって発生した、魂力の拡散によるものだ。
戦場に拡散した魂力に触れた者全てが、その魂力の伝える情報を否応なく読み取ることとなった。
これに続けて、さらに不可思議な現象が発生した。
光のような魂力が戦場の負傷者を包み込み、怪我や疲弊を回復させていった。
奇跡のような光景を目にした両国の兵たちは、争い合うことの無意味さを弥が上にも痛感させられ、手に取った武器を放り捨てていった。
皆が《魂力の奇跡》を前にして、涙を流して握手を交わし、抱き合い、その身を寄せ合い労わり合った。
「……終わったようじゃな」
ルタが目を覚ました時には、戦いは終わっていた。
周囲にいたルフィア、アルア、カザスタヌフらも魂力の光によって、ケガや体力の消耗が回復していた。ルタ自身も目を覚ましてすぐ、戦闘での消耗がほとんど消えている事実に驚愕した。
「カズキ、カズキは!?」
超常的な奇跡が起きたのだから、ルタがカズキの安否を気にするのは必然だった。もしかしたら、魂力の力によって蘇生しているのでは――そんな期待を抱くのは必然と言えた。
ハイデュテッド本陣の生存者らが事後処理などで慌ただしく動き出す中、ルタはカズキの元へとルフィアらと共に歩み寄った。
だが――カズキは静かに横たわったままだった。
髪にはハイディーンの《空間途絶》の名残か、白いラインが何本か走っている。
「カズキ、起きろ、起きるんじゃ!」
堪えきれず、乱暴にカズキの身体を揺らすルタ。目を覚ませ。とにかくその一心で身体を揺さぶる。
反応は、ない。
ルタの視界が、ぼやけてくる。
しかし――数舜後。
「……痛いよ、ルタ」
カズキの口から小さな声が漏れた。
それは少し大人になったような、落ち着いた声音だった。
聞き慣れなかったが、同時に懐かしさのようなものも感じた。
胸に広がる安堵感に、ルタは思わず脱力する。
「カズキ!」「カズキさん!」「おう、起きたか!」
ルタ以外の面々も、カズキの顔を覗き込むようにして声を上げる。
「…………」
皆が顔を綻ばせている中、カズキは無表情に目を瞬かせているだけだ。失くしたはずの左眼には、いつの間にか鈍い輝きを放つ義眼がはめ込まれていた。
どこか超然とした雰囲気を放つカズキに、皆が一様に少なくない戸惑いを浮かべはじめる。
と。
ぐぎゅるるるるぅぅ。
カズキの腹の虫が、大きく鳴いた。
「……腹、減ったよな」
照れくさそうに、カズキは笑った。
つられて、その場にいる全員が破顔した。
「なにを寝惚けておるのじゃ、小童が!」
ルタは冗談交じりに、再びカズキの身体を再び揺さぶった。
目尻を伝おうとした水分をなかったことにしようと、空いている手で乱暴に目元を拭い、笑う。
カズキが皆に応えるように、また笑う。
「カズキさん……本当によかった」
ルフィアは嗚咽するように顔を泣き濡らし、カズキを困らせた。
場に和やかな空気が流れる中、カズキが一瞬だけ、超然とした、遠くを見据えるような目をした。ルタはそれを見逃さなかった。
もしかしたらまた、強くなったのかもしれんの――ルタは一瞬、怖気すら感じ、自らの弟子とも呼べる存在が、いつか未知の彼方へ行ってしまうのではないかと考えていた。
「ルタ。どうした?」
と。
考え込んでしまっていたルタに、カズキが声をかけてくる。
いつも通りの、穏やかな声だ。
「いや、なんでもない。それより――」
ルタは錯綜する思考を振り払うように、一度ゆるやかにかぶりを振った。
そして、今一番言うべき台詞を、カズキに送った。
「おかえり、カズキ」
「…………ああ、ただいま」
台詞は逆転していたが、奇しくもそれは、いつぞやルタと交わしたやり取りの再現となった。
これは後年になってわかることだが、魂力の拡散によって伝わった情報や事実の中に、カズキたちのことは一切含まれていなかった。
名もなき魂装遣いが起こした奇跡、二つの国を破滅から救った事実は、民衆に語り継がれることはない。
日差しが、カズキたちのいる場所を温かく照らす。
長く暗い夜が、今まさに明けようとしていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




