167 神王の終焉
空間に満ちる魂力が、カズキの呼吸に合わせて踊るように走り出す。
カズキの《魂装の義眼》である左眼には、まるで大地を流星群が覆っていくかのような景色が広がっていた。
全ての魂力が、カズキの意のままだった。
「なんだ、なにが起こっている!?」
先程までハイデュテッドの本陣だった場所には、様々な色、濃度、質感のあらゆる魂力が入り乱れ、半ば異次元と呼べる特異な空間に変化していた。取り残されたハイディーンは、ほとんど呆然自失の体で叫ぶ。
すでにここは、常人が正常を保って存在できるところではなくなっていた。
魂力が語り、踊り、接近する。
人間の矮小な感覚でそこに入ろうものなら、精神が崩壊してしまいかねないような場所になっていた。
「出せ、ここから出せぇ!!」
感情的に叫び、ハイディーンは藻掻くように両手を振り乱した。
「魂装、燃!!」
焦るように魂装を発動させ、白銀の剣と盾を出現させる。半ば身体に抱くように引き寄せ、窮屈そうに身構えた。その姿はまるで、心細い幼子が親の腕にすがりついているように見えた。
「私は、私は神なのだ……選ばれたのだ」
独り言のように呟きを繰り返し、身体を震わせているハイディーン。
その姿はもはや神などではなく、未知の恐怖に怯える一人の人間そのものだった。
「諦めよう、ハイレザー・ハイディーン。君の時代は終わったんだ」
「終わりなどない! 永遠だ、私は永遠なのだっ!!」
「終わりのない命に価値などないよ。それはもう命ではない別の何かだ」
「そうだ、私は命を超越した神、人間の概念をはるかに超える存在なのだッ!!」
グレートソードを振り乱し、ハイディーンは乱暴に主張する。
「……違うだろう? 僕の前では無理をしなくていい。魂力を通じて全て“解る”」
「わかる、だと?」
カズキの声を、ハイディーンは訝しむ。
「君はずっと、誰かに認めてほしかっただけだ。母親に拒絶されたあの日から、ずっとずっと誰かに受け入れてほしかっただけだろう」
紡がれた言葉を認識した途端、ハイディーンの表情が歪んだ。
憎悪、憤怒、殺意――それだけではなく、どこか悲哀と焦燥も入り混じったような、至極人間臭いものだった。
「……違うッ!!」
ハイディーンは今し方の感情を否定するかのように、声の限り叫ぶ。
周囲の魂力が驚いたように揺れた。
「違わないよ。魂力を通して識れてしまうからね。君は自分が唯一この世界で愛していた人に拒絶された苦しみに、ずっと囚われている。君の生き方、行動は全て、人間によくある『深層心理にある自分自身の感情を素直に受け入れられない』という、逃避行動に他ならない。
君はどこまでも愛に飢えていながらその渇きを恥じ、今度はそれを隠す為に自らの能力に陶酔していった。権力を求め盲目になり、神と自称し憧憬と賞賛を集めることで、自らの矮小さから逃れようとしてきたんだ」
「違うッ、違うぅッ!!」
痛烈と表現できる言葉の数々に、ハイディーンは駄々をこねるように白銀の剣を振り回した。しかし、ふらりと上げたカズキの右手によって、魂装武器であるグレートソードはかき消えた。
全ての魂力は思いのまま――圧倒的なカズキの魂装真名の力だった。
「残念だよ。真に力強い魂力は、自分の本当の気持ち、嘘偽りのない本音と向き合うことによって手に入れられる。君がそれに目を向けていられたら……僕らの《魂全統一》にも対抗しうる魂装遣いになれただろうに」
カズキは寂しげに言葉を落とし、震えているハイディーンに向けてもう一度右手を向けた。それはまるで、旅立つ者の背に花束を手向けるかのような仕草に思えた。
「それだけ君には、魂力の才覚があったんだ」
「……魂装、燃! 魂装、燃ィ!」
慟哭して喚くハイディーン。
しかしその両手から、魂装武具が出現することはない。
「魂力に愛された子よ。安らかに」
カズキの声に合わせて、周囲の魂力が空へと舞い上がった。その現象に合わせて、ハイディーンの身体からも魂力が消失していく。
いや、消え去るのは魂力だけではなかった。
ハイディーンの身体から――生気が失われていった。
「ああぁ、あああああぁぁぁぁぁ!!」
若々しい肌艶が失われ、干からび、乾き切っていくハイディーンの肉体。一切の水気が失われ、皮膚は岩肌のような質感へと変化する。
痛々しい悲鳴を上げ続けても、魂力の奔流を止めるには至らない。
「君がこれまでに奪ってきた人の時間、魂力を還るべき大地に還した。君は個体としての本来の寿命を迎える」
上げていた右手を、カズキが下げた。魂力のうねりが止む。
右手は金、銀、銅と変幻自在に色を変える。今度は白、黒、青、青、緑、黄色。
全ての魂力を統べるがゆえ、あらゆる色彩を表現していた。
「あ、が……あ、ぁ…………」
水分が枯渇し切ったハイディーンの身体は、あたかも数千年の時を超えたミイラのような様相を呈していた。
「カズキ……カズキ・トウワ…………」
それでもハイディーンは、最後の魂を燃やす。
引き千切れんばかりの咆哮で、他者の心に言葉を刻み込もうとする。
「絶対にィッ、絶対に蘇りィィ! 私はァお前を殺すぞォォォォッ!!」
その雄叫びを契機として――ハイディーンの身体が崩壊した。
雷鳴に打たれた木々のように張り裂け、ひび割れ、粒子となって中空に雲散霧消していった。
魂力によって保たれていた肉体が、その支えを失って自然に還ったのだろう。
後には、穏やかな静寂だけが残っていた。
――風が、塵芥を運び去る。
その日、ハイデュテッドを超大国へと躍進させた神王、ハイレザー・ハイディーンは死んだ。魔族たちが待ち望んだ勝利を、ようやく手にした瞬間だった。
「……生まれ変わったら、また会おう。ハイレザー・ハイディーン」
カズキの小さな呟きは、誰に聞こえることもなかった。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




