015 決闘③
「がはッ……」
カズキの口元から、血の塊が吐き出される。
身体から、血がどくどくと流れ出ていく。
カズキは片膝を着き、出血している左肩の辺りを魂装の右手で押さえる。
斬られた――流血で瞬く間に形成されていく血痕を見ながら、カズキは全身から汗が噴き出すのを感じていた。
「ち……一撃で終わらせるつもりだったんだがな」
距離を保ったまま、セイキドゥは苦虫を噛み潰したように言う。
右手に握られた両手剣にはカズキのものなのか、赤黒い血が付着している。
カズキは傷を押さえながら、必死に思考を回転させる。
なぜ、剣の射程外なのに斬られた?
刃に血がついているということは、やはりあれで斬られたのか?
これがヤツの《真名》の能力なのか……?
「だがまぁ……どーせ、次で終わりだからな」
カズキの思考がまとまらないうちに、セイキドゥは再び両手で、武器を水平に構える。
再び《魂装真名》の一撃を繰り出そうと、体内の魂力を巨大な両手剣――今は変質して鎌のようになっているが――に流し込んでいく。
カズキはジッと、その様子を観察した。
奴の真名の正体を見極める……!
「攻撃は見えなかった……だが奴は剣を振りかざしていた。
いや、そもそも剣の射程という常識で考えるな……見えず、射程に囚われない斬撃……もし、魂力による斬撃なんだとしたら…………」
――魂力が読めるようになりさえすれば、あるいは。
セイキドゥの一挙手一投足に目を凝らしながら、カズキはぼそぼそと独り言を呟く。
「……魂力が動いてるのはわかるんだ。手元に向かって、全身を熱い血が流れるみたいに流動してるのは強く感じる。でも、そこから先が……わからなくなる。
……そうか、手から離れたときだ。身体から離れると、途端に読むのが難しくなるんだな。……人じゃなくて、空間に集中するんだ。空間に溢れる魂力に、耳を澄ませるんだ。深呼吸するように共鳴しろ……人とじゃない、魂力とだ」
もう少し、もう少しで聞こえそうなんだ――カズキは集中し、目を閉じた。
痛みも、騒ぎも、なにもかも。
雑念すべてを意識から遠ざけ、“ここ”にある魂力にあらゆる感覚を集中しろ――。
聞こえるはずだ――俺にも、魂力の声が。
「喰らえぇぇ! 《空中切断》ッ!!」
セイキドゥの威圧するような叫びのあと、すぐに。
「――ッ!!」
瞬間、カズキは全身の筋肉に力を込め、その場から“跳ねた”。
そして――斬れた。
カズキが立っていた場所が、ぱっくりと“斬られた”ように割けていた。
「ま、まさか…………避けただと!?」
セイキドゥは唾を飛ばして叫ぶ。
顔には驚嘆の色がありありと浮かんでいる。
それもそのはずだった。
セイキドゥの《魂装真名》である『空中切断』は、必殺の遠距離攻撃であり、不可視の刃を標的目掛けて飛ばす強力な斬撃技だ。
見えない刃が、ほぼ音速で標的目掛けて飛んでいくため、人間の反応速度では避けきれるはずがない。万に一つ避けることができるとすれば、見えない斬撃の軌道をあらかじめ予測できる場合に限られる。
従って、一撃目を“耐えた者”は片手で数える程度存在していたが、今回のカズキのように“完全に回避した者”は、これまで一人もいなかった。
当然、セイキドゥはこの技で、幾多の決闘も、戦場でも、あらゆる戦いで武功を上げてきた。
今のセイキドゥを作り上げたものであり、彼にとって、絶対的な技。
そして、プライドそのものだった。
そんな彼にとっての精神的支柱が、今まさに――折れかかっていた。
「うぁ、うああぁぁぁぁぁ!!」
セイキドゥは取り乱し、『空中切断』を連射した。
“不可視のはず”の斬撃が、カズキへ向かって幾重にも放たれる。
しかし――カズキはすべて、躱した。
その動きはまるで、数秒先を見通しているかのようだった。
「あやつのあの動き……まさか……魂力を読むことを、マスターしたとでも言うのか……?
この、戦いの中で……っ!?」
慄いていたのは、セイキドゥだけではなかった。
戦況を言葉少なに見守っていたルタも、目を見開き震えている。
おそろしい――カズキの成長の早さに、愕然としていた。
「もう、大丈夫だ……聞こえる」
カズキは独り言ち、斬撃を避けながらセイキドゥとの距離を詰める。
セイキドゥはもはや阿鼻叫喚の形相で、魂装を闇雲に振り回しているだけだった。
「ああああぁぁ! っ、あ、あぁ……?」
と。
何度目かの《空中切断》のあと、セイキドゥの身体が唐突に頽れる。
真名は本来、一撃必殺と言える技である。
その分、魂力の消費量も膨大だ。
ゆえに、取り乱して真名を乱発したセイキドゥの魂力は、底をついてしまったのだった。
魂力は、生命の息吹そのものだ。
無くなれば、立っていられなくなるのは自明だった。
情けなく両膝をつき、両手剣を杖のようにしてなんとか上半身を起こしているセイキドゥの前に、カズキは立ちはだかった。自分の右手を切り捨てた、憎むべき復讐の相手は、手を伸ばせば届く距離で顔を歪めていた。
カズキの右手は、穏やかに明滅を繰り返している。
もはやセイキドゥの魂装武器は、鎌のような威容から、元の両手剣の大きさに戻っていた。
死神の鎌のように仰々しかった反動からか、現在の両手剣の見た目はどことなく萎んだように見え、小さくなってしまったように感じられた。
「……無様だな」
カズキは端的に言う。
「……こ……ろ……さな…………っ」
セイキドゥは、声を発することすらままならない。
剣を支えに身体を起こし、ぶるぶると全身を震わせる様は、あたかも生まれたばかりの草食動物のようだった。
カズキは右手を日本刀の形に変え、振り上げる。
陽光が反射して、白刃が煌めいた。
「ひっ…………たの、……む…………!!」
セイキドゥの瞳孔が開く。
身震いに合わせて、華美な鎧がガタガタと音を立てる。
「無能な人間の叫びを――――思い知れ!」
カズキが右手を、振り降ろす。
固唾を呑んで見守っていた群衆から、短い悲鳴が漏れる。
魂力の不足で、命乞いすら叶わなかった王国最強の魂装遣い。
彼の顔は、涙と涎と鼻水で、卑しく汚れていた。
――ガシャ。
倒れたのは、セイキドゥ……ではなく、彼の魂装武器だった。
カズキの手刀により一刀両断された刀身が、力なく折れ、地面に横たわっていた。
剣を杖代わりにしていたセイキドゥも、後を追うように、どさりと倒れ込んだ。
魂装武器を完全に破壊される――それは魂装遣いにとっての、完全な敗北を意味していた。
「はっ……はっ……」
地面に這いつくばったセイキドゥの荒い呼吸音が、静まり返った空間に響いてる。
観客も誰一人、声を発する者はいない。
両手剣の残骸が音もなく、粒子となって大気中に消えていく。
「……次に俺の視界に入ったら…………殺す」
カズキは言い、右手を“元の形”に戻し、手袋をはめた。
それを合図として。
「勝者――カズキ・トウワ!」
審判役の男が、声高に勝者の名前を叫んだ。
続いて、群衆のどよめきが起こる。
悲鳴、叫喚、咆哮――それらが綯い交ぜになったような、音の濁流だった。
「……よくやったな」
人々の騒ぎの端で、ルタは遠目にカズキを見ながら、労いの言葉をかける。
それは周囲の騒音にかき消され、カズキの耳に届くことはなかった。
しかし同時に、カズキもルタのことを目で探していた。
そして見つけ、目を合わせ、頷きあう。
そうすることで、互いに勝利を労い合った。
カズキは見事、雪辱を果たすことに成功した。
空は青く、晴れ渡っていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




