139 手も足も出ない?
カズキの腹部から、どろりとした血液が垂れ落ちる。痛みに顔を歪め、カズキは思わず膝を着いた。
一瞬の出来事だった。
ハイディーンが時間を停止させ、その間に刃を振るわれた。下腹部の痛みが、カズキの意識を遠のかせる。
「はぁ……はぁ……クソッ」
霞む視界の中、カズキは必死にハイディーンを睨みつける。友の仇敵は、残り火の中で舞い踊るかのように、優雅に両手を広げている。
「腹を刺し貫いた。もはや助かるまい」
ほくそ笑むように呟かれた言葉に、カズキは内心で反論する。
――少しだけ、見えたぞ。
そう、理由はわからないが、この腹を貫く瞬間のハイレザーを、カズキは一瞬“感じ取っていた”。
本来時間を停止させられ、手も足も出ないはずなのに、だ。
だからと言って、防御ができるわけでも反撃ができるわけでもないが、しかし確かに、ヤツの攻撃を知覚し、仕掛けてくるということが理解できた。
もしかしたら……特訓の成果、なのかもしれない。
カズキはルタのへの感謝を思い出し、再度勢いを取り戻してきている炎へと意識を向けた。
「……しぶとい男だ。さも害虫のようだ」
鋭く眼光を飛ばすカズキに気づいたハイディーンが、不愉快そうに吐き捨てる。
カズキは、血に濡れた唇を歪め、笑った。
「言われ慣れてるよ、それ。どいつもこいつも、語彙力ないのな」
「…………っ」
ハイディーンの額に、青筋が浮かぶ。馬鹿にされることが我慢ならないようだ。
カズキは挑発をしながら、高速に頭を回転させ続ける。
ヤツの攻撃が見えたとしても、このままでは結末は同じだ。むざむざ殺されるだけでは、ルタを救うこともエルドラークの仇を取ることもできない。
痛みと戦いながら、ハイディーンと戦うための策を絞りだそうと試みる。
「フゥ……」
一つ、息を吐く。
どうやら呪停無の効果も切れたらしく、体内での魂力の循環も可能となっている。
急速に魂装手術を行い腹を縫合する。痛みが幾分かマシになる。
なんとか、反撃の糸口を。
カズキは必死に、頭を回転させ続けた。
しかし。
「目障りだ」
「あ……」
再び、カズキの腹を剣が貫いた。
カズキは立ち膝でいることも叶わなくなり、前のめりに倒れる。倒れた場所からジクジクと血だまりができていく。
「もう立ってもいられないようだな。害虫に相応しい格好だ」
言いながらハイディーンは、這いつくばったカズキを見下ろすように周囲を巡る。コツ、コツと一定のリズムで続く靴音を不快に感じながら、カズキの意識は朦朧としはじめていた。
――二回目も、見えた。もう少しのはずなんだ。なのに……っ。
やけに全身が冷たい気がする。悪寒が駆け巡り、呼吸を辛くする。
それなのに、腹部だけはドクドクと熱く脈打っている。
血が、流れ過ぎているのだろうか。
カズキの思考は混濁しはじめ、音も遠くなってきていた。魂装手術も、間に合わない。
「こうなれば、時間を止める必要もない。潔く、逝け」
祈るように両手で剣を握ったハイディーンが、カズキの身体の上で白刃をきらめかせる。その刃が、カズキの心臓を貫かんと振り下ろされた。
死ぬ、のか。
カズキの無念が、意識の中でわだかまった時。
――仕方ない。少しだけ、肉体を借りるよ――
誰にも聞こえない声が、カズキの脳内で響いて、弾けた。
「ッ?」
瞬間、ハイディーンの持っていた魂装の剣が、光の粒子になって消え失せる。
突然の理解不能な状況に、さすがのハイディーンも思考が追い付かない様子だ。
「…………ふぅ、空気が少し、変わったね」
「……なに?」
カズキが呟きながら、むくりと起き上がる。肉体から放たれる妙な違和感に、ハイディーンの表情が歪む。
――誰だ?
「さぁ、魂力の子らよ。身体が慣れるまで少し――遊ぼう」
立ち上がったカズキの言葉に、大地が、大気が、空が。
全てが、共鳴するように震えていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




