134 炎の壁
「世界、火葬」
ルタの口からささやかれた真の名――魂装真名が発動する。
小柄で白いルタの身体全体から、焼けつくような猛火が溢れ出る。炎はまるで生き物のようにのたうち、飛び跳ね、辺り一面に広がっていく。
「す、すごい……」
瞬く間に燃え広がる炎を視界に捉えながら、カズキはただただ驚嘆していた。ルタがすでに魂装真名をマスターしていたことや、その力の強大さに。
首を回して視野を広げると、目に飛び込んでくるのは火、火、火。
無限とも思えるその灼熱の赤い焔に、カズキはルタの持つ魂力の荒々しさを感じ取っていた。
さらに見ると、ルタから生まれ出た炎はハイディーンの周囲を完全に取り囲んでいた。
熱波にハイディーンが顔を歪めているのが、カズキの位置からでもわかった。
「ハイレザー・ハイディーンよ。身動きが取れるならものなら取ってみせよ。生身の身体で突破できるほど、わしの炎は甘くはないぞ」
「小癪な……」
「貴様の時間停止能力は確かに強力じゃ。しかし、使用者が生身である限り、こうして炎で取り囲んでしまえば身動きは取れまい。さぁ、我慢比べといこうではないか」
挑発的に、ルタはハイディーンに言い渡す。
カズキはルタの言葉を聞き、その狙いを察する。ルタは自らの炎でハイディーンの周囲を完全に取り囲み、時間停止能力を無効化するのが狙いだった。
いくらハイディーンが時間を操る神に等しい能力を持っているとは言え、身体は生身の人間である。触れれば即、肉を焼け焦がす超高温の炎に囲まれてしまっては、その場から容易に動くことはできなくなる。できることと言えば、時間停止させて迫る炎を押し留めておくことぐらいだ。
そうなれば、炎の延焼を食い止めておく以外にはなにもできない状態となる。
無理に動けば炎に飲まれ、動かなければ状況は変わらない。
だからこそルタは『我慢比べ』と言い放ったのだろう。
「貴様ら……またもこの私を愚弄するか!」
炎の中、感情的に叫ぶハイディーン。すでにその四方では火柱が高く上がっている。状況はすでに決していた。
ハイディーンの怒りをルタは意に介する様子はない。その間にも火の勢いは増し、どんどん周囲の温度が上昇していった。
「今のうちに逃げい、カズキ」
炎の壁でハイディーンの姿が不可視となったタイミングで、カズキに向かってルタが言った。
「ルタだけここに残るのか? それは――」
「聞けい。今はあくまでもヤツの動きを封じただけじゃ。ヤツがこのまま炎に飲まれるような馬鹿ならそれで終いじゃが、そうもいかんじゃろう。時間を停止させ、膠着した事態をどう動かすか考えるはずじゃ。なればこそ今のうちに、カズキはルフィアらと合流して次の策を練れ」
ルタは冷静に、しかし強硬さを持った声音でカズキに言い聞かせる。
「ここで二人で粘る意味はない。なればこそカズキ、おぬしは早く皆に状況を知らせるべきじゃ。さもないと、また悲劇を繰り返すことになるぞ」
「……わかった」
悲劇を繰り返す、と言われてしまえば、今のカズキに拒否する理由は最早なかった。
態勢を素早く整え、炎上する場から退避した。
去っていくカズキの背を、ルタはどこか儚げに見つめていた。
「……さらばじゃ、カズキ。あとは頼むぞ」
その呟きが、カズキに届くことはなかった。
† † † †
自分の身体が、どんどん炎に飲み込まれていく。
いや、自らが炎そのものになっていく、という形容の方が正しい。
熱くはない。むしろどこか幸福感のような、妙な感覚が全身を包んでいる。
「さぁて、わしもどこまで持つかの」
ルタは目の前の踊り狂う炎を見つめながら、独り言ちる。
すでにハイディーンの姿は炎の壁によって隠され、ルタの位置からでは状況を確認することはできなくなっていた。
このまま燃え尽きてしまっていればいいが――そんな淡い期待を、ルタは頭の隅で考えた。
「……わしがいつまでわしのままでいられるかわからぬのでな。ヤツの力もせいぜい、現にとどまるために利用させてもらうとしようかの」
ルタは炎の中、泰然自若とした態度で呟くようにこぼした。
炎の向こう、ハイディーンは動かない。いや、ルタの視界の中に動きがないというだけで、ハイディーンはおそらく魂装真名を発動させ、迫りくる炎を停止させていることだろう。
我慢比べだ――ルタは改めて気合を入れ、目を閉じた。
全身が徐々に炎へと至っていく、妙な高揚感に身を浸しながら。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




