012 ハンズロストックの関所にて
『星の声を聞く民』である老人の指示に従い、カズキとルタは山を下り、亜人の国フェノンフェーンに向かって進みはじめた。
老人の家から数日、野宿をし歩き続け、周囲の景色はだいぶ様変わりしていた。
のどかな田園風景に家々が点在し、所々が小高い丘となっている丘陵地帯には、真っ直ぐ丘の間を貫くように、一本道がどこまでも続いていた。
二人はその道を、ただひたすらなぞって歩いていた。
一際小高い丘を越えた先で、大きく横に伸びている城壁が目に入る。
道は、その城壁の出入り口であろう門のような建造物に続いていた。
建物は二股に別れた形状をしており、空いた真ん中に、両開きの木製扉がはまっている。
通行を求めているのか、入り口へ向けてかなりの人だかりができていた。
ルタがおもむろに懐から地図を取り出すと、「あれが関所のようじゃな」と確認の声をあげる。
カズキとルタはようやく、ハンズロストックの関所に到着した。
「あれを通らねばならんというわけじゃな」
遠目に様子を伺っているルタが、腕を組んで言う。
「俺らも列に並ぼうぜ。許可証は持ってるわけだし」
老人から譲り受けた許可証が、カズキの背負う荷袋に入っている。
それを使えば、難なく関所を通ることができるはずだった。
が。
「そう急くな。わしは無益に人と接触するわけにもいかんのじゃ」
ルタは少し語気を強めて言い、歩みを止める。
「ご、ごめんて……」
いきなり怒られて、カズキはしゅんとなる。
「とは言ったものの。さて、どうしたものか……」
ルタはどう目立たず通り抜けるかを考えている様子だった。
フードを深くかぶり直し、思案している。
「ん……? うぬ、あれを見てみろ」
関所の方を観察していたルタが、ふと訝しむような声を上げる。
「なんだよ?」
ルタが指さした方向を、カズキも目を凝らして見つめる。
見ると、通行を求める人々とは別に、人の群ができていた。
「この距離じゃ確認できん。少し寄るぞ」
「大丈夫か? 俺が行こうか?」
カズキはひとまず自分だけで偵察しようかと提案する。
「ふむ……いや、わしも行こう。ここで手をこまねいておっても仕方あるまい、近づけるだけ近づいてみようではないか。
いずれにしろ、どこかで人里には降りねばならんじゃろうての。今のうちに二人での動き方を練習しておくとしよう」
なにかを閃いたかのように、ルタは美しい形の顎をさすりながら言った。
「わしが謎めいた高貴な美女、うぬがその奴隷……じゃなく従者という設定でいこう」
「奴隷っつったか今?」
「ぬふふ、ほれ行くぞ」
「まったく……」
何事もなかったように笑いながら、すたすたと丘を下っていくルタの背中に、カズキはツッコミを入れる。
丘を降り関所に近づくと、遠巻きに眺めるよりも人の圧力があった。
人だかりの最後尾で、カズキとルタは人々の会話に耳を澄ませる。
「あーもー、ここからじゃよく見えないな」
二人の前、中肉中背の男がもどかしそうに言う。
「ジプロニカ本国から、お偉いさんが来てるんだろ?」
男の隣に立つ、同じような背丈の男が、興味津々といった様子でたずねる。
「ああ。王の新しい近衛兵長の、お披露目式だとさ。ほら、あの鬼ほど強い魂装遣い様だよ。一度コロシアムに闘技会を見に行ったじゃないか」
「あぁ、あのときの魂装遣い様か! あの試合から一気に出世街道を駆け上がったって話だろ?」
「そうそう。一介の剣闘士から、今や王直属の近衛兵長だなんて、大出世だよな」
「そら、出世魚ならぬ出世魂装遣い様だな! あやかるためにも、ぜひご尊顔を拝んでおきたいもんだ! ほら、どいたどいた!」
「はは、お前はそういうときばっかり調子がいいなぁ」
男たちは顔を見合わせ、笑いあっていた。
目の前の和やかなムードを無視して、カズキの耳にはある一つのワードだけが、何度も何度も反芻していた。
――強い魂装遣い。
カズキの心内で、燻るものがあった。
もしかしたら……。
カズキは努めて平静を装い、ルタに耳打ちする。
「ジプロニカ本国から、魂装遣いが来ているらしい」
「わかっておる……うぬの右手を飛ばした者かもしれんの」
カズキが耳打ちするまでもなく、ルタは話を把握している様子だった。
そして、顎に手を当てて考え込んでいる。
「あ、見えたぞ!!」
男らの声に合わせて、人垣の向こうへと視線を向ける。
眼の先には、一際豪奢で派手な一団があった。
金銀の装飾を施された馬車、実用性度外視の華美なフルプレートに身を包んだ騎士風の者や、御旗を持ち着飾った従者たち。
どうやら、パレードのような催しが行わているようだった。
「もし、“奴”がいたら――」
その先に続く言葉は、カズキ自身が発することをためらった。
どす黒い感情で、心が染まっていく感じがする。
「ふむ……なんにせよ、もう少し状況を探る必要があるな。どれ、行くぞ」
ルタはカズキの心中を知ってか知らずか、小さい身体を活かして人ごみをかき分け、ずんずんと人垣の中心部へと進んでいく。
カズキはルタを一人にしてはいけないという感情と、パレードに近づきすぎては自分を押さえられないかもしれない……という二つの感情で板挟みになり、足取りが重くなった。
しかし、確かめなければいけないという確信めいた気持ちに突き動かされ、一歩一歩ゆっくりと、人々の隙間を縫うようにして進んでいった。
最前列近くまで進んでいたルタの背を見つけ、隣に並んだ――その瞬間。
通り沿いに陣取る人垣の向こうに。
見つけた。
忘れられるはずもない、その顔を。
「――いた」
カズキの肩が、一度大きく震える。
ジプロニカ最強の、魂装遣い。
セイキドゥ・ドゥークが、豪奢な馬車に乗り、群がる民衆へ向けて手を振っていた。
白髪交じりの長く伸びた頭髪は、コロシアムのときとは違い、後ろで括られている。
だが無精ひげは残っており、上品な衣服で着飾っていても、本人の気だるげな雰囲気を隠すまでには至っていない。
「…………」
「うぬよ」
「…………ん?」
「冷静になれ」
「……っ」
ルタの諭すような声に、カズキはハッとさせられる。
無意識に唇を噛んでいたせいか、口の端が切れてしまっており、口中に血の味がした。
「ここで無闇矢鱈に暴れでもしたら、関所を通ることはかなわんじゃろう。抑えろ」
言うとルタは、その白い手を伸ばしカズキの右手首の辺りに添えた。
手袋の上から、ルタはカズキの右手を撫でる。
震えていた右拳が、その動きに合わせて静まる。
「……ありがとう」
「うむ」
言い終わったあとも、ルタは少しの間、カズキの仮初の右手を撫でてくれていた。手袋越しでも、その温もりは伝わった。
そうしてカズキは、身の内から湧き出るどす黒い衝動を、なんとか押しとどめる。
「しかし、じゃ。あやつをこのまま素通りさせるのも、また癪じゃ」
「……癪?」
「叡智を極めしこのわしともあろう者が、自分のボディガードをコケにされたまま、黙っていられるわけがなかろう」
ルタの口元が、フードの隙間からちらりと覗く。
その唇が――吊り上がっていた。
「あれを見てみぃ」
「…………?」
ルタの意図がわからないまま、カズキはルタが示した先へと視線を向かわせた。
見ると――関所の脇、開けた場所にて、騎士と騎士の決闘らしきものが行われていた。
それを観戦しながら、金を賭けている連中もたむろしている。
「ぬっふっふ……うぬも奴に、決闘を申し込むのじゃ」
フードを被ったまま、ルタが少しだけ顔を上向きにして、笑う。
彼女の獰猛な笑みが、炸裂した。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




