126 雨雲の下で
雨粒が荒涼とした大地に、ゆっくりとしみ込んでいく。
エルドラークを失ったカズキたちはその場から動けず、深い悲しみに包まれていた。
カズキ自身はとにかく自分を責めた。
相手の力量や内面を推し量らぬまま、敵対している者を自分たちのテリトリーに招き入れることの危険さや重大さを、身をもって痛感していた。全身に残る深い切傷だけでなく、心にも傷跡が残ってしまっていた。
そして強く気高かったアルアが、ずっと泣き腫らしていた。エルドラークの亡骸に縋りつき、一切顔を上げることなく嗚咽を繰り返すばかりだった。
さらにエルドラークを恨んでいたはずのルタまで、沈痛の表情を浮かべていた。怒りや恨みを向けられる相手がいるということは、ある意味では幸福なことなのかもしれないと、ルタは一人呟いていた。
そんな中、ルフィアだけは気丈に、懸命に、シャックの治癒を行っていた。
いつもならば、一番に涙を流すであろう情に厚いルフィアが、自らの今できることを必死に行い、暗い気持ちに飲み込まれることなく前を向こうとしていた。
「分断の壁は落ちたぞ」
小雨が地を叩く音の中に、岩石同士を擦り合わせたようなドスの利いた声が混じる。聞き覚えのあるその声音に、カズキがゆっくりと顔を上げる。
目線の先にいたのは、有力魔族の一人ガルカザン・カザスタヌフだった。
どうやら、瞬間転移の魂装道具の移動先が、カザスタヌフの領地に設定されていたようだ。
「……カザスタヌフ」
「エルドラークは、死んだのか?」
カザスタヌフの問いに、誰も答えることができない。
それは皆、彼がいなくなってしまったということを受け入れたくないという感情の現れだった。
「野郎、俺がぶっ飛ばす前にトンズラしやがって……タダじゃおかねぇ」
カザスタヌフは苦々しく言い、首を回し、肩を回し、拳を鳴らす。
戦闘前のルーティーンをこなすようなカザスタヌフは、まるでこれからエルドラークと決闘でもするかのように見えた。
ずんずんと、巨体を揺らしてエルドラークの元まで歩み進む。
「どけ」
「…………」
近づくと、亡骸に縋りつくアルアを押し退ける。そしてエルドラークの身体を抱きかかえる。
「……やめて。連れて、いかないで」
アルアが、カザスタヌフの足に取りすがる。
が。
「うるせえ! まだ生きてる仲間がいるってのに、いつまでもメソメソしてんじゃねぇぇ!!」
「……ッ」
カザスタヌフの怒号に、ルフィア以外のメンバーが肩を震わせる。
自覚のあったカズキは、唇を噛むことしかできなかった。
「銀の嬢ちゃんを見習えや、馬鹿どもが。エルドラークがこんな湿っぽいのを、喜ぶとでも思うのか? 悲しむなとは言わねーがな、いつまでもこのまま下向いてるってんなら、俺がエルドラークに変わってテメェらのケツをぶっ叩く」
頭のたてがみを揺らしながら、カザスタヌフが吼える。その場にいる全員が、歯を食いしばった。
「……あと、はやく弔ってやらねーといけねーだろ」
その巨大な体躯に似合わず、小さく呟かれた台詞は、どこか寂しげにカズキの耳に届いてきた。
小雨は静かに、降り続いていた。
† † † †
地に埋まったエルドラークへ向けて、カズキらは手を合わせ祈った。ルフィアの懸命な治療によって、シャックは一命をとりとめていた。だがまだ意識は戻ってきていない。今はカザスタヌフの根城で寝かされていた。
アルアが言うには、エルドラークは千五百年以上の時を生きていたらしい。
元々魔族は長命な種族だが、黎明期から存命であるがゆえ、彼は王になることになったそうだ。人望――魔族であるためこの言葉があっているかはわからないが――があり、適度なユーモアがあり、何よりも頼りがいのある存在として君臨していた。
魔族という種を誰よりも体現していた、まさに種族の頂点に相応しい者――それが、エドワルド・エルドラークだった。
アルアの瞳に、再び涙が溜まっていく。
しかし、誰も彼女に言葉をかけることはできなかった。皆がそれぞれ、同じような悲しみを感じていたからだ。ただその分、その場には一つの団結が生まれていた。
ハイレザー・ハイディーンを、必ず討つ。
王を奪われた魔族たちは、今こそが本当に立ち上がるべき時だと強く感じていた。それをカズキたちも感じ取り、全身の細胞が共鳴するように波立つ。カズキは未だ身体中が打撲や深い切創などで痛んでいたが、それでも揺るぎのない気持ちを腹に据えていた。
絶対に、ハイディーンをこの手で――エルドラークと交わした約束を守るため、カズキは真の鬼になることを誓った。
「……いつまでも喪に服してもいられない。俺んとこに入ってきた情報だと、すでにハイデュテッドの軍勢はデーモニアの上半分の領土を占領したって話だ。いつここまで進撃してくるかわからねぇ」
いち早く面を上げたカザスタヌフが、熊以上の巨体を揺らして重々しく言った。
「怒涛、といって差し支えない速度の侵攻じゃな……あの壁からここまで来るのに、通常ならどのくらいかかるのじゃ?」
ルタも続いて顔を上げ、カザスタヌフに疑問をぶつける。
「俺が支配してるこの辺りは、地理的に言えば『分断の壁』の正反対に位置してる。ハイデュテッドの奴等がいくら速足だろうと、三日はかかるはずだぜ」
「ふむ…………それでも三日か」
態勢を整える猶予はあと三日――それを長いと捉えることは、今のカズキたちには不可能だった。なにせ相手は、時間を操る化物、ハイレザー・ハイディーンである。彼が相手では、三日という時間はあまりにも短かった。
「だけど、何もしないわけには、いかないだろ。俺は――」
――ヤツを倒すために、強くなる。今以上に、強く。もっともっと、強く……カズキは心の中で、何度も何度も何度も念じた。
これは願いでは、ない。
言うなれば、全うすべき責務だ。願いなどという、淡いものではない。
必ず、成す。
カズキは一人、痛みすら忘れさせるほどの強い意志で、己の行く末を決した。
強く握った拳から、血が流れる。
雨と血が混じり、大地へと染み入っていった。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




