124 抗いようのない敗北
「逃げろぉぉぉぉっ!!」
カズキは喉を引き裂かんばかりの威勢で、声を張り上げる。
時間を自在に操ることができるハイレザー・ハイディーンが自由となった現状、この場にいる者たちが取れる手段は限られている。
いや……“限られている”などという言い方は相応しくない。
ハイディーンの魔の手から逃れる方法は――ない。
「はは、殊勝なことだ」
「ぐ、がは……っ」「エド!!」
エルドラークの腹に突き刺した魂装武器を手首を使って回転させながら、ハイディーンは笑みを浮かべる。腹を抉られる痛みに耐えかね、エルドラークは膝を着く。隣のアルアが、慌ててその身を受け止める。真っ赤な血が大会議室の床を染め上げていった。
「ハイディーン貴様ぁぁぁぁぁ!!」
「やめておけ。“時間の無駄”だ」
エルドラークの状態を即座に察知したシャックが、怒声を上げてハイディーンへと接敵する。しかし、瞬きのあと――ハイディーン以外は誰も目視できぬ数舜に――シャックは全身を切り裂かれた姿となっていた。体中に切傷が走り、四肢が完全に血濡れていた。
「な、に……?」
自分になにが起こったのかを理解できぬまま、シャックは血だまりの上に倒れ伏す。
続けざまの無残な出来事に、アルアも事態が飲み込めないのか、目を見開いたまま震えている。
「あぁ、なんと美しい戦い様か……これが神王、ハイレザー・ハイディーン様のお力」
ハイディーンの右腕であるダンストップ・オールドマンが、感嘆に打ち震えた表情で呟く。その隣では同じような顔で、アビゲイル・ツィーゲルも陶酔していた。
「くそぉぉぉぉ!!」
敵からの攻撃を認識すらできないまま、エルドラークらが蹂躙されていくのに耐えかねたカズキが叫び声を上げる。怒りを全身から発散しながら、ハイディーンへと突進する。
しかし。
「吼えるな。鬱陶しい」
「が、あ……?」
踏み込んだはずの足が、なぜか力が入らぬまま膝から折れる。カズキの自覚が追い付く頃には、全身から血が噴き出て身動きが取れなくなっていた。
「ぐ、があぁ!?」
倒れ伏したカズキを、全身の痛みが襲う。ハイディーンが止めた時の中で、カズキの身体を思うまま痛めつけていたのだった。打撲、切創などが一瞬でカズキの身体に刻み込まれていた。
止まった時の中で、ハイディーンはこの場の者たちを蹂躙していく。
「魂装――燃ッ!」
ようやく状況が飲み込めたのか、アルアが魂装を発動させる。長大な鞭が手元に現れ、すぐに臨戦態勢となる。傍らに横たえたエルドラークが、苦しそうに呻いていた。
「ハイディーン! 交渉は決裂よっ! ここで死になさい!!」
デーモニアの重臣の一人として、アルアは叫ぶ。
エルドラークとシャックが倒れ伏した今、自分が国を守らなければ魔族そのものが終わる。能力不明で底知れぬ恐怖を与え続けるハイディーンに向けて、アルアは自らの魂装武器を振り上げる。
「魂装真名――呪停無!!」
鋭く振られた鞭が、目にも止まらぬ速さでハイディーンの喉元へ伸びていく。
もらった――アルアは自らの一撃に、心内で勝利を確信する。
だが。
「……なっ、なぜ!?」
次の瞬間には、アルアの魂装武器はハイディーンの手に握られていた。
「この私に、貴様ら愚民の攻撃が届くと思うな」
ほくそ笑むハイディーンに対して、アルアは臍を噛む。
だがそれでも、アルアは戦う意志を折ることはない。
「攻撃は当たらなかった……けど! くらえ!!」
「……っ!?」
アルアが再び叫ぶ。
鞭の先を掴んでいたハイディーンが、自らの身体に起きた異変を感じとる。
全身の激痛に耐えながら戦況を観察していたカズキは、“魂装の義眼”によってアルアの魂装真名の能力を理解する。
アルアの手元から伸びた彼女の鞭が、触れている箇所の全ての魂力が脈動をやめ、完全に停止していたのだ。
「魔族の牝が……!」
魂力を停止させられたハイディーンが、忌々しそうにアルアを睨む。
「来て! 呪停無の効果は永遠じゃない!!」
アルアの呼びかけが意図するところを理解し、即座に反応するルタとルフィア。それぞれがカズキ、シャックを抱えてアルアの側へと接近する。アルアは魂装武器を引っ込めると、足元に横たえていたエルドラークをその胸に抱いた。
「飛ぶわよ!!」「やれい!」「ええ!」
アルアが素早い動きで、懐から瞬間転送の魂装道具を取り出した。間髪入れずにそれを掲げて使用する。
激しい発光のあと――その場から、カズキらと魔族、六名の姿が消え失せた。
命からがら、カズキたちはハイディーンの魔の手から逃げおおせたのだった。
「……ふん、まぁいい。いくぞ」
「「はっ、神王様」」
大会議室に残されたハイディーンは、さしたる焦りもなく歩き出す。オールドマンとツィーゲルを従え、分断の壁を我が物とするべく会議室を出る。
その日はじめて、分断の壁は武力による突破を許したのだった。
魔族たちの安寧が、脅かされようとしていた。
貴重なお時間をこの作品に使ってくださり、ありがとうございます。




