2. 人、孤独の目覚め
人は孤独だ。
誰かと接すれば接するほど、その思いは強くなる。
朝、目覚めた時。
空がとても青かった時。
耳鳴りがするほどの静寂に包まれたとき。
人は一層孤独を感じる。
ああ、僕は孤独だ。
「兄さん!」
突然、教室のドアが開け放たれ、妹が息を切らせながら駆け込んできた。
騒々しいことだ。
孤独を楽しんでいた僕の情緒というものを、不躾にも塗りつぶしていく。
これだから妹というものは煩わしいのだ。
「ごふっ」
殴られた。
「なぜ兄さんはここにいるの?」
「なぜ僕は殴られたのだ、妹よ」
だが、僕の問いには答える気がないようだ。
「ああ、僕はとうとう存在を否定されてしまったのか。なぜ僕がここにいるのか? 僕がここにいるのに何の問題があるのだろうか。ああ、孤独だ。僕はあまりにも孤独だ」
「話が長い」
おう……。
突き刺さるようなボディーブローは止めてくれ。
もう世界を狙えるんじゃないか。
「もう一度聞くけど、なぜ兄さんはここにいるの?」
「それが世界を狙うより重要な……わかった。妹よ。言葉より先に拳を握りしめるのはやめよう。話合えば解り合えるはずだ。いや本当に、お願いします」
「それで」
「それで?」
「なぜ」
「なぜ?」
「兄さんはここにいるの?」
……我思う故に我あり。
なぜここにいるのかという哲学的な問いに対して、僕はどう応えればいいのだろうか。
そうか。
「平日だから?」
「はぁ」
妹が盛大に溜息を付いた。
「まて、妹よ。平日に僕が教室にいることに何の問題がある?」
「兄さんは、この状況を見て何とも思わないの?」
妹の視線に合わせて僕は周囲を見る。
「いつもと変わらない教室だが? あ、もしかして教室を間違えているか?」
それは恥ずかしい。
僕は慌てて廊下に出て確認するが、『2-B』とある。
「あっているぞ」
「そうね、ここは兄さんの教室よ」
「なら何の問題も無い」
「ところで、今日は平日よね」
「ああ、そうだ。祝日でも無い月曜日は平日……あ、そうか。今日は振替休日か何かだったのか」
どうりで。
「だったら私はここにいないわ」
違うのか。
「それで兄さん、もう一度だけ聞くわ。この状況を見て何とも思わないの?」
「そうだな。もう授業が始まる時間だというのに僕以外が遅刻ということを除けば、特に変わった事は無いのだが」
「それよ」
「どれだ?」
「なぜ授業が始まっているのに、兄さんしかここにいないの?」
「それは僕が孤独だか、ま、待て、般若みたいな顔になっているぞ」
全く嘆かわしい。
チェンジでお願いしたい。
「兄さんが脳内でとてもムカつくことを考えているのが伝わってきたけど、時間が無いからあとでいいわ」
「あとで何をするつもりだ」
「話を進めるけど、兄さん、生徒が35名のクラスで兄さん以外の34名と担任の先生が遅刻するような事態に疑問を感じないの?」
「疑問を抱くも何も目の前の事実を前に、頭でっかちな理屈は無意味だろう」
「せめて遅刻以外の理由を思いつかない?」
遅刻以外の理由?
なんだ?
まさか、アブダクション?
「むしろ兄さんが宇宙人に連れられて改造されているという方が納得出来るわ」
「その可能性は否定しない」
「そうね。確か幼い頃の薄らとした記憶に、手足が細い小さな人達と手を繋いで歩き去って行く兄さんの思い出があるわ」
「ちっ、記憶を消しそこなっているじゃないか。約束と違う」
「ワレハヤクソクヲマモッタ」
「ちょっと待って、兄さん。今の誰の声?」
「忘れろ」
「ワスレロ」
よし。
「話を進めるけど、兄さん、生徒が35名のクラスで兄さん以外の34名と担任の先生が遅刻するような事態に疑問を感じないの?」
妹が若干不安そうな表情を浮かべながら聞いてきた。
よし、真剣に考えるか。
僕だけが教室にいる。
クラスメート34名と……待て、うちのクラスに34名も人類がいたのか?
「その自分が人類ではないみたいな言い方、痛いと思う」
「そうだ。僕は人類以上の存在なのだ」
「以上ということは、兄≧人類だから、人類であるとも言えるわね」
「成長したな、妹よ」
身体はまだまだ子供……ひっ。
「コロスワヨ」
「コロサナイデクダサイ」
今のは僕が悪い。
「それで、疑問は感じないの?」
「特に」
「感じて」
「感じます」
そうだ、感じよう。
心穏やかに。
静かに。
僕の奥に眠っている孤独の蓋を閉じて。
「わかった」
「よかった、やっとわかってくれたのね」
「学級閉鎖だ……うわっ」
咄嗟に下げた頭の上を妹のハイキックが通り過ぎていく。
チラリと何かが見えた気もしないでもないが、妹なのでノーカウント。
「殺しに来たな」
「ここまで費やした文字数、そして進まない話。さすがにイラッとくるわ」
「そうか、世の中には性的表現の擬音で数ページ稼いだライトノベル作家がいるらしいぞ」
「マジで?」
「マジで」
これ以上はやめよう。
鍋で煮込まれてしまう。
この間はモブキャラの一員として殺されたし。
「話を進めて」
「はい」
しかし、わからないのだ。
朝、教室に来たら誰もいない。
いつまで経っても誰も来ない。
やっと来たかと思えば、学年の違う妹だ。
「僕、もう卒業……はしていないよな」
妹の視線で自分の考えを否定する。
「だめだ。ギブアップ。答えを教えてくれ」
「今日から修学旅行だったでしょ」
「なるほど」
解ってみれば簡単なことだ。
それならば誰も教室には来ないことに納得は出来る。
「集合場所に来ないからお母さんに連絡がいったの」
「そりゃそうだろう、保護者だし」
「お母さんは、集合時間に間に合うように家を出たと答えたわ」
「そうか。いつもよりも早く目が覚めたのはそういう理由だったのだな」
「それに荷物も持ってでたわ」
「ああ、何だかいつもより荷物が多い気がしてはいた」
「昨日の夜、兄さんは楽しそうに荷物を詰めていたでしょ」
昨日?
そんな昔のことは忘れた。
「その兄さんが、なぜ、ここにいるの?」
「家を出たらいつもの癖で、いつものルートを通って教室に入って、いつものとおり自分の席で妄想に浸っていた」
「兄さんらしくて、何も言えない」
「兄が兄らしく生きる。妹にとってこんなに嬉しいことはないだろう」
「そうね。兄さんはどこまで言っても『兄さん』でしかないということね」
そう言うと妹は「ちょっと待っていて」と言い残し教室を出ていった。
「孤独だ」
修学旅行、行きたかったな。
そう思った瞬間、身体の力が抜けてしまった。
とりあえず座ろう。
どの世界線だったら僕は修学旅行に辿り着けたのだろうか。
これが運命。
これが宿命。
「お兄さん」
うな垂れていたら、目の前に突然気配を感じた。
「誰だ?」
「タカシですよ」
「タカシですか」
誰だ。
知らん。
「妹さんに言われてお迎えにきました」
「妹に?」
「はい」
「誰が?」
「僕が」
「僕が?」
一人称が同じだとややこしいな。
きっと文字にしたら混乱の極みだろう。
僕と俺と私と拙者。
このくらい表現をわけてキャラ立ちをさせた方がいい。
この僕に対しては僕βとでも呼べばいいのか。
「で、その僕βが僕を迎えに来たのか」
「僕βが何かわかりませんが、妹さんと同じクラスでもある、このタカシがお兄さんを迎えに来たのです」
「そんな弟を持った覚えは無いのだが」
「弟? ああ、違いますよ。妹さんと同じ名前だからお兄さんと呼んでいるのです」
「妹さんが僕の名字なのか」
「……違うと思いますが」
よく分からない奴だな。
「わかった。とりあえずどこへ行けばいい?」
「下の教室に」
「1年生の教室にか?」
「はい」
ついに地下落ちか。
落ちぶれたものだ。
「普通に1階ですけど」
「1階と地下1階の間にどの程度の差異があるというのだ」
「地面の下と地面の上の違いくらいですね」
「そうだろう、そうだろう」
僕βも解ってくれたようだ。
「さぁ、それでは案内しろ、地底の王国へ」
「な、なぜそれを」
「気が付かないとでも思ったか、怪人Tよ」
「く、さすが勇者の参謀ミスターX」
「この展開については2度目なので早送りしていいか?」
再び教室の扉が開いた。
「兄さん、早く来て」
「ああ、わかった。この僕βにつかまらなければ、もっと早くいけたんだけどな」
「僕β? 何を訳の分からないことを。とりあえずお母さんに兄さんを見つけたことを報告した後、校長先生と駅で待っている教頭先生で話し合って、お兄さんは修学旅行が終わるまで私と同じ教室で謹慎だって」
「近親者の横で謹慎か」
「うまくないわよ」
いつの間にかタカシ君は消えている。
毎回毎回、逃げ足の速いことだ。
「毎日、反省文を4000字だって」
「4000字か、第四会場に提出すればいいのか?」
「解る人にしか解らないわよ」
「解る人に解ればいい」
そう。
だからこそ、人は孤独なのだ。
理解する人?
必要か?
僕が僕を知っていればいい。
「あと、毎日書く反省文、同じ内容では駄目だって」
「余裕だな」
「修学旅行は4泊5日だから、全部で5パターン必要ね」
「エンドレス5か」
「だから同じ内容では駄目なんだって」
「いや、あれはちょっとずつ変わるんだ」
「あれって、どれよ」
あれって、どれだろう。
孤独な僕に答えるものはいないか。