僕は自分が天才だってことに気付いてしまったんだ。
弟が兄に書く手紙です。
プライベートな内容ですので、傍目に理解するのは難しいと思われます。
ねぇ兄さん、僕は自分が天才だってことに気付いてしまったんだ。
昨日の夜に貸したお金、いつ返ってくるのか教えてください。
猫を飼っています。
とても可愛いんだ。
もちろん、ペットフードなんて要らないよ。
僕のような天才は、大抵の場合、死んでから餌を与えるんだ。
猫の死体を愛でるのさ。
兄さん、僕のお金を返しておくれよ。
そういえば最近、近所のスーパーで同級生に会った。
「変わってないね」なんて言って、やっぱり確信したね。
僕は自分の若かりし姿を永久に保存している。
葬式の写真を選ぶときに気付くと思うよ、僕の写真に16歳以降のものが無いってことにさ。
最近、英語が読めるようになったよ。
ところで最近っていつのことを言ってるんだろうね。
兄さんに会ったら、始めの一言は英語にするよ。
please money.
近所に猿のような爺さんが住んでいるんだけど、彼ってとてもパワフルさ。
岩を動かすのさ。
それはもう大きな岩なのさ。
それは中身が空洞なのさ。
風の噂では、中に仙人が住んでるらしい。
鳥たちの囀りで聞いたんだ、あれは朝の井戸端会議だろうね。
巣の近くを行ったり来たりしてたけど、あれってもしかして……天才だってことに気付いた以上、このことは言わない方が良いかもしれないね。
ねぇ、この世には完全犯罪ってものが存在するんだよ。
それは一体どういう了見で、誰に断って成立しているのか不明なんだ。
でも確かにあって、隠蔽に次ぐ隠蔽の中に潜んで、静かに息をしているんだよ。
ところで、初任給の10万円を返しておくれ、兄さん。
あれが無いと……ああ、それは困る。
箱を見てるよ。
これに猫を入れるんだ。
それを描くんだ。
後で売るんだ。
それで買い戻すんだ。
また売るんだ。
また買い戻すんだ。
僕は一体なにをやってるんだ?
例えば、往復の切符を終着駅でもう一つ買うようなもので、そうして明日を待つようなものだ。
夜は怖くないかい?
僕は朝の方が恐ろしい。
だって、白日の下に晒される可能性を孕んでいる。
小さい人間たちが僕を見てる。
そこをお姉さんに見られた。
だから、試行錯誤の末、僕はこう言ったのさ。
「へい、柔道!」ってね。
要するに、墓場からジョンが生き返ってくるだろうね。
まるでキリストかなにかだ。
まるでライビングデッドだ。
僕の思うに、ナポリを見たから死んだんだ。
天才の辛いところ、その一。
天才の辛いところ、その二。
天才の辛いところ、その三。
まあいいさ、とにかくお金さえ手に入れば、それでなんとかやっていくよ。
時計も売っちゃったし、またかい戻さなきゃね。
兄さん、元気かい?
海は荒れていない?
空は晴れてる?
僕はもうダメだ。
やたら頭痛に苛まれてるんだ。
深夜に何度も起きるんだ。
ギターの音ばかり聴くんだ。
海外の夢ばかり見るんだ。
脳みその中で25分が10分に短縮してるんだ。
いや、それはそれで……嫌。
そうでしょ、兄さん。
そうじゃないの?
そうに決まってるよ。
そうだと言ってよ。
そうなんじゃないかな?
躁なんじゃないかな?
鬱なんじゃないかな?
病気になりますように。
天才の辛いところ、その四。
天才の辛いところ、その七。
天才の辛いところ、その九。
最近、昔のことをよく思い出すようになってしまった。
でも戻れないのさ、そんなノスタルジックには。
僕は依然、時間軸を進行し続けている。
高速道路を逆走する車のように、一方通行を逆走するバイクの如く、ハイウェイを縦に横切る飛行機さながらに、ルールを破壊できないものだろうか。
ああ、なんて他愛もない考えだろう。
忘れてくれ、兄さん。
でもお金のことは忘れないで。
スレスレさ、眠気。
もう落ちる。
落ちる先は闇。
深い。
針地獄が待つ。
スピード上がっていく。
緩めてほしい。
分かって欲しい。
とどのつまり、素人の遊びじゃ役に立たないんだ。
至る所に凡人が歩いているだろう?
その中じゃ、僕はやっぱり天才なんだ。
永住権を得たんだ。
アムステルダムに旅行しに行くから、資金を回収したいんだよ。
経験より知識、知識より生存なんだって。
家の鍵が開かなくなる前に、早くしないと。
ほら、また一つ、秘密が暴かれるんだ。
羽虫の氾濫だよ。
爆撃は起らなくても、そのスクリーンで兄さんだって、同じような目にあう。
これは呪いなんかじゃない、事実だ。
僕は決して操られてるんじゃない。
天才を肌で感じて、少し気が滅入っているにしても――早めに眠るべきだったんだ。
長すぎるんだ、人生というものは。
そもそも子宮が広すぎたんだ。
スケールから間違ってるのを、誰も気付かないまま忘れてしまうんだよ。
でもお金のことは忘れないで。
兄さん、持ち逃げはナシだ。
いくら貸したと思ってる?
どこから出た金だと思う?
これからお前、どうなると思う?
知らないよ。
知らないよ、僕は。
もうお腹も痛い。
夜が明けるまで起きてられるなんて、はっきり言うが正気じゃないぜ。
お前は終わりなんだよ、兄さん。
その金を今さら捨てて、名前を変えたとしても、生まれ持ったその卑しさはぬぐえやしない。
いつか必ず、否、いまにもお前はノイズを聴くぜ。
耳を澄ませよ。
瞳を閉じろ。
となると、もう読めないだろうが、この手紙を。
これから先に続く文章が、お前の眼に入らないことを憂う。
だからこそ、もうこの辺で止めにしておくぜ。
あばよ、くそったれが。
その後、なにかが遺体で見つかったとか、変死体がどうとか、そんな表立った事件は一切なかったという……