第零幕1 悩める少女
――お願いです! 姉を、姉を捜して下さい!
櫛原ゆかりと出会ったのは丁度一週間ほど前、期末テスト真っ只中のことである。
学生としては恒例行事である定期テスト。
定期テストは己の知識、理解度を把握させ今後の勉学をどう改善するかを思考させるのを目的として行われている。
高校生となると留年するかしないかも関わってくるとても重要なイベントだ。
このイベント中、留年の恐れがある者にとっては一番ナーバスになる期間であり、反面、いつもより早く帰ることになるので、いつも以上に気が抜けてしまう期間でもある。
――そう、こういう心の均衡が上手く取れない期間の帰り道に櫛原ゆかりは現れたのである。
「……あの、あなたが星影みぎはさんですか?」
「……そうだけど、えっと、君はだれ?」
知らない子が話し掛けてきた。
制服からしてうちの中等部の子だ――。
「中等部の櫛原ゆかりです。星影みぎはさんに頼みたいことがあるのです」
――頼み?
櫛原ゆかりと名乗る女の子は真剣な眼差しでこちらを見つめている。
結構、深刻な問題でも抱えているのだろうか?
勉強を教えてください的な?
――いや、これはそこまで深刻な問題でもないか。
「櫛原ゆかりさんか。一応はじめに断っておくけど、勉強を教えてくれとかは無理だから。ぼくは勉強教えるの得意じゃないから」
今はテスト期間中。
こういう頼みがあっても可笑しくはない。
といっても見知らぬ下級生がぼくに教えを乞うのは少し可笑しな話だけど。
「違うんです。そういうのではないんです。勉強は――その――できますから」
櫛原ゆかりは少し狼狽えながらも、勉強はできますと言った。
違うことは予想していたけども、何かこう、胸に突き刺さるものがあるな。
「……そっか。それで、何かな? 頼みってのは」
「それは――」
櫛原ゆかりが口を開いた時だった。
風――
会話を遮るようにひんやりとした肌寒い風が吹く。
櫛原ゆかりは手でフリルのスカートを抑えていた。
なんと強い風なのだろうか。
肌に冬風が沁みわたる。
風は一向におさまる気配を見せない。
未だに櫛原ゆかりのスカートは強風に煽られていた。
――目のやり場に困る。
とりあえず、瞼を軽く閉じてみた。
このままじっと見ていても良かったが、それはアレだ。
彼女を傷つけてしまうことだろう。
風が止むまでの間、目を閉じておこう。
――と。
「星影みぎはさん!」
「な――」
目を見開くと――
櫛原ゆかりは神にでも懇願するような格好をしていた。
強風、いや、スカートなんかどうでもいいかのような姿で。
そして――
「お願いです! 姉を、姉を捜して下さい!」
「……は? 姉を――捜す?」
姉を捜す――
その言葉を聞くと、何故か心臓の鼓動を感じた。
なんだろう、コレは。
心臓が、大きく、ドクン、ドクンと脈を打っている。
動揺してるってのか?
これは今までに感じたことのない感覚だ。
この感覚は良くない感じ……?
それとも、いい感じ……?
――いや、どちらにせよ、一度冷静になるべきだ。
「……ちょっと待って。えと、それってまさか、行方不明とかいう奴?」
胸を押さえつつ、平静を装って訊いてみる。
「そうです。もう一週間も家に帰ってこないんです」
櫛原ゆかりは懇願する格好をやめ、俯いた格好で答えた。
――行方不明。
テレビのニュースなんかでたまに耳にする、実に嫌な単語――。
「…………」
助けてやりたいけども、こういう厄介ごとに干渉するのは苦手だ。
というか、ぼくなんかに頼むのは些か疑問に思う。
――残念だけど、この依頼は断ろう。
ここは専門家にお願いするのが筋ってものだろう。
「櫛原ゆかりさん、頼む相手を間違ってるんじゃないかな? ぼくじゃなくてさ、ほら、警察とかさ。警察には相談したの?」
「……はい。一応、警察にも届けましたが、ただの家出だろうと真剣に取り扱ってくれませんでした」
――家出。
そこまで事件性はないと判断されたわけか。
「……それでも、他にも探偵だとかいるんじゃないかな」
「探偵さんに頼むお金なんて持ち合わせていません……」
「あ……」
的を射た発言だった。
そりゃそうだ、まだ中学生のこの子が、人一人捜すお金なんて持ってるわけがない。
「で、でも。お金はさ、お母さんとかお父さんに……」
「母と父は4年前に亡くなりました」
「う……」
急所をつく発言、いや、胸に風穴を開けるかのような発言だった。
適当な事を言い過ぎた。その場しのぎの発言が仇となった。
――く、苦しい。
その発言後、 櫛原ゆかりは俯いてしまった。
気まずい、超気まずい。
彼女の頼みをどうにかして断りたいが為に別の案を提示していたつもりだったが、逆に何かの深みに嵌まってしまってる。
これ以上はマズイ。
――胸もマズイ。
この流れでキッパリ断るか?
しかし、それは酷過ぎやしないか?
ここは――ここは少しでも話題を逸らすべきじゃないか?
「ご、ごめん。そ、そもそも、何故、ぼくなんかに頼むんだ?」
胸の動悸を我慢し、一呼吸入れて訊いてみる。
「あなたに頼めば事件を解決してくれると聞いたので……」
「……えっ? 事件を解決してくれる?」
――ぼくに頼めば事件を解決してくれるだって?
おいおい、誰がそんな馬鹿げたこと言ってんだよ。
ぼくは警察や探偵の真似をした覚えもないってのに。
――もしかして、探偵紛いのことをやってるアイツと間違ってやしないか?
――胸の動悸がおさまってくる。
そして、すこし、ほんの少しだけ怒りが込み上がってくる。
「……誰がそんなこと言ってたの?」
馬鹿げたことを言った人物について訊く。
「…………。すごく怪しい変な男の人が言ってました」
記憶を遡るように櫛原ゆかりは少し間を置いて答えた。
しかし、その答えは――抽象的すぎて良く分からないものだった。
ぼくは名前だとかを期待してたのだけど。
というか『すごくあやしい変な男の人』だと罵ってる相手の言うことを良く聞けるな、この子。
「……その男の名前は?」
「……名前は教えてくれませんでした。それに――良く覚えていないんです」
「良く覚えていない?」
「はい、その方とは数日前、姉を捜しに行った夜に偶然出会ったのですが、その日の記憶が、その……ハッキリとしないのです」
「ハッキリしない……」
「でも、その方は、貴方を星影みぎはさんを尋ねれば良いと言ってたんです。これは確かなのです」
そう言うと、櫛原ゆかりは再び俯いてみせた。
「…………」
――なんだろう、この不思議な感じは。
彼女は一種の記憶障害でも起こしているとでもいうのだろうか?
いや、仮にそうだったとしても、そうでなかったとしても――。
今の彼女にこれ以上無理をさせてはいけない。
彼女は、櫛原ゆかりは明らかに疲れている。
「…………」
辺りを沈黙が支配する。
本当に、彼女に残された術は、ぼくに頼むということ以外にないというのだろうか?
もしそうだったとしたら、それは残酷すぎる答えだ。
――何故、ぼくなのだろう。
「あの、駄目……ですか?」
うおっ!
櫛原ゆかりは今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「ちょ、ちょっと! そ、そんな顔をしないでくれ!!」
その顔を見て、思わず声を高らかにして反応する。
「ちょっとちょっと、あの人中等部の子を泣かしてるわよ。いや~ねえ」
「うわ、ホントだ。アレ? あの人、二年の星影みぎはじゃない?」
「えぇ~、あんなことする人だったの?」
「先生呼んできたほうがいいんじゃない?」
ヒソヒソ。
ひそ……ひそ……
ひそ……ひそ……ひそ……ひそ……
――下校中の生徒の声が聞こえてくる。
あわわわわ。
これには流石に動揺してしまう。
どう聞いたって、櫛原ゆかりが被害者で、ぼくが加害者に見られている。
い、いかんいかんいかん。
これはマズイ、非常にマズイ!
また、変な噂が立ってしまう!
それは、それだけは阻止しなくては!!
「わ、分かりました! やります、ぼくがやります!!」
――やると言ってしまった。
痴漢と間違えられた人物が、やってもいないのに自首してしまうような形で答えてしまった。
――でも、その時だけ
櫛原ゆかりの表情が明るくなったような気がした。