宮城 晃
「樹里姉ちゃん……」
私が中学生の時3年間 毎週水曜日に2時間だけ勉強を教えてくれていた家庭教師のお姉さん。当時24歳だった樹里姉ちゃんは私の強い味方だった。
目を見て話を聞いてくれる、人の話を途中で遮らない。そんな樹里姉ちゃんの優しさに私は心を許していった。
親友と呼べる存在が学校内にいなかった私にとって樹里姉ちゃんが親友のような存在だった。嬉しかったこと 悲しかったこと 学校であった衝撃的なことは全て話した。悩みごとや恋愛の相談も樹里姉ちゃんに話せば心が楽になる。解決していないのに解決したような気がしていた。それも樹里姉ちゃんの魅力の1つなのかもしれない。
「樹里姉ちゃんは魔法使いなの?」
二次関数の問題を解きながら私が尋ねたことがあった。今考えると本当に下らない質問だ。
「う~ん 人間だから魔法使いかもね……」
「人間は言葉を話せるからいつでも人を幸せにする魔法をかけてあげることができる。好きって呪文……マスターするのは簡単だから」
樹里姉ちゃんは、この世の人間全てを魔法使いに例えた。気づいていないだけで皆 魔法は使えるのだという。
「人間は魔法使いかぁ~」
「でも気を付けないと世の中にはいい魔法使いもいれば悪い魔法使いもいるからね。悪い魔法使いは、魔法の言葉を悪用するの。人を自殺に追い込んだり、傷付けたり 晃ちゃんはそんな人にならないでね」
「樹里姉ちゃんは、悪い魔法使いでした……」
私が志望校に受かると同時に私の父は、私と母を捨てた。3年前から不倫していた若い女と正式に結婚することになったから別れてくれと言って離婚届を母に渡すと家を出ていった。
合格の嬉しさはどこにいったのか……
樹里姉ちゃんのお陰で少しずつ取り戻していたはずの明るさも一瞬で古くなった蛍光灯のような色に変わった。
母は、離婚届を出す交換条件として全てを話すように父に言った。相手の名前 職業、自分と比べて何が差があるのか。
「お前もよく知っている人だよ」
父は軽くそう言った。自らは全く悪くないと開き直るように。
「ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい」
「ごめんなさい ごめんなさい お母さん」
父の不倫相手の若い女というのは樹里姉ちゃんで、父とこう約束していたそうだ。
「娘が志望校に合格できたら、妻と別れてお前と結婚をする。2人で幸せになろう」
私が合格しなければ、こんなことにはならなかったのか。
それを知っていたら私は答案を全て白紙で出した。試験会場に遅刻するようにわざとバスに乗り遅れた。勉強も……こんなに頑張らなかった。
「悪い魔法使いに教えてもらっていたんだ、私がいい魔法使いになれるわけがない」
信じていた樹里姉ちゃんと父親に裏切られた私は、人のことを信じることが出来なくなった。
親切にしてくれる人は皆 何か理由があって
そうしているんだ。利益なく私のことを助けてくれる人なんていない。
「裏切られるくらいなら人を信じなければいい」
「むしろ私の方から裏切ってあげればいい」
これからの私は、これをモットーに生きていく。
アルフレッド・ド・ミュッセもこう言っている
『女は、すべて裏切り者で、狡猾で、見栄っぱりで、物見高く性格が腐っている』
学校休憩時間に聞こえてくるクラスメイトの女子たちの会話の内容のくだらなさに飽き飽きする。
芸能人と付き合えるのなら誰を選ぶとか、夢の中に人気アイドルグループのリーダーが現れて私の頬っぺたにキスしたとか……
「はいぃ?」
「まあ妄想や夢の中だけなら基本的に自分の思い通りだし、いくらでも楽しめるか」
心の中で憐れみつつも私も聞かれたらそっけない態度は取らずに無難な回答をする。
「晃ちゃんって芸能人でいったら誰がタイプなの?」
「え~ 私は、賢くんかな~」
最近 人気急上昇中らしいが正直私は、賢くんが
どんな顔をしているのか何をしている人なのかを知らない。ただ女子たちがよく話題に挙げているのをよく聞いていたから、適当に答えた。
「え~晃ちゃんも、賢くん派なんだ~」
目を輝かせて、こんな話ばかりしている彼女たちに深刻な悩みなんてないんだろうな。今が楽しくて今を楽に生きている。正常なのは彼女たちの方で、異常なのは私の方なんだろうけど。
最近、気になる男がいる。名前は、庭野 正
百獣の王たる風貌を持つ、圧倒的な人気者。
彼の周りにはいつも人で溢れている。彼にフラれた癖に彼のことを悪く言わない女子は多い。
私の嫌いなタイプだと思っていたがどうやら違ったようだ。庭野 正は深い闇を抱えているはず。
あの目は間違いなくそうとう大きな闇を抱えている、そしてそれを誰にも話せないでいる。誰にでも心を開いているように見せているが実際は誰のことも信じていない。私には分かる……
だって私も同じだから。
「見つけた」
彼なら少しなりとも私の気持ちを理解してくれるかもしれない。1つだけ気に入らないことといえば、庭野がカッコよすぎることくらいか。
高校という世界は何かと住みにくい。カエルのような女とライオンのような男が付き合うことが不思議なことだと言われる。
あと8年くらいすればそれも普通なことだと理解できる人間も増えてくるのだろうけど。
とある日の放課後 屋上に庭野を呼び出した。
彼は優しい人のふりをしているからか、私のような女子からの誘いも断らずに現れた。男子テニス部の大橋のように、告白される相手に気がないと、その場所に行きもしないやつもいる。彼に告白をせずにフラレた女子を私は3人も知っている。
高校生の告白は就職試験と類似するものがある。人気のある生徒にのように、数々の告白を受けている生徒に限っては、書類選考で落とすことをしてもいい。かえって人気のない生徒が、告白されて断ろうものなら選りすぐりするなと陰口を言われることもしばし。
「こんなところに呼び出して何かようかな?」
庭野は澄ました顔をして私に尋ねる。尋ねなくても内心 分かっていることだろうに、今から何が起こるのか。
理科室、体育館裏、屋上、時計台のある公園に異性に呼び出され、2人きりになる。これから起こることは1つしかない。同性ならば殴りあいが始まる可能性はあるが。フィクションならば突然 周囲の人間が次々に殺されて、謎のゲームに参加させられることもあるだろうけど、そんなことは現実ではまず起こらない。
「私と、付き合わない?」
「あなたと私は気が合うと思う」
「えっ?ふざけているのかな?」
庭野はとぼけた顔をして私の方を見る。
「ふざけてるつもりはないよ」
「あなたは私と付き合ったほうがいい。他の女子と付き合うよりもあなたのためになると思うよ」
「ごめん ありがたいけど君とは付き合えないな」
「人を信用できないから?だから告白されても誰とも付き合おうとしないんでしょ?」
別にトリッキーな告白をしてOKをもらおうとしているわけではない。この人になら本心を伝えられそうな気がしているから私自身も彼を試しているのである。本当に彼が私と同じような闇を持った人間かどうか。
「…………」
「人を信用できない……そうかもね」
庭野は一瞬目をつぶった。
その瞬間 彼の表情と雰囲気が変わったような
気がした。
「そう、あなたは誰のことも信用していない」
「あなたの目を見ていたら分かる」
「ちょっと待った、確認したいことがある。君は、俺のことが本当に好きなのか?」
「今までの誰の告白よりも君のは熱意がこもっていないように感じるが」
「好き……好きか?っていわれるとそこまで好きではないかも。ただ波長が合いそうな気がするってだけで、好きならこんなに冷静には話せない」
「はっははははははっ……はっはははっ」
庭野は突然 笑いだした。その笑い声で釣ったばかりの鯛が煮付けになりそうなくらい大きな声だった。
「いいね、君のような人は楽そうでいい」
「いいよ、付き合ってるふりをしよう。俺は、君を裏切らない 君だけを見続けるなんて言う安っぽい約束はできないがそれでもいいか?」
「大丈夫、私も約束できないから」
その言葉を伝えた瞬間私は、
難問の知恵の輪を外せたような感覚に陥った。
「望まないことが望み、望まないことが望み」
これは2人にしか理解できないものだと思った。
愛よりもキスよりも体の密着よりも私にとって
1番大切なもの。
私は、庭野と付き合う……付き合っているふり?をすることにした。付き合っていると周囲に知りわたれば二人っきりで何かを話していても怪しまれることはない。私にとっては数十人の女子を敵に回すことになるだろうけど