南行
「全く甘い。見え見えだぞ」
鱗のような金属片を縫い付けた鎧に身を固めて、くちばしのような刃のついた槍をもった兵士たち。それがざっと30人ほどはいた。
今は、あたしと羚羊、小花ちゃん、それに傀儡師の香藝さん。
小花ちゃんはまだ子供だし治癒術使い、香藝さんは羚羊の修理とかをする技師だ。戦闘能力は無い。あたしと羚羊で切り抜けないといけない。
小花ちゃんが怯えたようにあたしの袖を引いた……不思議なんだけど、誰かが後ろにいると、自分がやらないといけない、という気持ちがわいてくる。
「老士、私が血路を開きます。この数なら私一人で何とかなると思います」
あたしの横に並んだ羚羊が静かな声で言う。この状況でもまったく感情の揺れを感じさせない。
確かにあの町で初めて会った時、一人で軽く10人近い兵士を蹴散らしたから、出来るのかもしれないけど。
「この後のことを考えると符は温存していただきたいのですが……必要なら適切な援護をお願いします」
適切に、というあたりが相変わらず一言多いけど。
手元の符が残り少ないことは確かだ。それに、最近は悪気はないというか、本当の意味で適切に援護してほしい、と言う意味なんだな、と分かった。
「任せて」
上手くできるかは自信は無いけど……いつでも術を使えるようにジャケットの内ポケットの符に触れる。
羚羊が表情を変えないままに頷いて飛び出した。
走りながら腰に巻いた蛇骨槍を振る。節が分かれたままの蛇骨槍が鞭のようにうねった。
蛇をモチーフにしたような二股に分かれた穂先が兵士たちの顔を薙ぎ払う。血が飛び散って兵士たちが後ずさる。
「殺せ!」
号令がかかって、周りを囲む兵士たちが一斉に矛を突き出した。でも、羚羊の体がそれより早く空中に飛び上がった。鉾が絡み合うようにぶつかって耳障りな金属音が響く。
羚羊の蛇骨槍の節がつながって槍に変わった。空中に土台でもあるかのように体を捻って一回転した羚羊が槍を振り回す。
切っ先が正確に兵士たちをとらえて、顔や首を切り裂かれた兵士たちが次々と倒れた。
地面に着地した羚羊が独楽のように回った。一度、二度、槍の切っ先を追うように、長めの裾と袖が艶やかに空中を舞う。
あの服、長くて邪魔になるんじゃないかと思ったけど、あれは翻る動きで相手を幻惑するものなのかもしれない。
突き出された矛の切っ先を槍が弾くけど、一つが羚羊につき刺さった。硬い音がして羚羊がよろめく。
一瞬悲鳴が出かかったけど、羚羊が何事もなかったかのように体勢を立て直した。踏み出しざまに突かれた槍が兵士の喉を刺す。香藝さんが安堵したように息を吐いた。
動きの速さも人間離れしてるけど、多少の傷はものともしない、ってのは強い。
瞬く間に半数の兵士が倒れた。羚羊が周りを一瞥して槍を振る。切っ先の血が飛び散った。
残りの兵士たちが矛を構えて壁のように列を形成した。羚羊がくるりと槍を振って構え直して、そのまま地面を蹴って壁に向かって飛び出す。その時。
「禁道!」
壁の向こうから声が聞こえて、風のように踏み込んだ羚羊が不意に糸が切れたように膝から崩れ落ちた
◆
香藝さんのひきつった悲鳴が後ろから聞こえた。
「レオ!」
呼びかけるけど、羚羊は地面に倒れたまま微動だにしない。何が起きたの?
兵士たちの列が割れて、そこには男が立っていた。裾が長い、鍾離さんを思わせる衣装を着ている。兵士って感じでは全くない。というか道士っぽい。
「戰鬥木偶など私の前には敵ではないな」
男が悠々と踏み出してきて、地面に倒れたままの羚羊の背を踏みつけた
「老士、逃げてください……禁術使いです」
倒れた羚羊が絞り出すような声で言う。
「禁道」
男があたしを指して何かを唱えた。
同時にあたしをとりまく空気が少し重くなったような、喉を締め付けてくるような感覚があった。一瞬息が詰まる。
「木氣、風使いと聞いているが。これで得意の風も操れない、というわけだ」
優位を確信したって顔で男が言う。
禁術とやらが何かは分からないけど……道術を封じ込めるようなものなんだろうか。そんなことより。
「あなたは道士でしょ?なぜ?」
道士を敵対視して狩りまわっているはずなのに、なぜ泰の国軍に道士がいるの?
「まあ俺は有能だからな。放っておくわけにはいかないってことだろう」
気取った仕草で手を上げる。
「それに、小さな村にコソコソ隠れ住んで何が楽しい?泰につけば金も権力も思いのままだ」
道士を捕らえるといっても、自分たちで使わないってわけじゃないってことか。建前と実際は違うってことか。
不意に村の方から爆発音が起こった。振り返ると火が吹き上がっている。道士が他にもいるんだろうか。
鍾離さん達はどうなったんだろう……小花ちゃんのすすり泣く声が聞こえた。でも今はどうすることもできない。
「さて、降伏しないなら殺すかと思っていたが……よくみれば花のように美しいな、殺すには惜しい」
そう言って男が腰につるした剣を抜いて、刀身をちらつかせるように左右に振った。
「首を持ち替えるより閨に連れ帰るほうがよさそうだな。他の連中も捕らえろ」
号令がかかって兵士たちが進み出てきた。小花ちゃんが後ろで怯えたような声を上げる。
「止まりなさい!」
自分の声とは思えないほど大声が出た。兵士たちが驚いたように足を止めて顔を見合わせる。
「その子たちには指一本触れさせない!」
「状況が分かっていないのか?自分の心配をしろ」
鈍く光る切っ先が目の前に突き付けられた。でも……不思議と恐怖は感じなかった。
相変わらずあたしはこんな場面だからこそ頭が冷える。なんかあたしはどっかおかしいのかもしれない。
符を取り出すとアイコンが浮かんだ。
木と火と水のアイコンは黒くなっているけど、他のアイコンは変わっていなかった。なんとなく感覚的には分かっていたけど、ちょっと安心した。金のアイコンを選ぶ。
どうやら禁術とやらは五行全部は封じられないらしい。
「無駄だぞ」
勝利を確信して余裕綽々、と言う顔だけど……今から起きることを考えるとちょっと笑える。
「ひとつ教えてあげるわ」
「ほう、なんだね?」
「あたしは五行道士よ。覚えておきなさい……從鐵到紙」
突き付けられた剣が白い光に一瞬覆われて、灰色の刀身が白い紙に代わった。白い紙が吹き流しの様にふわりと風になびく。
「……なんだと?」
あっけにとられたように刀身が紙になって柄だけになった件を見る。何が起こったのかわからない、と言う感じのマヌケ顔だ。
「バカな、わが禁術が……通じていないとでもいうのか?」
「いーえ、効いてるわよ。そうじゃなきゃあなたは今頃炭になってるわ」
訳が分からない、と言う顔で柄だけになった件を男が地面に投げ捨てた。
「この女を殺せ!」
「石頭飛濺」
兵士たちが動くより詠唱が終わるほうが勿論早い。
地面が一瞬震えて、男の周りの地面から石のつぶてが飛び出して棒立ちになっている男に命中した。
立て続けに鈍い音がして男の体が空中に舞う。そのまま地面に叩きつけられて転がっていった。
一応手加減はしたけど……まあしばらくは起きれないだろう。
「棘のある花もあるのよ……おぼえておいてね」
……そう言えば名前もきいてなかったわ
◆
「どきなさい」
そういうと、兵士たちが弾かれた様に道を開けた。術者が倒れたからなのか、羚羊が立ち上がる。
「大丈夫ですか?羚羊」
「はい、老士」
香藝さんが心配そうに羚羊に聞くけど。どうやら特に問題はないらしい。
体についた土ぼこりを払って、油断なく槍を構えるけど、兵士たちは遠巻きに矛を構えているだけだ。逃げ腰なのが伝わってくる。
まあ、指揮官と思しき道士は倒れてるし、さっき半数を蹴散らした羚羊まで立ち上がったんだから、さすがに戦おうなんて気は起きないか。
「いきましょ」
羚羊を見るけど、確かに特に体におかしなところはなさそうだ。
道士はなんというか、手ひどく殴られたボクサーみたいな顔になってるけど、どうやら死んではいないっぽかった。
いまさらこんなことを考えるのも偽善だとは思うけど、ちょっと安心する。
「そういえば禁術ってのはなんなの?」
「道術を禁ずる術です。ただ、達人になれば道術のみならずあらゆるものを禁ずることができると言います」
後ろの警戒を怠らずに羚羊が教えてくれる。
どうやら推測は当たっていたらしい。城隍道術を解いたのもあいつなんだろう。ただ、あらゆるものの意味はちょっと分からなかった。
「どういう意味?」
「刃を禁ずればその剣は切れることがなくなり、燃ゆるを禁ずれば火が消え、羽を禁ずれば鳥は飛ぶことが出来なくなります」
「レオはなんで動けなくなったの?あたしは動けなくはならなかったけど」
「私は道術によって動いていますから。私の道術を禁じられれば、私は何もできなくなってしまいます」
エネルギーの根幹を絶たれるようなものか。禁術使いはどうやら羚羊の天敵らしい。
あたしや鬼蘭のような直接的な攻撃力は無いけど、軍隊とかと組まれると厄介な術だ。あたしだって全系統を禁じられたらどうにもならなかったわけだし。
馬が進んで兵士の姿がだいぶ遠くなった。羚羊が手綱を引くと馬が少し足を緩める。
「ところで失礼ながら申し上げます、老士」
振り返らないままに羚羊が声を掛けてきた
「なに?」
「あの状況なら私のことに構わず逃げるのが最善の判断です」
羚羊が普段通りの口調で言う。
「レオ、あなたは逆の立場なら逃げる?」
「いえ、逃げません。老士をお守りするのが私の務めです
「ならあたしも逃げないわ」
「老士の仕事は私を守ることではありません。逃げるべきです」
「ああそう。でも覚えておいて。あたしもそうしないわ。レオはあたしを守ってくれた。だから」
「……そうですか」
あたしにだってプライドってものはある。自分を守ってくれている羚羊を見捨てて一人で行き残るなんて格好悪すぎだ。
馬の脚をとめて羚羊があたしを見た。
「老士は……道侠なのですね」
「なにそれ?」
「権力に阿らず、義を重んじ民のために戦う道士のことです。武人は武侠などとも言います」
「へえ」
……道侠ね。ちょっと柄じゃないような気もするけど、格好いいというか、悪くない。
「ですが……命は大事にされてください。私は壊れても修復できますが、老士はそうではありません」
淡々と、でも真剣な口調で羚羊が言う。ガラスと青玉を組み合わせてできた静かな目があたしを見つめていた。
軽くうなづくと、また羚羊が馬を走らせ始めた。
しばらく走ると小さな丘が見えてきて、先についていた太婀さん達が手を振っていた。あっちには待ち伏せは無かったらしい。
太婀さんと羚羊と鹰猎さんが何か話している。
南へ行け、と鍾離さんは言っていた。南には何があるんだろう。このあとどうなるんだろう。
でもなんとか生き延びないといけない。
飛龍と戦った時に思い出したのは、日本にいるはずの母さんと父さんの顔だった。
生き延びて帰って……母さんと父さんにただいまをいうんだ。
これで一章は終わりです。
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