日常
翌日からあたしはこの村、屏南という村らしいけど、そこに御厄介になることになった。
右も左も分からない、お金もない、知り合いもいないじゃどうしようもない。選択の余地はなかった。
ありがたいことにこの村に留まること自体は鍾離さんが認めてくれた。というか、連れてこられて、ハイさようならと言われても困るんだけど。
鍾離さんがもしこのまま隠れて嵐が過ぎるのを待つつもりならあたしを受けれる必要はない気がする。あの人にも何か思うところはあるんだろうか。
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屏南村は小さな家が寄り集まった村で人口は大した人数じゃない。多分100人くらいだろう。
昔から道術社會の拠点があったらしくて、今は城隍道術というので隠されている。
城隍道術というのはある種の結界のようなものらしく、外から見ると結界の中は見えない。
一度外まで歩いて出てみたけど、外から見ると本当に単なる草原のようにしか見えない。でも境界線をくぐるといきなり景色が一変する。広々と広がる田んぼや畑、奇妙な自然石の石柱、そして村。
なんでも道術の心得えがある人でないとくぐることもできないそうだ。
「この村には道士しか住んでないの?」
「いえ。道士は老士も含めて10人程度でしょう」
羚羊が答えてくれる。羚羊はいつもあたしに付き従ってくれている。
村の周りは広々とした水田と畑に囲まれていて、家畜とかちらほら見かける。馬や豚、鶏。本当に小さな田舎の村って感じだ。
何もしないのもなんか居心地が悪いから畑の仕事を手伝おうとしたけど、1時間もしないうちにへばってしまった。
夜は涼しかったけど、日が昇ると日本より日差しが強い。あたしは富山出身で、大学は東京って感じだけど、富山のみならず東京よりも日差しが強くて気温が高い。
一度旅行に行った沖縄とは違う、ちょっと湿った暑さが台北とかを思い出させてくれた。
それに、そもそも農業には縁がない生活をしていたし、農業用の機械なんてものもなかったから、草を取るにしても剪定をするにしても全部が肉体労働だ。
不慣れな人が混ざると効率が悪くなるようで、結局やんわりと退出させられてしまった。
翌日ヒドイ筋肉痛になったけど、鍾離さんが直してくれた。
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結局やることがないまま5日ほどが過ぎた。
「正直言ってさ」
「はい」
「……ただでご飯だけ食べているのは心苦しいわ」
食事は結構おいしい。
粽とかが多いけど、乾燥させたフルーツが出てきたり、焼売のようなものが出てきたりと結構バリエーションが豊富だ。独特の香料は最初は苦手だったけど、なんとなく慣れてしまった。
ただ、おそらく食糧事情がいいとは言えないだろなーというのはなんとなく分かるし、なんか食べさせてもらっているだけというのは後ろめたい感じがする。
そして、その辺が気まずいというのもあるんだけど、正直言ってとにかく暇だ。
テレビもインターネットもなにもないから何もやることがない。
「道士の仕事は畑の手入れではありません、老士」
羚羊が相変わらず淡々とした口調で言う。
「じゃあなにするのよ」
羚羊が答えずに指さした先には、素手で組手をする鬼蘭と太婀さんがいた。
「道士は技を磨き、その力を示す時に備えるものです」
言われてみればあの時に符を使い切ってしまって残りは一枚しかない。
それに、自分の魔法というか道術がどんなものか試してみたい。
それによく考えれば、あの時は必至で逃げるだけだったけど、ようやく落ち着いて自分が魔法使いだという実感に浸れるんだ。
◆
早速、墨と紙をもらって符を書いてみた。
不思議なもので、昔から知っていたかのように手が勝手に動いて紙に文字を描いていく。
ちょっと自分の手じゃないみたいで怖かったけど、火水木金土のアイコンと文様を書いて朱で印を描くと、自分で書いたものとは思えない符が目の前にあった。
符は書き終えたばかりだとただの紙で、持ってもアイコンが現れたりしない。ただ、少しづつ力がチャージされているのを感じる。
おそらく道術を使うための力がたまるには時間がかかるだろう、ということはなんとなくわかった。
せっかくだから小さい紙に描いたりもしてみたけど、小さい紙の方が力がたまるのは早いみたいだ。これは色々と考察する余地がある。
◆
「升起城牆」
地響きを立てて土と草が空中に飛んで、草原に石の壁が立ち上がった。周りからどよめきが起きる。
おおむねイメージ通りの石の壁が出来た。高さを控えめにして横に広く、と言う感じにしてみたけど、高さは2メートルほど、横幅は15メートルほど。ちょっとしたフェンスみたいになった
鍾離さん曰く、五行の道術は強い意思をもち、その意思を言葉に乗せて世界の五行の理に変化を命ずるもの、らしい。
弱弱しい口調の命令を聞く人がいない様に、意志の弱い道術は弱く不確かな効果しかあらわさないのだそうだ。
符の数は限られている。ということで、術の練習の時から、どんなふうに効果を表すかというのを強くイメージしながらやっている。
「スゲェな、姐姐」
「いや、大したもんですね、柳原道士」
太婀さんが口笛を吹いて拍手するかのように手を叩いてくれた。
村はずれの草原の一角は鬼蘭と太婀さん、時には羚羊の武術の稽古場らしい。土が踏み固められたスペースがあって、そこであたしも道術の練習をしている。
もう一人訓練をみているのは胡城郭さん。胡さんで良いらしい。
30歳くらいのひょろりとした長身の人で西洋風、というか西夷の眼鏡をかけている。目が悪いらしく、こんな風に戦争になる前に手に入れたんだそうだ。
使い込まれた眼鏡とぼさぼさの長髪でなんというか学者さんというイメージがあるけど、実際のところ、この村に来るまでは私塾で講師をしていたらしい。
城隍道術という結界を貼っているのがこの人だ。毎日、日が昇るときと日が落ちるときに結界を貼る仕事らしい。
地味なポジションだけど、城隍道術で村の姿を隠し結界に内に入ったものを惑わせて外に出している。
村が見つからずにいるのはこの人のおかげだ。
ここにはいないけど、ほかにも二人の道士がいて、一人は鹰猎さん。この人は普段は鍾離さんと一緒に居る相談役らしい。
もう一人は香藝さん。傀儡師と言われる人で、羚羊の修理とかをしている人なんだそうだ。この人も工房にこもっていてまだあまり会っていない。
「スゴイね!こんなのみたことない!」
明るい声で褒めてくれたのは鍾離さんの孫娘の劉小花ちゃんだ。
年は15歳にもなってないだろう。綺麗な黒髪をお団子のように左右で結い上げて、草色のチャイナ服っぽい感じの衣装。なんというか人形みたいでとても可愛らしい。
まだ未熟らしいけど一応治癒術をつかえるんだそうで、万が一の怪我に備えてという感じでここで訓練を見ている。
「ありがとう」
そういうと、褒められるとちょっと調子に乗りかけてしまうけど。
手の中の符を見ながら思う。こんなことしてていいんだろうか。
確かにあのお爺さんが言う通り魔法使いにはなれた。でもこの力をどう使うんだろう。どう使うのが有益なんだろう。
◆
「あの、老士、よろしいでしょうか?」
ぼんやりしているうちに村の人が何人か集まってきていた。
もうそろそろ日も落ちつつある。この世界には電気なんてものはないから日が沈むころには仕事は終わって、早い時間に寝てしまい、早起きする。
夜更かしするタイプだったけど、ここに来たおかげで生活サイクルは健康的になった。しっかり睡眠をとるとなんか体の調子もいい。
「ああ、ごめんなさい。さわがせちゃったですか?」
「いえ……そうではなくてですね、失礼ながら」
そう言ってその人が口ごもった。言いにくそうに村の人たちが目くばせしあっている。
「何でも言ってください。お世話になりっぱなしですし」
「はあ、では……この石の壁を頂いていいでしょうか?」
「へ?」
村の人が真剣な顔で言うけど、意図がよくわからない。
「この辺は大きめの石は貴重なのです」
「お許しいただければ……切り出して水路の補強や石畳に使いたいのですが」
「道術でつくられたものをそんな風に使っていいものか……もし失礼でなのなら、ですが」
村の人たちが口々に言う
「ええ、そんなことでいいなら。どれだけでも壊して、持って行ってください」
正直言って世話になりっぱなしだし。こんなことで役に立てるならむしろ大歓迎だ。
村人たちが嬉しそうに顔を見合わせると、一礼してしばらくすると金属の楔とかをもってきて作業を始めた。
なんか、こっちの世界に来ていきなり襲われて、道術で戦ったけど。よく考えれば、水道やガスがない世界で火が起こせる、水が出せるってのは、結構実用的な気がする。
太婀さんが苦笑いをしているところをみると、こういうのが道術の使い方と言う意味ではいいかは分からないけど。
どうせならこんな平和的に使えればいいんだけど、とは思う。
そして、その日から鬼蘭は夜ごとに部屋にやってきては、一緒に戦ってほしい、力を貸してほしい、とあらためてしつこく言うようになった




