當前
話が終わった。太婀さんが器に残った酒を飲んで自分の器とあたしの器に酒を注いでくれる。
「……俺たちはよ、国の為、民の為に道を学んで働いてきたんだ。それがいきなり妙なよそ者に吹き込まれて時代遅れだの言われて、要らねぇもの扱いで追い回されてよ」
そういって、鬼蘭が器の酒を一気にあおった。
「泰の王様も何もいわねぇ、爺どもはそれに抗おうともしねぇ。こんな話があるかよ。どいつもこいつも腑抜けばっかりだ、クソが」
不満げ、というよりとげとげしい口調で鬼蘭が続けた。
酒が回ってきたのか隈取りをした頬が赤く染まっているのが提灯と月明りの下でも分かる。
「なあ、姐姐、いや老士。あんたがどこから来たのか知らねぇ。でもあんたは強ぇえんだ」
「……そうなの?」
「俺と老士と大哥哥の力があれば西夷の連中にひと泡吹かせることだってできる……それに、そうすれば王さまだって考えを変えるかもしれねぇ」
鬼蘭の口調はラフだけど、真剣そのものだった。
「あの腑抜けジジイ共はこんな状況でも何もしようとしねぇ。今は隠れてられるけど、いずれは見つかっちまうかもしれない。そうなったらまた逃げるのか?」
そう言って鬼蘭があたしを見上げる。
「このまま黙って狩られるわけにゃあ行かねえんだよ。絶対に!それだけはダメなんだ!なあ、頼む。俺たちに協力してくれ」
◆ 祁 祁 祁 ◆
しゃべるだけしゃべって鬼蘭はすぐに眠ってしまった。太婀さんが上着を鬼蘭にかけてあげる。
「……随分熱心でしたね」
「それは老士が強いからさ。五行を使う道士は使い手の練度にもよるが、戦闘において無類の力を発揮するからね」
太婀さんが言う。でも、そういわれても自分がそうだとは全く思えないんだけど。
「それに漂泊道士は総じて強い力を持っている……羚羊から聞いたが、君は地、木、水の術を操ったというじゃないか」
「ええ」
火と金の術はまだ使ってないけど、あのアイコンが見えるってことは使えるんだろうな、と思うし、使えるという確信もある。
根拠はないけどなんとなくそれが分かるのは、そういう知識も込みであのお爺さんから引き継いだということなんだろう。符を書いて一応全種類試しては見ようと思うけど。
「五行の一つか二つを使えるものは珍しくないが……すべてを行使できる道士は極めて稀だよ。柳原道士、君は強い。おそらくこの社會のみならず泰のなかでも屈指だろう」
「そうなの?レオ」
「修めておられる道術についてはそうでしょう。ただ、状況判断には改善の余地が大いにあるかと」
羚羊がまたズバッと言う。口調が抑揚がない分結構傷つくんだけど。
「あのね……もう少しオブラートに包んでくれない?」
「オブラートと言う言葉の意味は分かりかねますが、私が庇わなければ老士はあの場で亡くなられていた可能性もあります。私は多少の被弾は問題ありませんが、人間はそうではありませんから」
きついこというな、と思ったけど。確かに言われてみればその通りだ。
羚羊がかばってくれなかったらあたしはあそこで死んでいたかもしれない。それに、羚羊だって致命的な損傷を受ける可能性があった。
あの時、あたしの術が通じなかった理由が今もよくわからないけど……今軽口を叩いていられるのは羚羊のおかげだ。
「……ごめん」
「私のことをご心配頂けるなら、より的確、迅速に判断されてください。それが老士のためでもあります」
羚羊が変わらない口調で言った。
◆ 祁 祁 祁 ◆
そういえば気になっていることは他にもある。これを聞いていいのかちょっと悩むんだけど。
「太婀さん」
「なんだね、柳原道士」
「この子は……鬼蘭は、えーっと、あの、人間、じゃないんですか?」
言葉を選んで聞こうとしたけど、どうもうまい表現が見つからなかった。少し太婀さんが首をかしげる。
「小角家は老士の世界にはいなかったのかな」
「ええ」
「なるほど、確かに我々とはまるで違う世界から来られたのだな」
太婀さんがあたしの顔を見つめながら言う。結構飲んでいるはずだけど顔色は全く変わっていない。
「泰の南部に住んでいる家門でね。見てのとおりこんな感じで角を持っている。道術の才に恵まれていて強い道士が多い一門だ」
そう言って鬼蘭の左の額の角を示す。角は大きくないから髪で隠せそうだけど、鬼蘭は後ろで髪を結っているから額も角も良く見える。
「いや…………多かった、というべきかな」
静かにディアさんが言うけど。過去形なところに計り知れない重さを感じた。
「西夷にも小角家は居ないらしくてね。道士の力を持っていたものが多いことも災いして真っ先に西夷の軍に攻められた……ひとたまりもなかったそうだよ」
……自国の中で他国の軍が展開した挙句、自国民を殺すのを黙認したんだろうか。どういう経緯なのか分からないから簡単には言えないけど、いくらなんでもやりたい放題やられ過ぎだと思う。
「殆どの小角家の者は西夷に連れ去らさられた……珍しい獣扱い、というわけだ」
淡々と話しているけど、口調からは無念さが伝わってきた。
「……この子も道士なんですか?」
「瑞門八旗という武術の使い手だ。こんなのだが中々に将来有望だよ」
「……この子は戦って……仇を討ちたいとかそう思ってるんですかね」
さっきの敵愾心むき出しの口調を思い出した。
「当然だろう、考えないものがいるかね?」
こともなげに太婀さんが言う。
「でもこんな小さい子供が……」
今の話を聞いてしまった以上、恨むな、なんてきれいごとは絶対に言えないけど。あたしはこの子の気持ちを理解できる、なんて言えない。でも憎しみと囚われてしまうのはいいことなんだろうか
太婀さんがあたしをじっと見つめてきた。
「……報復はなにも生まない、とでもいうのかい?」
「ええ」
「……なるほど、そう考える史家もいるな。だが考えてみてくれ、柳原道士」
少し笑っているような表情は消えて、真剣な目で太婀さんがあたしを見る。
「人の心は円環だ……そして、円は脆い。叩かれれば容易く歪む……だが、時には何かを憎み報復を果たそうとすることが心を支えることもある。大切なものを奪われて、それから目を逸らして抜け殻のように生きるのか?」
静かだけど強い口調だ。
「……報復が終わったらどうするんです?」
「その時はその時考えればいい……冬寒を憂えて盛夏に火を焚くは愚也、だ」
そう言って太婀さんが自分の器に酒を注ぐ。ちゃぽんという音が聞こえて、もう徳利の中は残り少なそうってことが分かった。
「それに、君はそれが自分の身に起きた時に、恨まずにいれると言えるかい?柳原道士」
そう言われると……できるとは言えなかった。
風が静かに吹いて、直立不動で立ったままの羚羊の服の裾がふわりと舞った。金の刺繍が月明りにきらめく。
ふと見上げると、空に浮かぶ月はだいぶ高くなって、さっきは重なり合って瓢箪のようだったけど、今は二つに分かれていた。




